マグニフィセントセブンを観て来たよ

マグニフィセントセブン
久々の洋画鑑賞。「マグニフィセントセブン」を観てきました。
リメイクなのですがタイトルを聞いてもピンとこない方もいらっしゃるかも。オリジナル作品の邦題は「荒野の七人」。こっちの方が通りが良い気がするんですけど、今作は英題そのままらしいです。オリジナルが作られたのは今から57年前の1960年。ユル・ブリンナーが主演でした。タイトルから想像が付くかもしれませんがそもそも「荒野の七人」自体、黒澤明の「七人の侍」のリメイクなのですが、アメリカで大ヒットを飛ばし、その後続編が2回作られています。余談ですが、「荒野の七人」は年末に必ずと言ってTVでやっていたらしく、再放送回数の記録を持ってるそうですよ。
で、今作。年末にネットで予告を見かけてからずっと気になっていました。かなり出来が良いらしくてちょっくら見てみるかと決めた次第。
結論から言うと、「荒野の七人」を初代「ゴジラ」に例えればこっちは「シン・ゴジラ」と思えばだいたい合ってます。「荒野の七人」は「七人の侍」のオマージュ満載で人間ドラマもかなり重視していたのですが、今作は迫りくる強敵と如何にして戦うかに重点を置いていてストーリーはごくごくシンプルな作りになっていました。その分、アクションシーンの迫力は「荒野の七人」を凌駕する勢いでしたね。7人のガンマンが個性派ぞろいなのは同じなのですが、前作が何気にジェントルマン揃いだったのに対して、人を殺すことを躊躇わないダークさとで良い意味で下品さを兼ね備えた男達でした。アウトローとしてはこっちの方がリアリティがあったかな。
前作ファンからすれば賛否両論分かれるところだと思うのですが、シン・ゴジラを叩きまくったオールドファンもいましたし、致し方ないことかな。ただ、僕はこれはこれでありだと思いました。前作と優劣を競おうという気負いがなく(オマージュ的なシーンは皆無です)、ただ面白いものを作ろうと取り組んだスタッフに好感を持ちました。
スポンサーサイト

演技の本質

わりと最近までアニメーション作品において演技は声優さんがやるものだと思っていました。
けど、実は声優さん以上に演技が必要になるものがあったのです。それは、絵。登場人物のちょっとした仕草や表情の変化で彼(彼女)の心境を的確に伝えなければいくら声で演技したって嘘くさくなってしまうことに気付きました。当り前のことだけど目から鱗だったなぁ。
お芝居における演技の役割ってなんでしょう? ストーリーを伝えるだけであれば台本を朗読すれば事足ります。あるいは、観客に台本を配って読んでもらえば下手な棒読み朗読より的確に伝わるかもしれません。けれど、台本はあくまでセリフが書かれた紙に過ぎません。そのセリフを口にする登場人物の感情を観客に伝え、共感させるために演技は必要なのです。ありきたりな表現ですが舞台と客席の一体化を実現するためのツールが演技なわけですね。
ですので、役者は登場人物の喜怒哀楽を的確に観客に伝える任務を負います。けど、これがなかなかに難しい。例えば「泣く」という演技からすぐに連想するのは悲しみの感情表現ですが、必ずしもそうではありません。人は嬉しくても泣きます。驚いても泣きます。涙をぼろぼろこぼしながら怒る時もあります。更に複数の感情がない混ざる時もあります。役者は登場人物の感情に合わせて「泣き分け」をしなくちゃならないのです。
一口に「気持ちを込める」と言いますが、力めば良いわけでもありません。むしろ、それは駆け出しの役者がやりがちなミスで観客をシラケさせる危険が高い演技法だと思います。どんなに激しい演技をしていても演者は常に冷静に冷徹に一人の観客として自分を観察している必要があると僕は思います。達者な方になると迫真の演技をしながら頭の中で「今日の夕飯は何にしようかな」と考えてたりする人もいるというエピソードを聞いたことがあります。彼はその直後、我に返って、今がどの場面で次のセリフが何か全く分からず頭の中が真っ白になったそうなのですが
19世紀までの演技法の主流はシェークスピアの時代をまだ引きずっていて、××な感情は〇〇と表現するという様式的なものだったと聞きます。が、20世紀になってスタニスラフスキーが提唱するメソッド演技法が台頭して来ます。それは一口で言うと「いやいや、日常生活ではそんな動作や表情はしないでしょ。もっと自然な演技をしようよ」と言ったほどのもので、芝居の場が舞台劇から俳優のアップが多用される映画やTVドラマに移行するにつれもてはやされるようになりました。舞台では客席まで距離がありますから、ある程度オーバーに演じないと伝わりにくい表情も映画ではわざとらしくなっていまうという弊害がもあったんでしょうね。
登場人物の感情という目に見えないものを具現化させて観客に共感させる──それが演技の本質です。役者一人一人は思い思いに演じたとしても最終的には芝居として伝えるべきテーマに反すれば演出からダメ出しを喰らいます。一本の芝居(=物語)を通して観客に伝えたいことという大きな絵があって、役者の演技はその絵を構成するジグソーパズルのピースでなければなりません。自分の演技をごり押しして無理矢理ピースをはめ込むのではなく、そのピースの形を見極めて自分の演技のカタチをそれに合わせる。的確な感情表現に加えて役者はそういった任務も負ってるんだと僕は思います。

言ってくれなきゃわからない……のか?

