職人がいなくなる時代②

一日8時間労働制に感じた危機感は、労働時間の不足などではない。働くということが、ただの決まりきった作業になってしまうということだ。

かの発明王エジソンの言葉です。一部のごく単純な作業を除くと多くの仕事には熟練度によって生産性や品質に差が出ます。そして熟練度はどれだけその仕事をこなしたかによってしか上昇しないものなのです。8時間より10時間、10時間より16時間こなせばこなしただけ熟練度は増します。ただ、ロボットではなく人間がやることなので労働時間を増やせば疲弊が増して、いずれぼろぼろになるということを織り込まなければいけません。
多くの企業の現場ではこの辺りのバランスを読み誤っている気がするんですよね。分かり易くいうとロボットに仕事をさせているという思い違いがあるような気がします。更に、生産性と品質を重視するあまり、熟練工ほど酷使する傾向にある気がします(だって、その方が沢山製品ができて儲かるから)。腕に覚えのある職人の中には自分を酷使することに快感を覚える人も多くいますからその相乗効果で過労に倒れるなんて悲劇が生み出されるんだと思います。
資本主義に基づく企業の理念はアウトカムを抑えてインカムを増やすこと、これに尽きます。だから残業代も社員の給与さえもできれば払いたくない。払わずに労働だけさせていられればどれだけ素晴らしいことかという発想に行きつきます。けどね、従業員はロボットじゃありませんからそれではモチベーションが下がって当たり前。がむしゃらに働こうがサボっていようがもらえる給料が同じなら楽したいと思うのも残念ながら自然な発想です。こんな勤務態度で熟練度が増すわけもなくただ、機械的に作業をこなす人間を量産するだけになるのは目に見えてます。

職人がいなくなる時代を本気で危惧するのなら企業は給与体系を時間給から成果に対する評価に見直すべきだと僕は思います。外資系はそういった発想が進んでいますが、この国では随分と遅れています。
で、あともう一つ方策を提言します。
機械をもっと進化させること。東野圭吾のプラチナデータの中で、陶芸家の指遣いを精密に再現したロボットが登場します。そのロボットが作り出す陶器は陶芸家の作品と何の遜色もなく、ロボットが作ったということを知らない陶芸家の息子は「こっちの作品の方が良いね」と言って陶芸家に大きな衝撃を与えます。これは絵空事ではなくロボットやコンピュータのテクノロジーはそれを実現するところまで来ているのです。小説の公募に「コンピュータによる執筆も可」という断り書きが登場するようになってきていますし、事実コンピュータが執筆した小説が一次選考を抜けたなんてニュースも話題になりました。タダで働いてくれる熟練工が欲しいのなら企業はもっと真剣にロボットに投資すべきではないかなと僕は思います。
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万策尽き始めた

僕の本業はSEですので、納期の重さ、厳しさはよくわかります。プロジェクトの中では実に様々なトラブルが起きて、理不尽とも言うべきクライアントの我儘や都合に振り回されることもしばしば(つか、日常茶飯事)。それでも、納期を伸ばしてもらえることなどまずありません。往々にして自分に甘くて、自分の都合で周囲を振り回すクライアントに限って、「徹夜してでも」とか「休日返上で」などとお前が言うかというようなことを平気で言うものなのです(あ、愚痴ってしまった)。

