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効率化と手抜き

手塩にかける──。常々思うことですが、日本人はこの言葉が大好きみたいです。リスペクト、ではなくフェーバリットに近い感情? この言葉に遭遇すると反射的に恍惚とした表情を浮かべるほどに。

反面、効率化という言葉に対しては反射的に敵意を抱く日本人が少なくありません。表面的には「あ、効率化ね。そうだね。やらなくちゃいけないね」と口にしつつ、その取り組みが遅々として進まない一因は、あからさまにその取り組みに対して消極的だからだと僕は思っています。

個人差はあれ、その傾向は年代が上がるにつれて顕著です。

そうなる心理を考察するに、「効率化する」=「楽をする」、「楽をする」=「罪悪」という思考が働いているのじゃないかしらんという結論が容易に思い浮かびます。
人によっては、更に思考が進んで「楽をする」=「手抜き」という突き抜けた極論にまで至っている人も一定数いる気が僕はしています。

もちろん効率化と手抜きは、本質的に全くの別物です。その極論に走る人達も心の底ではそれは分かっていると思います。けど、わかっちゃいるけどやめられない、止まらない。どうにも抑え切れない衝動が身体の奥底から湧き上がってくるのです。

手を休めるな。汗を流せ。手塩にかけろ。働け、働け、働け……。

湧き上がってくるその囁きは我々の血に刻まれた遺伝子のなせるわざなんじゃないかと僕は常々思っています。

明治になるまで日本人の9割は百姓でした。言うまでもなく、農耕作業は自分が手を動かさなければ何も始まりません。そして作物を収穫するまで、1日たりとも手を止めることは許されません。

羊を放牧したらあとは草を食んでいるのを眺めている牧童とは仕事の本質が違います。獲物を追ってそれを狩れば、後は寝て暮らす狩人の仕事とも別物です。

牧童は日がな一日、羊を眺めているうちに、「あれ? 羊を追うだけだったら、犬にやらせておけば良くなくね?」と思い付きました。牧羊犬の発明──、業務の効率化がなされたのです。

他方、一日中自らが手を動かし続ける百姓の思考が進むことはほとんどありませんでした。来る日も来る日も、何年も何年も、同じやり方を踏襲するのみ。どうすればもっと仕事が楽になるかと言う発想には至らないまま近代を迎え、戦後、外国から画期的な農耕機器がもたらされるまで、「人が手を動かさなければ収穫は訪れない」という発想に囚われたままだったと考察します。

身体の髄にまで染み付いた仕事への想いは遺伝子となって僕らの血の中にも流れています。って、遺伝子とはまた大げさなと思う方もいらっしゃるでしょう。

けどね、江戸時代もその前の時代も煎じ詰めれば遥か昔じゃないのです。幾日か前の「昨日」に過ぎないのですよ。何十万日前か知らないけれどとにかく数を数えられる日数の昨日なのです。

僕らの多くが祖父母の顔を知っているように、僕らの祖父母もその祖父母の顔を知っていました。祖父母の祖父母もまたその祖父母の顔を知っていました。その人たちはリアルタイムで江戸時代を生きていて、子や孫に仕事のあり方を叩き込んでいたのです。教わった子や孫はそのまた子や孫に伝承していき、その突端に僕らがいるのです。

そして歴史は僕らで終わりではありません。僕らもまた子や孫に伝えていくのです。

額に汗して働くことは尊い。楽をすることは罪悪だと。

日本の生産性は先進国の中では最低だとずいぶん前から問題提起されてきました。

小手先の対策を打ったところで容易にこの問題は解決しないんじゃないかしらんと僕が思うのは、僕らの血脈に呪いにも似た因習的遺伝子が刻まれていると考えるからです。

今はそんな時代じゃない。価値観は昔と変わったんだ。声高に反論する人もたくさんいると思います。けどね、そう反論すること自体、古い価値観に未だにこだわっていることを自覚していて、そこから脱却しようとする行為は逆説的に未だ因習的 に囚われていることの査証になりはしないでしょうか。

せめて誰もが有休休暇を何のためらいもなく取ることができる時代が来れば、効率化を図って楽になっても罪悪感を感じなくなるのじゃないかな。

矛盾して聞こえるかもしれませんが、その時こそ、楽になればなっただけ、生産性が上がる時代がやってくると僕は思うのです。
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コツコツが嫌い

コツコツ努力するという言葉が子供の頃からなんか嫌いでした。いや、行為自体は普通に良いことだと思うのですが、語感が苦手なんですよね。なんか歯を食いしばって、怒ったようなあるいは泣きそうな顔をして、それでも一歩一歩進んでいるみたいな。ま、思いっきり偏見ですけどね。

どうせ、努力するなら笑って努力したいというのが僕の信条です。努力を楽しんではいけないなんて法はないですから。

巨人の星やアタックNo.1の影響なのか日本人は努力するときにすぐ根性見せてみろという風潮があるように思います。けどね、断言します。物語の主人公でもない限り、楽しくない努力は早晩続かなくなります。いや、続く人もいるのかもしれませんが僕は無理です。何か言い訳を付けてそのことから遠ざかってやらなくなります。