2013年の夏公開作品でしたので、はや3年が過ぎようとしています。宮崎駿監督引退作品『風立ちぬ』。公開早々に映画館に足を運びました。ラストシーンは気が付くと滂沱の涙が止まりませんでした。エンジニアと言う職業を選んだ人間の一人として主人公に強い共感を覚えたことが涙の大きな理由だったのかもしれません。三十年近くもやっていれば作中で描かれたような狂気を孕んだ修羅場を何度も経験しています。普通の生活も家族も顧みず、睡眠すら惜しんで仕事に没頭する日々。それでも、過酷な納期を間に合わせた時の達成感はやりおおせた人間にしかわからないものです。スクリーンの中の次郎はまさに僕でした。
が、反面、僕の娘達がこの作品を見て感動するだろうか? という点については大いに懐疑的な気分になりました。次郎はその時、何を思ったのか? なぜそのように行動したのか? そういった主人公の心の動きや行動原理の説明がギリギリまでそぎ落とされていたのです。まるで小説のように「行間を読ませる」ことをこれほどまでに求める映像作品を僕は観たことがありません。「そんなこと、いちいち説明しなくても察することができるでしょ」不敵に微笑む巨匠の姿が目に浮かぶようでした。126分の長尺。一時も気を抜かず集中力の持続を強いられる作品。エンドロールを眺めながら心地よい放心状態に陥っておりました。
当初、ネットでの評価は酷評に次ぐ酷評でした。「わけがわからない作品」、「自己満足」、「ラピュタやトトロは良かったのに」などなど。僕に言わせればラピュタやトトロは名作だけどそれと同次元で語るべき作品じゃないと思うのですよ。「風立ちぬ」は限りなく文芸作品に近い表現手法を取っていて、ただ口を開けてぼーっと眺めていれば勝手に状況説明してもらえてストーリーが流れ込んでくるようなものではありません。能動的に作品にのめり込んでいかなければメッセージを受け取ることができない、ある種実験的な意欲作だと思います。最後の最後になってなお、従来のアニメ映画の規格で計れないスタイルの作品を打ち出した巨匠に敬意を表します。
反面、「わからない」とか「つまらない」で切って捨てている人が少し気の毒になります。きっと、映画でもドラマでも全部説明してもらえる事に慣れきっていて、想像力を働かせるという訓練ができてないんだろうなと想像してしまいます。だから、敢えて説明を削いでいるのに「説明してくれなきゃわかるわけがない」と怒るんでしょうね。でもね、説明してしまったら解釈はその一通りだけになっちゃうんですよ。観客一人一人が歩いてきた人生は一人一人違っているわけだから、その一通りの解釈に共感できる人もいれば共感できない人もいるわけです。でも、説明を削げば一人一人が自分の人生に照らして解釈できるわけで自分が一番納得のいく答えを掴むことができるじゃないですか。

って、ここまで言わなきゃわからないのかしらん? 酷評している人はそこに書かれている通り「そんなの言ってくれなきゃわからない」で思考が止まっているようですが、もう少し読書の経験を積んだ方が良いと思いますよと思ってしまいます。
あれから三年、少しずつですけど高評価のコメントを散見するようになりました。あと十年、二十年、公開当時あの作品を観て酷評した若い世代が老境にかかる頃にはこの作品の評価ががらりと変わっていることを僕は少し夢見ています。

