振り返らない合理性

システムエンジニアという仕事柄、日々いろいろなお客様とお会いしていろいろな会話をします。
中にはこの人にはかなわないなと思わせる頭の切れる方もいらっしゃいまして……
あれは僕がまだ社会人5年目くらいだった頃でしょうか。とあるお客様の運用担当者の方がやはりとてもクレバーな方でした。打ち合わせの席で「ああ、だったらこうですね」と結論をぽんとおっしゃるのですが、こっちはポカンとするばかり。
え? なんで? なんで、この話の流れでその結論になった? 理解できていないまま会話は進み、10分くらいしてから、

あああああっ

やっとわかった。その方が結論に至った筋道が。てなことが、しばしばありました。まるで、大人と子供の徒競走。とっとと、ゴールインしてしまっているその方は手持ち無沙汰そうにしながら、こっちが必死こいて走ってくるのを待っておられるのでした。
何か問題が起きた時の対応も際立っていました。「誰の責任だ?」といった追求を一切されないのです。ただ一言。

で、どうするの?

と尋ねられるだけ。起きてしまったことに対して「なんでこんなことが起きるんだよぉ」とぐちぐち言ってもなんの益もないということを知り尽くされていたんでしょうね。起きてしまったことは解決するしかない。と思い定めて後ろは振り返らずただ前に進んでいく、そんな人でした。
あれから二十数年経ちますがあれほど合理性の塊のような人にはついぞ逢ったことありません。僕より少し年上でしたから、そろそろ定年が迫っている頃かな。今頃どうしておられるかしらん。
とまれ、彼はSEとして独り歩き始めたばかりの頃の僕を育ててくださった方の一人に間違いはありません。
スポンサーサイト

恐怖の一眼国

小説のネタ帳にこんな手控えがあります。
朝、家を出て駅に向かう道すがら、前を数人の男性が歩いている。いつもと変わらない風景。けど、前を歩いているのがこうだったらどうだろう?
歩いているのが全てOL:結構、違和感がある。れれれ? 家を出る時間を間違えたかなとか。
歩いているのが全て外人:これもかなり引く。道を聞かれたらどうしよう。
歩いているのが全て幼児:遠足でもあるのか? 引率の先生はどこだ?
歩いているのが全てお相撲さん:これは圧迫感と恐怖を感じる。
歩いている女性が全て同じワンピース姿:で、色違いとか。
これは発想力を鍛える課題で、時々思い出したようにシチュエーションを書き足しています。違和感の根源は非日常、いつもと違う景色であるということ。普段はサラリーマン風のおじさんが駅に向かっているのが当たり前でそれに女性がちらほら。ところがおじさんが全く歩いていないというところがミソです。
で、この光景に恐怖を覚えてしまう根源は何かというと「全て○○」であること。○○は自分と違う属性を持つ何かで、外人だったり幼児だったりするわけです。

世界中、もしかして自分以外は全て○○になっちまったんじゃないか?

この想像に恐怖を覚えるわけですね。
落語のネタに一眼国というのがあります。目が1つの男が捕まって見世物小屋に出される話。その男から彼の故郷では誰もが目を1つしか持っていないという話を聞いた男が一山当てようとその彼の故郷に向かいます。そこで、1つ目人間を捕まえてこっちの見世物小屋にかけようって考えたんですね。ところが、その国に入った途端、彼のほうが捕まってしまいます。「おい、二つ目の男がいるぞ。珍しいじゃないか、見世物小屋にかけようぜ」と騒がれるわけです。
なかなかブラックなオチの噺ですが、このネタの肝は「常識は案外、多数決で覆される」ということです。自分が勝手に「目は2つあるのが当たり前」と思い込んでいるのは自分の身の回りに一つ目の人間がいないからなだけ。周りが一つ目だらけになった途端、その常識は非常識になってしまうのです。

一眼国はもちろん創作された物語ですが、似た体験は現実世界でもできます。例えば、道を歩いていて遠足に向かう園児の集団に紛れてしまった場合、駅のホームで小学生の遠足とカチ遭った場合、身の置き所がなくてなんだかむずむずします。
僕も娘(女子高生)の学園祭に出かけたことがありますが、見た目は華やかだけど身の置き所がないものです。この集団の中で自分が異分子だと無言で指し示されてる気になるんですよね。