逆に楽しんでやっていることは続きます。このブログもなんだかんだ言って何年も続いていますし、レシピの記録だってもうすぐ2000に迫る勢いです。

どうしてもやらなければいけないことがあった場合、そしてそれが困難なことであった場合、まず最初にやるべきことはどうやったらそれを楽しめるかを発見することじゃないでしょうか? どうも日本人は困難に立ち向かうときに楽しそうにしてはいけないと考える風潮があるように思うのですがよく考えるとおかしいですよね。

だって、それって誰かの目を意識しているってことですもん。傍から見て「なんだあいつこんな状況なのにヘラヘラ笑いやがって」と指を指されることを気にしているってことですもん。

指したいやつには指させておけば良いじゃないですか。どうせその人が代わりにやってくれるわけじゃなし。やっているのはこっちなのに大きなお世話です。

物事が続かない時、あるいは困難を突き崩せない時、一番に考えるべきはこの状況を如何に楽しむかなのかもしれません。気持ちがポジティブになればまた違う見方もできるでしょうし、何より気持ちが萎えず背中を向けなくなりますから。

職人芸は衰退しました

新しいオーブンレンジを買った時、取説やレシピ本を見て「チート過ぎるやろ」と思ったおぼえがあります。

「材料の入った器を入れてこのボタンを押して下さい。20分後に茶碗蒸しができています」

茶碗蒸しと言えばコンロの火を立ち消える寸前まで弱めた蛍火にしてとろとろ蒸していく料理。火加減が少しでも強いとすが立って残念な食感になるので細心の注意を払う必要があるちょっと難易度の高い和食です。それがボタン1つでなんの勘もコツもいらずに作れるだと! けどね、試しに書いてあるとおりにしてオーブンの蓋を開けるとよくできた茶碗蒸しがそこにあったのです。なんか、悔しい。

19世紀半ば、アメリカにジョン・ヘンリーという黒人労働者がおりました(奴隷だったという説もあります)。彼は大男で最強のハンマー打ちとして鉄道の敷設に従事していました。けど、産業革命の嵐がアメリカ全土に広がっていた頃の話、鉄道会社はとうとう蒸気式のハンマー打ち機を購入してしまうのです。「これさえあれば、人件費がいらなくなるもんね♪」と喜ぶ経営陣と裏腹に労働者たちは恐慌に陥ります。

「やばい。明日にでも解雇されてしまうかも」

そこで立ち上がったのがジョン・ヘンリー。蒸気式ハンマー打ち機に勝負を挑むのです。そして、彼は機械に勝利し、解雇の憂いを払拭しました。が、……。試合後に倒れ心臓麻痺で帰らぬ人となりました。
ジョン・ヘンリーをモチーフにした芝居や小説、音楽は量産され過ぎて、今ではどこまでが史実でどこからが脚色なのかわからなくなっているそうです。ハンマー打ち試合だけでも様々なバリエーションがあってもはや伝説の域なのだとか。

けれど、産業革命期になにがしかそういったエピソードがあったのは間違いのでしょう。
その後も、「これからは電気の時代だ」といわれて、蒸気が駆逐されていったように。「これからは石油の時代だ」といわれて、炭鉱夫が憂き目を見たように。似たようなできごとは幾度となく起き、それまで職場のエースと言われていた人達が一瞬でただのおっさんに成り下がっていったのだと思います。

21世紀になって間もなく20年が過ぎようとしています。近頃はAIという言葉をよく聞きますが、あれは本当にヤバい。ハンマー打ちや炭鉱夫など特定の労働者を失業に追い込んだかつてのパラダイムシフトとは比べ物にならない失職の嵐がやってくると思います。
そもそも人が働くありとあらゆる「職場」というものを不要にしてしまう技術なのです。

コンビニの店員も、電車の運転手も、パイロットも、教師も、医者もAIで事足りるのです。
それは僕が従事しているコンピュータの世界でも同じこと。AIは学習して自分でプログラムを組んでしまいますからプログラマーも必要なくなります。

残る職業があるとすれば、スポーツ選手や俳優のように観客の主観で「やっぱ人間がやるところを見たい」と思わせるものくらいじゃないかな。
芸術家ですらおそらくあと10年、20年で完璧に原作者のテイストを再現した作品を生み出す機械ができてしまいます。

だったら、人間はどうやって収入を得て食べていけば良いんだろうという命題に対するアンサーを僕は未だ持っていません。もしかしたら、働かなくても食べていける時代になるのかもしれないけれど、今すぐにでも自分たちの生活の有り様を考え直す必要があると思います。

AIにはもちろん、素晴らしい一面もあります。なにより絶対にミスをしません。悲惨な事故も医療ミスもボタン1つで美味しい茶碗蒸しができるようにあっけなく霧散するでしょう。

けれど、もしいつかAIが使えなくなってかつての職人芸が求められた時、そこにはもう茶碗蒸しを作れる人は誰もいなくなっているんだろうな。これからやってくる時代が果たしてユートピアなのか、ディストピアなのか正直わからないのですが、かつてない程の岐路に人類が立っていることは間違いないと思います。