ダンディズム

映画カサブランカの登場人物にはモデルがいるということを最近知りました。といっても、ハンフリー・ボガードが演じたリックの方ではなくその恋敵ともいうべきレジスタンスの主導者ラズロ。彼のモデルはなんと青山栄次郎という日本人(正確にはオーストリア人とのハーフ)なのだそうです。彼はヨーロッパ全体で一つのような国を構築する汎ヨーロッパ主義を唱え後のEU設立に尽力した人物です。第二次世界大戦中、彼の思想はヒトラーにとって大きな障害となったため追い回されて亡命に次ぐ亡命を余儀なくされたのだとか。最終的に彼はアメリカに逃げ延びます。
このエピソードに着想を得て、行方不明の恋人と再会したら彼女にはレジスタンスの夫がいて亡命しようとしていたというドラマチックな映画が製作されました。それが「カサブランカ」なのです。
行方不明の恋人イルザを演じたのはイングリッド・バーグマン。恋人が行方不明になり傷心のうちにカサブランカに移り住んでバーを始めたリックを演じたのはハンフリー・ボガード。今観ても全く色あせない名作です。
再開を果たした二人でしたがイルザはリックに夫と亡命するために通行証を譲ってほしいと願い出ます。ひどいですねぇ。今でも未練タラタラな元カレにそれを頼むかよと言いたくなりますねぇ。リックは苦悩しながらも最終的に彼女に協力し秘密裏に飛行場へと手引きします。
ラストシーン、夫を一人で逃がして残ろうとするイルザをリックは「僕にはやらなければいけない仕事があり、僕の行くところに君はついていけない。君がいると僕のしたいことができない。」と説得して一緒に行かせます。「おい、なにやってるんだよ」とツッコみたくなりますねぇ。「何、自分からバームクーヘン・エンド選んでるんだよ」とか。名セリフ「君の瞳に乾杯」と告げてイルザを見送るリック。ホントにそれで良かったのかと思いつつボギー(ハンフリー・ボガード)がやると格好良いんですよねこれが。
そういえば沢田研二の曲に「カサブランカ ダンディ」というのがありましたっけ。
♪ボギー、ボギー、あんたの時代は良かった。男のやせがまん 粋に見えたよ。
という歌詞はこの映画のラストシーンから来ているのですが、ホント「やせがまん」です。でも、僕だったら粋でなくても良いから彼女に残ってもらうな。
カサブランカを思い出すと決まってセットで思い出す邦画があります。宮崎駿初監督作品、『ルパン三世カリオストロの城』。
ラスト、カリオストロ家の呪縛から解放されたクラリスを見届けてルパンは去って行こうとします。一緒に行きたいとすがるクラリスを優しく突き放して車に飛び乗るルパン。次元大介の「おめえ 残っててもいいんだぜ」というセリフも聞こえないふりをします。こっちも、たいがいにやせがまんですねぇ。
宮崎監督は後にリックを主人公にしたアニメーション映画を製作します。ただしこの主人公、人間ではなく豚。映画『紅の豚』はカサブランカと重ねて観るとあちこちで共通点があって面白いですよ。
カサブランカとルパン三世カリオストロの城、そのどちらにも共通する男のダンディズムは自分の想いより愛する女が幸せになることを優先したこと。リックもぐだぐたと小理屈を捏ねてましたが結局は彼女のことしか考えてなかったのはバレバレです。そんな男の一途な想いが観るものをしびれさせるカッコよさに繋がっていくのでしょう。

末代まで祟らない

日本の怪談の伝統芸の一つに「末代まで祟る」というのがあります。
恨みを抱いて死んだ人物がその恨みの対象となる本人だけじゃなくてその子供、孫、子々孫々まで酷い目に遭わせる(てか、怖い目に遭わせる)お話ですね。たぶんに因果応報を説く仏教色の強い説話だと思うのですが僕はイマイチ納得いかないんですよね。

親父が(おふくろが)何をしたかは知らないけれど、俺何もしてないじゃん。

と主張されたら幽霊はどう答えるのでしょう? ましてや、爺ちゃんが(婆ちゃんが)となればなおのこと。五代前のご先祖様くらいになると「誰それ?」の世界です。なのに100年以上経ってから夢枕に現れて、「この恨み晴らさでおくべきかぁ」とか言われても迷惑この上ないと思うのは不徳とそしられるようなことなのでしょうか
だいたいね、「末代まで祟って、祟って、子々孫々を根絶やしにしてやる」って思ってるのなら、なぜ初代で根絶やしにしないのでしょう? 恨みの対象の初代が結婚して子供作る前に呪い殺してしまえば、「初代=末代」となってたいへん合理的、幽霊的にも手間暇かからずとっとと成仏できて八方丸く収まるのではないでしょうか?
お話によったら恨みの種になった初代は業が深くて精神が強靭、幽霊もおいそれと近づけなかったので二代目以降に祟ったなんて理屈になっているものもありますが、それこそ八つ当たりも甚だしい。学校で怖い不良に絡まれてひどい目にあったので、憂さ晴らしに弱そうなやつをイジメるという構造と同じじゃないですか。幽霊の呪い譚には何かしら同情を誘うエピソードが付き物ですが、そんなふるまいをされたら観客だってそっぽ向いちゃいますよ。
ということで、祟るなら初代、「初代=末代」にして子供を遺す前に呪い殺してしまいなさいと思いました。

え、何の話かって? このブログのカテゴリを「映画雑感」にしてるじゃないですか。ひさしぶりに横溝正史の「八墓村」を観賞して理不尽な話だよなぁと思った次第なのです。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
↓こちらもよろしく!!
http://diningg2011.web.fc2.com/index.html

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR