レッツ、ファーメンテーション

4月は僕の誕生月で楽天市場さんから特典の期間限定ポイントを戴きました。自腹では買うことがないような何か美味しいものでもお取り寄せしようかなとも考えていたのですが、長く使える調理器具などあればそれも良いなと迷いまくりました。で、いい加減タイムリミットが迫った月末。ようやく辿り着いた結論がこれです。
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ヨーグルトメーカー君。いやいや、ヨーグルトなんて機材がなくても作れるでしょと言うなかれ。ヨーグルトに限らず発酵食品全般と低温調理ができちゃう機械なのだ。仕組みは至って簡単で要は炊飯器の保温モードと同じく庫内の温度を一定に保つ機能を持っています。ただ、炊飯器が約70度オンリーなのに対してこちらは25度~70度まで1度刻みで設定が可能。そして1時間~99時間の設定が可能なタイマー付きなのです。なので今まで炊飯器でなんとなく作っていたローストビーフや甘酒もきちんと温度管理、時間管理しながら作れるようになります。
で、どんなものが作れるようになるかと言うと乳製品ではまずヨーグルト、プレーン、カスピ海、ギリシャと自由自在。それからサワークリーム、カテージチーズ。味噌、甘酒、塩麹、醤油麹にぬか床の仕込み。フルーツビネガー、白菜漬け、ピクルス。更に低温調理ではコンフィと呼ばれる料理全般、鶏ももや砂肝がメジャーです。あと、ローストビーフ、鶏むねハム。温泉卵や牛すじ煮込みなど100度よりずっと低い温度でじんわり時間をかけて火入れすることができます。
普段我々が煮炊きと呼んでいる調理法では水の沸点である100度前後の温度で食材を扱います。蒸すという調理法は水蒸気を使うので更に高い。揚げる場合は160度~180度。焼く場合は更に天井知らずで高くなります(炭火焼きになると1000度くらいまでいけると思う)。なのでそれよりずっと低い60度~70度での調理は僕にとっても未知の世界。どんな特性があってどんなコツが必要になるのか、少しずつ勉強していきたいと思います。
ちなみに、発酵は英語でfermentationというのですね。ひとつ賢くなりました。
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猪口の魔力

過日、著名なフードファイター(大食い選手権の猛者)がバイキング料理の攻略法を指南するネット記事を見かけました。曰く、
一人では行かない。複数人で行って会話を楽しみながら食事をする
気合を入れて食うぞと気張らず、食事を楽しむ気分で出かける
皿に取るのはごく軽めに。なくなったらまたごく軽めに追加する
これを心がけると存外にたくさん食べられるのだそうです。ま、食べ放題だからといって必要以上に食べることの是非を問うのはおいておいて、これは一般の料理にも言えることだと思います。例えば味付け。ひとくち食べて「美味しい!!」と思った料理はたいてい失敗していると僕は思っています。そういう料理は二口、三口食べるごとに飽きてきて皿の料理がなくなる頃には「もういいや」と思うようになっているものです。逆に一口目が「物足りない」と思う料理はもう一口、あと一口と箸が進んで皿がきれいになった頃には「もうちょっと食べたかったな」と思うものなのです(特に温かい料理の場合は食べている間も水分が蒸発して味は濃くなっていきますので、料理人はそこまで計算に入れて料理を供する必要があります)。
分量にしてもドカッと大盛りなんてのは体育会系の学生ならまだしも、いい年をしたおっさんは見ただけで胃袋が縮んでお腹いっぱいになってしまいます。これって、気のせいではなく視覚から入ってきた情報が満腹中枢に働きかけて、「今からこれだけの分量を食べるから覚悟しな」と言い付けるらしいんですよね。なので、満腹中枢はいきなり「ごっつぁんです」状態になるという。フレンチのコース料理の分量が少ないと揶揄されることがしばしばありますが、あれも最後まで食べればワンプレート料理分以上には供されていて十分満腹になる量なのです。けど、ちょっとずつ、ちょっとずつ出されるので負担を感じずデザートを食べる頃には「もうちょっと食べたかったな」、「また、来て食べよう」という気にさせてくれるんですよね。台湾料理の思想にも食巧不食飽(飽きずに美味しく食べさせる)というのがあって、屋台料理などの椀は敢えて小ぶりだったりしますし、スペイン料理のタパス(小皿料理)にも同じ思想が流れている気がします。洋の東西を問わず長い食文化の歴史を通して、「料理は小盛りでちょっと物足りないくらいに出すほうが楽しく食べられる」ということに料理人達は気付いているようです。

省みて和食の世界はどうでしょう。元々、この国は貧しくて一汁一菜の粗食を通してきたので却って山盛りの料理に憧れていたフシがあります。なので、戦後食糧事情が良くなってからこちら「大きいことは良いことだ」という思想が未だにまかり通っていて、体育会系の猛者がバイキング料理で轟沈するのが後をたたなかったりするのでは? という気がします。ただ、酒器に関しては見事にこの思想を体現しているものがあります。それは『猪口』。あれは魔法の酒器です。一口、二口でくいっと空く。とくとくと得利から次いで、またくいっと空ける。とくとくとく、くいっ、とくとくとく、くいっ、とくとくとく、くいっ、とくとくとく、くいっ、とくとくとく、くいっ……。あっという間に得利は一本空き、二本空き、五本、十本(をい)。ともかくいっくらでも呑めてしまう気にさせられる魔物なのです。もしも同じ量をジョッキに入れて持ってこられたら半分も飲めないんじゃないかな。
料理も酒も敢えて少なめに供する。そうすることで食事が楽しめる。これは長い歴史を通して先人が教えてくれた万国共通の知恵だと思います。

リファイン

恐らく数年ぶり、いやもしかしたら10年ぶりくらいでタンシチューを製作中。よく行く食料雑貨店(本来、魚屋らしいのですがなんでも売ってます)で、タンのブロックを発見。値段が手頃だったので買ってまいりました。
うちのレシピは炒めた玉ねぎ、人参、セロリにトマト缶を合わせてミキサーで粉砕した野菜ジュースをベースに赤ワインとデミグラスソースを煮込むスタイル……なのですが、手控えを見ていると、いやいやこのレシピではアカンだろうと思いました。野菜が、生に近い。火をじっくり通すことで出るはずの甘味や旨味が出せていない。ということで手順をリファイン(洗練化)。
まずは、玉ねぎ、人参、セロリは少し大きめのさいの目に切ってにんにくみじん切りも加えて30分弱火でじっくり炒める。こうすることで野菜の香味が引き出せます(炒めた野菜はソフリットと呼ばれます)。これにトマトと水を加え、玉ねぎの薄皮、にんにくの皮も加えて30分煮込む。これで甘みのある野菜のベースができます。玉ねぎの薄皮を加えるのはスープの色を良くするため。東野圭吾の「流星の絆」で覚えた手法です。
あとは、冷ましてミキサーで粉砕したらムーランで裏ごし。そういえば、この手控えを書いていた頃は裏ごし器にドレッジを押し付けて濾してたので30分くらいかかってた気がする。今は1分もあれば濾せます。
新しいレシピを起こした時はもちろんそれが良いと思って組み立てているのですが、時間が経って見直してみると粗や拙さに気付いてしまうことがあります。それは、真面目に料理の勉強を重ねてきた証拠だと思うので誇って良いことだと思うのです。けど、曲がりなりにもレシピ検索サイトを運営して人様にレシピを公開している身。たまには古いレシピを見直してリファインする必要があるよなぁと痛感いたしました。

お仕着せの哀愁

只今、通院しながら病気の治療中。かなり、強い薬を使っているので投薬した後の数日は何もする気が起きません。先週その投薬をやったばかりでようやく復調してきたかなという感じ(当日は、午後2時頃、ベッドに入ってとろとろまどろんでたら、朝の5時まで寝てしまったよ)。
ま、こんな状況になるとさすがに料理をするのも億劫になります。で、自然とスーパーやコンビニのお惣菜に頼ることになるのですが、やっぱ2、3日で飽きますね。かゆいところに手が届かないと言うか、なまじ自分で料理ができてしまうから「いや、これはこういう味付けにした方が美味しいだろう」とか余計なことを考えてしまう。その反動がやってきて、只今絶賛自炊中だったりします。
で、ふと思うのです。料理をしない世の独身男性はこれが日常なんだよなぁと。誰か料理を作ってくれる人と巡り合って一緒に暮らすようにでもならない限りこれからの人生もずっと、このお仕着せのお惣菜を食べて生きていくんだよなぁと。ま、それは大きなお世話も良いところなのですし、もし自分が料理をしない(できない)人ならば考えもしないことなのでしょうが。
僕にとっては外食も中食のお惣菜もたまに食べるから、物珍しいし、ときに感動することもあるのです。けれど、それはあくまでもよそん家の味。我が家の味ではありません。毎日、三食が外食や中食ならそれがどんな名料理人が作ったものであれば遠からず我が家の味に渇望するんじゃないかな。
「料理は家で作るもの」という理念を台所に立つ背中で教えてくれた祖母や母に感謝しつつ、そんなことを考えました。

キッチンタイマー・ライフ

嫁によく笑われるのですが、僕の調理にキッチンタイマーは欠かせません。
よし、今から2分炒めるぞと言ってはキッチンタイマーをスタート、唐揚げは3分ねと言ってはキッチンタイマーをスタート。とにかく、次の調理の工程に移る度に時間を計ってベストの状態になる時間をメモしていかないと落ち着かないのです。
今でこそ、火が入っていく食材の状態や色や時には音の変化でタイミングを掴めるようになってきていますし、1分後、2分後どうなっていくかの予測も付きますが、料理を覚えたての頃は勘所がまるでわからず、拠り所になるのは時間だけ。何分炒めたら(揚げたら、茹でたら)良い感じになるのかというのをずっと物差しにしていました。今でもキッチンタイマーを手放せないのはその名残なんでしょうね。そういえば、鯨統一郎のデビュー作「邪馬台国はどこですか」で、邪馬台国の所在を推理する際にこんなことが言われていましたっけ。「魏志倭人伝で信用して良いのは船で✕✕日進んだといった部分だけ、○○里東へなんて箇所は無視すべき、当時の航海技術も測量技術もそこまで発展していなかった。ただ、何度日が昇って、日が沈んだかというのは誰がやっても同じで客観的な尺度となる」──あの作品がミステリーファンの琴線に響いたのはまさにこの一文だったと思うんですよね。そう、時間は客観的な尺度になります。
僕はいつか娘達が料理をするようになった時のために細々と料理の検索サイトを運営していますが、そこに書くレシピにも時間をこまめに書き込んでいるのは、料理1年生の娘達がタイミングをつかみ易いようにという配慮からなのです。

けど、ここまで書いておいてなんなのですが、決まった時間調理しても結果が同じとは限らないのが料理でもあるのです。ちょっとした火加減、混ぜ方などなどで同じ1分でまるで違う料理ができることも往々にしてあります。そう、料理の難しさはデジタル化しきれないところにあるのです。確かに全く同じ分量の食材、調味料を用意し、レシピに書かれていることを忠実に守れば本来の料理に近いものはできます。けど、最終的に本来の料理と同じものを作り上げるためには目で見、音を聴き、匂いを嗅いで判断しなければいけない局面が必ずあるものなのです。そんな料理人の勘と呼ばれる部分をレシピに書くのは至難の業、てか無理。なので、料理人は一代限り、二代目が店を引き継いだらそこからは二代目の味に変わっていくのが世の常なのだと思います。初代のファンからすれば面映いことでしょうけれど、二代目には二代目の良さがあるはずですからそれを楽しめば良いと思うしかないんじゃないかな。
近年、分子ガストロノミーという分野の研究が進んでいるそうです。料理を科学の視点からアプローチするもので、この分野が進化すれば料理人の勘といった曖昧な概念を払拭して全く同じ料理を誰もが作れるようになるかもしれません。それどころか、この学問では遠心分離機や液体窒素なんてものを平気で使ったりしますから誰も見たことがない料理が近い将来生まれるかも。料理人にとっては寂しい話かもしれませんが、そうなったら面白いだろうなと思う自分がここにいます。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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