ささやかな野望

過日、友人がSNSにこんなつぶやきを投稿していました。

「男の野望、それは一国一城の主になることでも、世界征服でもない!」
「マンガ肉にかぶりつくことである!!」

うーん、わかる気はする。はじめ人間ギャートルズを観て育った子どもたちはあのマンモスのステーキやマンガ肉を豪快に食べてみたいと一度は思ったことでしょう。

かく言う僕も世界征服には興味がありません。世界をあなたにあげます。好きにして下さい。と言われても、「めんどくせぇなぁ」と思うだけだと思います。それどころか、スケールダウンして「だったら、ご町内を……」クラスになったとしても、にべもなく「いらない」と言っちゃいます。

なら僕のささやかな野望は何かと言うと──

風船ガムをふくらませること。

根が不器用なのかいくら噛んでも膨らませられない。というか、どうやって膨らませるのかがわからないのです。子供の頃、アニメの登場人物などがガムを大きく膨らませるのをみてやってみたいなぁと何度思ったことか。けど、ガムのパッケージにも膨らませ方って書かれていないのですよね。

百科事典に載っているとも思えないし、情報に関しては不自由な時代でした。今ならインターネットで調べたらそんなハウトゥもありそうですけどね。
あと、

チェリーの軸を舌先で結ぶ

これもやってみたい。つか、最初にやった人はすごいと思う。

僕にとって野望とは叶えるものであり、叶うとちょっと嬉しいものなのです。なので、世界征服のように叶えても別に嬉しくない野望はいらないかな。そのかわり、何十年も「一度はやってみたい」と思っていたことが半世紀を経て叶う方が何十倍も嬉しい気がします。

けど反面、叶ってしまったらちょっと寂しくて、味気ない気分も味わうんだろうな。

電気グリル鍋の思い出

1月29日は長女の誕生日でお祝いに嫁が肉を送ってきてくれた。
さすがにフライパンで焼いて食べるにはちょっと味気なく眼の前でジュージュー焼きながら戴くべしと思ったので昨夜、電気グリル鍋を買って帰った。

僕が以前、電気グリル鍋を買った日は今でもそらで言えます。

1995年1月19日

阪神大震災の翌々日。忘れろと言われて忘れられる日じゃないっすね。震災があったのは1月17日。その日はまるっとライフラインが止まって電気が復活したのは翌朝。ガスの復活は2ヶ月以上先になりました。

うちの家系はわりとドライで「起きちまったものはしゃーない。で、これからどうするか」という思考にすぐ切り替わります。当時僕は未だ独身で、実家で暮らしていたのですが

「とりあえず、ガスがなくても調理できる器具が要る。なんか買ってきなさい」

というざっくりした指示を母上から受けて大阪まで出かけたのです。実家は六甲。阪急電車は西宮北口までしか動いてなくて、自転車で片道1時間の道のりは遠かったな。車はまるで動かない国道2号線はあちこち電線がぶら下がっていたりして危険極まりなかったし。

んで、西のアキバ、日本橋の電気屋街に到着(当時はそんな呼び名はなかったけど)。お店に入ると見事に調理家電はソルドアウト。ぽつんと残っていたのが電気グリル鍋の箱だったのです。お値段は1万7千円くらいだったかな。とりあえず、値札は無視して店員さんに声をかけました。

「これいくら?」
「✕✕です」

いくらと言われたかは覚えていないけどそれもスルー。

「いや、僕神戸から来てん。ほんまやったら三宮で買えば済む話やねんけどこの状況やん。もうちょっとなんとかならん?」

と、いきなり関西弁全開。

「いやいや、こんだけ売れててちょっとした特需やん。被災者におまけしてくれてもバチ当たらんと思うよ」
「もう一声、往復の電車賃くらい持ってくれてもええんちゃうかな」

際限なく繰り広げられる値切り合戦の末、税込み1万円ぽっきりに値切り倒しました。ついでに、その店の会員カードも無料で作ってもらったし。

それから当分、実家では焼き肉やら何やらをつつきながら酒盛りをする毎日が続きました。前々年に亡くなった祖母が漬けていた梅酒が奇跡的に割れずに生き残っていたのだ。20瓶くらい。

あれから24年。長女のリクエストでたこ焼きプレートも付いているやつを買って帰ったのが昨夜、いきなりたこ焼きを作りたいという長女に

「いや、たこ焼き粉はあるけどタコがないよ」

というと

「え、タコなんか入れるの?」

と長女。……。今日日のたこ焼きパーティは必ずしもタコを必要としないらしい。いや、それ既にたこ焼きじゃないし。

プロフィール

choal29

Author:choal29
食べることが大好きで料理をすることも大好きなシステムエンジニアです。 料理は年々マニアックになってきていて、近頃はamazonからレシピ本など出しております。
詳しくはhttps://www.amazon.co.jp/ref=nav_logo で「五島 悠介」を検索してね。

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