プロに挑む覚悟

知人(=男性)のお嬢さんが声優になりたいと言ってるんだが、という相談を受けたことがあります。
彼は休日には競馬かパチンコあるいは麻雀かゴルフと言った典型的なおっさんで、アニメの世界のことなんてよくわからないけどどうよ? と言ったノリの相談でした。
で、こういう相談に対して受けた僕の方が独断で結論を与えるのは無責任だと思いますので、判断材料を与えることにしました。
まず、ポジティブに考えれば夢を追うことは彼女にとって必ずプラスになる経験だと思うと伝えました。彼女はまだ十代。なら、何年か夢に傾注したって悪くない。夢が叶うにしろ叶わなかったにしろ、得た経験はその後の人生の大きな糧になると。
次にネガティブな意見として声優になれることは万に一つもないと伝えました。いくら深夜アニメが隆盛を極める産業で1クール(3ヶ月)に作られるコンテンツが数十はあると言われるご時世でも声優や声優予備軍は数万人とも言われます。1コンテンツの登場人物が平均十人前後と見積もっても椅子はたったの数百。百人以上で一つの椅子を奪い合う椅子取りゲームなのだと。しかもその業界には実力が新人とはかけ離れたベテランもいて売れっ子の彼らがメインキャストをほぼ独占しているのが現実なのだと。
彼女に直接アドバイスする機会があればこんな例え話をするんじゃないかなと思います。

「君がベストと思える声優を一人挙げなさい。そして、その声優の当たり役を挙げなさい。その役をその声優と競って勝てるのなら、君は声優になれると思う」

例が古くて恐縮ですが、例えば能登麻美子とオーディションで競って、閻魔あいや黒沼爽子の役を奪い取れるか? という話です。いやいやいや、それはいきなりハードルが高すぎでしょ。と言われるかもしれません。けれど、現実のオーディションの現場ではそれが日常茶飯事なのです。新人声優や声優の卵は何十回とオーディションを受けて全部落ちてやがて声優になることを諦めていくというのがほとんどというのが現実なのです。
芸事の世界は一歩足を踏み入れた瞬間からプロに挑み続けなければならない過酷な場所です。運良く芽が出てそれなりに売れ始めると周りから足を引っ張られます。いくつになっても自分に挑んでくる後続と芸を競い続けなければならない業を背負います。足を踏み入れることはできても脱落せずに居続けるのは非常に困難な世界なのです。

それでもやってみたいというならば、僕は彼女にガンバレとエールを送ります。声優は声を使って人の心を想いを届ける仕事。たとえ、いつか挫折する日が来るとしても、そこで覚えたプレゼンテーションの技術は現実社会もきっと役に立つと思うんですよね。そして何より、そこで泣いたり笑ったりした経験は人生の宝物になると思うからです。

プロの不在

近頃、うそ寒いニュースを散見します。
曰く、ヘリコプターから700kgの機材が落下した。工事現場で資材が落ちただの、人が落ちただの。大惨事には至っていなくても亡くなった人もいて痛ましい限り。これって大きな事故の予兆なんじゃないかな。
 労働災害の祖父と呼ばれるハインリッヒが提唱した法則によると「重大事故の陰に29倍の軽度事故と、300倍のニアミスが存在する」のだそうです。いわゆるヒヤリハットの法則ですね。今、起きている軽度の事故(ヘリからの貨物落下は軽度じゃないかもだけど)に何ら対策を取らなければいずれ大勢が死傷する事故が起きると思うのです。
 この国が高度成長期より培ってきた産業文化の中で特に誇っていいのは事故発生率の少なさだと思います。どこの工場に行っても「安全第一」という文字がでかでかと掲げられ、無事故を何日持続しているかが掲示されています。その数字が一つ積み上がるには一人一人が細心の注意を払って安全に配慮し、不安全な行動を取らないようにする必要があります。誰か一人でも迂闊な行動を取ればその数字は一気にゼロに戻ってしまう。そうさせてたまるかという気概があったと思うのです。そういう意味で、この国を豊かにしてきた先輩たちは間違いなくプロでした。
 事故のニュースを見る度に、ここへ来て、その先輩たちの安全を守る意識が十分に後輩に伝授されなくなってきてるのじゃないかな。現場にプロが不在で、右も左も分からない新米が迂闊な行動を取っても叱る人がいなくなってるんじゃないかなと心配になります。
 僕の仕事はシステムエンジニアです。入社したての頃に先輩から「失敗を恐れるな、だが失敗は許されない」と言われたことがあります。当たり前ですよね。ちょっとしたミスでも大量の個人情報が漏洩する事故に繋がったりします。それによって、その被害に遭った方は命を落とすよりひどい目に──残りの人生が大きく歪んでしまうような目に遭うことだってあるのです。だから、本番環境の作業をするときはチェックリストを作って、それを何人もでレビューして、作業をするときは二人以上で1ステップずつ声を出して確認しながら行います。けど、僕もあと数年でリタイア。今から十年後、二十年後に僕の後輩たちが同じことをやってくれているか近頃とみに不安になってきています。万一、たった一人でも「こんな煩雑な手順を踏むのは面倒だ」と手を抜いたらダムはその小さな穴から決壊します。
 事故のニュースを見る度に、後輩たちが「これをやるのは当たり前。なぜなら僕はプロなのだから」と思ってくれるよう厳しくしつけるのが今の僕の使命じゃないかなと思う次第です。