昨年の暮れ頃からアニメーション制作の2017年問題というのがささやかれておりました。今や深夜アニメは1クール(3か月)に数十本は制作される勢いなのですが、そんだけ作れば慢性的なアニメーター不足になるのは自明。で、2017年冬アニメくらいから制作現場が崩壊するという噂が流れていたのです。けど、蓋を開けてみると案外にそんなこともなく、結構良作揃いのクールだったじゃんと思っていたのですが、どっこい今クール(2017年春アニメ)から異常事態が頻発し始めました。いきなり動きがしょぼくなったり、更には動きが止まって止め絵が切り替わるだけの紙芝居になったり。そして、とうとう来たかという感じの総集編。総集編というのは今までのお話をまとめましたというような回なのですが、12~13話完結の短い物語のど真ん中に持って来る意味はほとんどありません(完結してから振り返りの意味でまとめられるのならまだわかるけど)。ここに総集編を持って来る理由はただ一つ、次の回の制作が間に合わなかったからです。特にクオリティが高くて評判が良いアニメに限って総集編が突っ込まれてファンをやきもきさせます。「せっかく楽しみにしていたのに」とネットでは大っぴらなブーイングも上がります。
けど、僕はどうにもそのブーイングに同調することはできないんですよね。だって、SEとして納期に対するプレッシャーは痛いほど分かりますから。納期を落としたらもう仕事はもらえないかもしれない。そう思うと胃に穴が開きそうになります。実際に穴が開いたり過労で倒れた同僚を何人も見てます。だから、容易に想像できてしまうんですよ。総集編の向こうで目を血走らせて必死で働く人たちの姿が。誰だって好きで納期を落としたりしません。楽をするために総集編でごまかす制作者もいません。それこそ寝食を惜しんで死にもの狂いで頑張ってそれでもどうにもならなくなって万策尽きて総集編に頼るしかなくなっているのです。その総集編が流れている間もアニメーターはひたすら描き続けているのです。ビール片手にへらへら笑ってそのアニメを観ているだけの人にブーイングやヤジなんか飛ばされたくないだろうなぁとそれは容易に想像できてしまいますから。
それに、同調しちゃったら「徹夜してでも」とか「休日返上で」なんて軽く言うクライアントと一緒になっちゃいますもんね。

願わくばもう少し淘汰されて製作本数が減ってアニメーターに安寧がもたらされんことを。今クールも半分を過ぎました。もう一頑張り。ゴールを駆け抜ける瞬間を胸に描いて走り続けて下さい。と、エールを送っておきます。くれぐれもお体には気を付けて下さいね。

文化の鎖国

ネットのニュースで、子供にゲームやアニメを禁じる親が話題になっていました。禁じる理由はヲタクになってほしくないからだとか。その記事にラノベ作家がコメントを寄せていましたがなかなか揮ってました。
「その子供さんは高確率で将来立派なヲタクになるでしょう。だって、ゲームもアニメも面白いもの。それをやってはいけない、観てはいけないという禁忌を付与したら惹き付ける力は何倍にもなります。いずれどこかで抑圧されていた欲求は爆発するものですよ」
確かに鶴の恩返しや見るなの花座敷などの昔話を引くまでもなく、人って「やっちゃダメ」と言われるとますますやりたくなるものですよね。他にも、クラスでハブられるから可哀そうとか、むしろ時間を決めてやらせることが自己管理の学習につながるのではといった反対意見が多く見られました。
かく言う僕も反対派かな。理由は「たとえ親であれ、子供が生涯の宝物を得る機会を奪う権利はない」と思うから。何を大袈裟なというかもしれませんが、今のゲームやアニメの中には人生観を大きく変える力を持った作品が数多あると思うのです。
話が飛びますが、僕の大叔父(母方の祖母の弟)は常々「小津安二郎の作品がわからないやつは日本人じゃない」と誰憚ることなく口にしておりました。僕にとって小津作品は様式美が強すぎてちょっと押しつけがましい映画という印象があるので(正直苦手)、それを聞く度に違和を感じておりました。恐らく大叔父は小津や黒沢以降の邦画を観たことがなかったんじゃないかと思います。あるいはチラ見しても「くだらん」の一言で切り捨てて理解しようとしなかったんじゃないかと思います。もし、真剣に観ていたら小津作品以外にも良い邦画がたくさんあることに気付いたはずですから。って、それを断言しちゃったら僕もその大叔父と変わらないと言われるかもしれません。でも、断言します。戯曲の世界ではシェークスピアを最後に才能溢れる脚本家は登場しなかったと思いますか? 映画はグリフィスがイントレランスを作り上げた時点で最高峰まで上り詰めたと思いますか? そんなわけないじゃないですか。
ゲームやアニメを子供に禁じる親御さんは「たかが子供の遊び」という発想に呪縛されているのだと思います。確かに昔はアニメーション作品は子供のためのものという風潮がありました。でも、それはを払しょくしようという動きは遥か昔からあったのです。それこそ手塚治虫の時代から大人の鑑賞に耐えうるヒューマンドラマを目指す試みはありました。それらは別に巨匠宮崎駿に限らず多くの作り手に脈々と受け継がれているのです。そして今も、才能ある大の大人が人生の多くの時間を捧げて真剣に制作に取り組んでいるのです。
ゲームやアニメーションの実情から目を閉じ、耳をふさぐその前にもう一度考えてみて下さい。なぜ、世界中の人々がクール・ジャパンと呼んで日本製のゲームやアニメを絶賛するのか。その賞賛が萌えをあおるだけの低俗で浅薄な作品に向けられているのならこんなに長くブームが続くはずがないのではないかと一度疑ってみて下さいな。
子どもにゲームやアニメを禁じるのはそれからでも遅くありません。自ら心を閉ざして異文化を鎖国することは短い人の生涯から彩りを奪う以外の何物でもないと僕は思います。

おつかれさまの季節

日本の学校制度はちょっと独特で4月に新学年が始まります。多くの諸外国では9月に始まるらしいので珍しい部類らしい。
明治時代、元々は日本も9月開始を取り入れようとしていたらしいんのですが、軍隊の都合でこうなったらしい。けど、経緯は別として桜の季節に卒業式、入学式を迎えるというのはなんだかこの国らしくて良いなぁと思います。そういえば、過日次女が中学の卒業式を迎えましたっけ。中高一貫校に通っているのであまり実感がわかないのですが。
サラリーマンにとってもこの季節は行く人、来る人を送迎する季節です。僕も多分に漏れず一昨日、入社以来の長い付き合いとなっていたT先輩の「お疲れ様会」に出席して参りました。
T先輩は入社が僕の5年上で入社当時、僕の指導員という立場でした。そのわりには仕事を教えてもらった記憶は全くなく 「このマニュアル読んどけ(おわり)」みたいな指導を受けてましたっけ。ただ、互いに大酒のみだったこともあり週に2、3回は呑みに行っていましたね。酒が好きというだけでなく、「飲み会の席では仕事の愚痴は言わない聞きたくない」というスタイルが合致していたのも付き合いが長く続いた理由の一つかも。飲み屋のカウンターで交わす会話は専ら趣味や最近入手した面白ネタの披露に終始していました。スタイルと言えば「一度座ったら長尻(ながっちり)になる」「河岸を変えずに延々と一軒で飲み続ける」というところも似ていて平気で4時間、5時間飲んでいたなぁ。あ、4時間、5時間というのは要するに店が看板になるまでといったほどの意味です。一度など少し早めに仕事を切り上げて5時ころから飲み始めたことがあったのですが(あの頃のIT業界は結構融通が利いたのです)、最終的に2軒目を出たのが2時。9時間飲み続けたってその日の就業時間より長いじゃんとあとで大笑いしました。
そんなT先輩も56歳と人生の転機を迎えるお年頃、思う処あってこの3月で現職を離れることにあいなりました。奥様は看護師で結構稼ぐ方なので当分は専業主夫をされる予定だとか。羨ましいっす。
お疲れさま会は沖縄料理のお店で豚しゃぶや海ぶどうなど戴きながらオリオンビールで乾杯。二件目のスナックは粘りに粘って久しぶりに終電でご帰宅となりました。

T先輩、長い間おつかれさまでした。また、呑みに行きましょうね~(って、まだ呑むんかい)

古都を歩く

週末、親戚の集まりで京都に行ってきました。
丁度、卒業式のラッシュだったようで晴着で着飾った娘さん達で古都は殊更に華やいでおりました。
京都駅地下でおばんざいを戴いた後、目的地は八瀬の方面だったのですが、天気があまり良かったので今出川まで徒歩でぶらぶら(そこから先は地下鉄が曲っていくので歩くと迷子になるの必須と思われ、地下鉄に乗車)。東本願寺そばの諏訪神社にお参りしたりしてちょっぴり古都の春を楽しんでまいりました。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
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