義務を果たす義務

ネットのニュースで「仕事は週2日 年収100万 20代での隠居」といった記事を見かけました。その人は東京の郊外に住んでいて月数万程度の収入で悠々と暮らしていると紹介されています。そのための衣食住はこんな感じ。
衣:着回しの利く服を数着、どこででも売ってるものを持ちそれ以上は購入しない。
食:三食自炊。郊外に住んでいるので道に生えている野草も豊富。材料も非常に安くついているらしい。
住:東京郊外で学生も多く住んでいるエリア、しかも駅徒歩20分で家賃は2万5千円
二十代前半はシャカリキにアルバイトをしてもしても、その大半が家賃や食費に消えていく日々。それが空しくて生活に要らないもの(携帯電話や家電製品など)を削っていきこの生活に至ったとのこと。記事は比較的好意的で誰にでも真似できる暮らしではないけれど、できればかくありたいと言わんばかりの持ち上げようでした。

読み終えて僕が感じたことはただ一つ。「この人は利己主義者だ」ということ。
誰だってしんどいのはいやです。週に2日程度働いてあとは全て自由時間、ぶらぶらして暮らせるならそれは楽ちんでしょう。けどね、ちょっと考えて下さい。貴方だって道路を歩くでしょ、水道の蛇口をひねるでしょ、ちゃんとした家に住んで、電気のある暮らしをしているじゃないですか。それなのに、貴方は社会に対して何も返せていない。
道路も水道も住民が税金を出し合って整備しているのです。ところが年収100万に満たない貴方は所得税を払うこともなくそのファシリティを利用している。道路にしろ、水道にしろ工事作業の方が暑い中、寒い夜、一所懸命に働いて整備しているのです。誰かがそれをやってくれているからそれ以外の人も道路や水道を利用できるのです。けど、それ以外の人だって電車を運転したり、交番に詰めたり、スーパーで物を売ったり、工場で物を作ったりなにがしか社会に貢献しているのです。
この社会は相見互いで成り立っています。社会に溢れる便利なファシリティや仕組みを享受する代わりに何か別のことで社会に貢献しています。そのために人は人生の多くの時間を費やさなければなりません。愚痴をこぼしたくなることだってたくさんあるでしょう。でも、多くの人はそれを呑み込んで寡黙に働いています。
けれど、貴方は税も払っていない。社会に貢献するために自分の時間を費やしてもいない。ただひたすら、自分を可愛がって生きているだけです。
はっきり言えば、この社会に貴方の存在は不要です。そして、道路も橋も水道も電気も貴方に使う権利はありません。貴方がその暮らしを続けたいのであれば、即刻道路も水道もお店も何もない孤島か山奥で原始生活をおくるのが妥当だと僕は考えます。
貴方は別に法を犯していないと主張するかもしれません。確かに刑法も民法も貴方の暮らしに異を唱えることはないでしょう。けれど、貴方は最も根源的な法を犯しています。

日本国憲法では国民に三つの義務を課しています。
第二十六条 その保護する子女に教育を受けさせる義務(この義務教育は無償とする)。
第二十七条 勤労の権利を有し、義務を負ふ。
第三十条  納税の義務。
ご存知ないかもしれないけれど憲法は国民の基本的人権を保障する代わりに三つのことを義務付けているのです。けれど、貴方はどの義務も十分に果たしていない。それが、この社会に貴方は不要であるという根拠であり、利己主義者だという所以です。

記事を読んでいて、こんな暮らしが蔓延したら国が立ちいかなくなるなと思い警鐘を鳴らしたくてこの記事を書きました。それ以前に平然とこんな暮らしをして何の疑問も感じていない貴方に立腹したのでペンを執りました。
人は社会に守られて生きていく限り、社会に貢献するために働く義務があるのですよ。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
↓こちらもよろしく!!
http://diningg2011.web.fc2.com/index.html

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR