消息は探さない

年々賀状を書いていて思うこと。送り先が年上がめっきり減って年下が増えていること。
新入社員の頃は同期か先輩方ばかりだった年賀状も、こっちがいいおっさんになった今は差し出すのは後輩ばかり。随分目減りした先輩方は既に職場をリタイアされた方がほとんど。30年前はそんな想像力を働かせたことはなかったけど当たり前といえば当たり前ですわね。
中には賀状すら交わさなくなった人もいて「どうしてるかな」と時々考えることがあります。ネット時代の凄いところというかほとんど脅威と呼べるのはそういった人の消息が案外追えること。意図的に消息を隠していなければ案外にSNSで検索するとヒットしたりするものです。本人にヒットしなくても知人に「彼(彼女)どうしてる?」ってメッセージを打てば数分で答えが返ってくる。便利になったのか不自由になったのかよくわからないな。けど、基本的に僕は「どうしてるかな」と思っても消息は追わないことにしています。五十半ばというお年頃になると返ってくるのが嬉しい便りとは限らない。思わぬ訃報に出くわすこともままある話。その点、「どうしてるかな」と思って止めておけば僕の中ではその人はどこか遠くで元気にしてるだろうと思えますから。
大学時代に通い慣らした居酒屋のご主人(お爺ちゃんとお婆ちゃん)。社会人になって十年ばかり通いつめた居酒屋のお母さん。きっと消息を聞いたら嬉しい便りが聞けることはないだろうなと思って連絡を取ったり店に顔を出したりするのは控えております。つまらない感傷とわかっていても消息を尋ねなければもしかしてどこかで元気にしておられるかもと思っていられるから。けど、ふと周りを見渡せば横浜に来てからできた知人がそれなりにいて彼らとわやわや言いながら酒が飲める日々。僕自身は幸福な人生を歩めているなと感謝すること仕切りです。
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文化の輸出はいかが?

古くはクリスマス、近くはハローウィン。日本人って、外国のイベントを輸入して独自のお祭りに変遷させるのが好きですよね。そのわりには日本のイベントを外国に輸出することには無関心だし、積極的でもないよなぁとふと思いました。
こち亀でこのネタを扱っていて、両さんがひな祭りや端午の節句を欧米にプロモーションする話があります。狙いは雛人形や五月人形を売って大儲けすること ハリウッドの富裕層に取り入ったり映画にそんなシーンを挿入したり、五月人形にアメリカ人の好きな忍者のフィギュアを混ぜてみたり(をい)と大活躍。3月3日や5月5日は欧米で一大イベントの日となります。ちょっと無理があるような気はするけど実現したら面白いなと思わせる絵柄になってました。
現実にはそういった日本のイベントを輸出しようとする人がなかなかいませんが、その理由は我々自身が「日本のイベントは古臭い、垢抜けていない、こんなのウケるわけがない」と思ってるからじゃないでしょうか? けど、欧米で日本の文化が注目を浴びている今ならアジアの神秘として案外いい線行く気がするんだけどな。
日本が大好きな外国人の掲示板というのがあってそれを覗くとひな祭りや端午の節句以上に彼らが羨ましがっている日本のイベントがあります。それは「学園祭」。ん? あれがどうした? と聞かれそうですが、実は学校をあげて生徒が主体的に仕切るああ言ったイベントはどこの国にもなく、日本独自のものらしいんですよね。特に今はクールジャパン効果で日本の学園アニメは世界の人が観ていますから学園祭の認知度も飛躍的に高いらしい。このイベントをもっと積極的に輸出したら凄いことが起きないかな?
確かに外国で学園祭をやるようになっても、雛人形や五月人形のように日本産のモノが売れるわけではありません。けど、日本に来る外国人を更に増やして外貨を稼ぐことはできるかも。学園祭はどこもだいたい10月頃、秋にやるイベントですので、「本場、日本の学園祭を見に行こう」みたいなツアーを組んだりして。あるいは、海外の学園祭文化が本格化すればコンサル業が商売として成り立つかも。企画のアドバイスをしたり、運営を手伝ったり。ノウハウを伝授するわけですね。それを日本の高校生がやれば国際交流にもなります。

誰に言われたわけでもないのに、ハロウィーンは日本に定着してしまいました(ま、実際は仕掛け人がいそうですが)。今度は文化の輸出で儲けるという発想もありなのではとふと思った次第です。

ビューティフル・ドリーマー

劇場公開は1984年ですからもう30年以上前の作品になります。けれど、未だに様々な劇場アニメのランキングで必ずと言っていいほどベスト3に食い込むモンスター作品があります。
押井守監督作品「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」。
これをうる星やつらシリーズで撮る意味を取り沙汰されたり(高橋留美子は激怒したとの逸話もあったり、押井守は今作を最後にTVシリーズも降板したり)、してますが一級の映画作品であることは間違いない名作です。
気がつくと毎日毎日、学園祭前日を繰り返していることに気付いたことを皮切りに諸星あたる達は夢の迷宮をさまようことになります(ほとんど無思考でその夢の中ライフを楽しんじゃうあたり彼ららしいのですが)。覚めても醒めても、それが夢でない保証はなく。エンディングに映り込んだ校舎の階数が現実と違っていたという念の入りよう(結局、それも夢じゃん)。同じ夢を扱ったパプリカ(筒井康隆原作だよ)とはアプローチは違うものの、自分が立っている地面が音もなく崩れ落ちていくような不安に観る者を誘う作品でした。

投薬治療で熱発。さすがに酒はまずいだろうと思い素面で19時に就寝。朝5時にスマフォのアラームが鳴るまでにどれだけの夢を見たのかしらん。一番強烈に覚えているのは家人に「8時過ぎたけど起きなくて良いの」と揺り起こされたやつ。「いや、今日は休暇を取ってるから」と言いながら布団からのそのそ起き出すと次女がテレビの前に陣取って恐竜とバトルの最中。「おい君は学校はどうした」なんて言ってる間にはっと目が覚めました。気が付けばベッドの上で外は真っ暗。もちろん部屋には家人も娘もおらず僕ひとりだけ。なんとも言えない寂寥感を感じました。
作中、クライマックスであたるが目覚めるとラムがコールドリープの機械故障で取り返しのつかない状況になっていることに愕然とするシーンがあるのですが、それも夢だと知れた時の気持の真逆でしょうか。たかが、夢、されど夢。夢の中で起きることは現実ではないけれど夢の中で想うことは夢を見る人に取って現実以外の何物でもないよなぁと再認識した次第です。

stand aloneできない人々

日露戦争を舞台にしたドラマ「坂の上の雲」にちょっとハマっています。主題歌のstand aloneも美しい。相変わらず、久石譲さんは素敵な楽曲を生み出しますね。
ところで、僕らSEにとってstand aloneと聞いてすぐに思い浮かぶのはネットからも切り離された環境で独自に機能するサーバのこと。これをstand aloneサーバと言います。他のサーバがないと機能しないサーバの対語で、漢字で書くと自律したサーバと呼ばれます。
更にところで、浅田次郎氏が90年代に書かれたエッセーに一人の日本人青年が登場します。氏がアメリカに旅行されていた時のこと、飛行機が遅延してトランジットが巧くいかなくなったらしいのです。空港で見かけたその青年は所在なげにぽつんと立っていたそうで、氏が「どうした?」と聞くとホッとした顔になって「僕はどうしたら良いんでしょう?」と聞いてきた。俺が声をかけなかったらこの青年は誰かが助けてくれるまでずっとここに立っていたんだろうかと危ぶんだとエッセーには書かれています。青年に代わってカウンターで交渉していた時、たまたま隣に日本の基地に帰還する米兵がいたので青年の身柄を預けたそうで、それでも何も言葉を発しない青年に氏はひとくさり説教をくれてやったとか。「こういう時は礼のひとつも言うもんじゃねぇのかい」。それでもまだピンと来ていない青年に呆れ、そういう青年を育ててしまった時代に危惧を感じているとエッセーは結ばれています。
長いこと日本で暮らすと異常事態に対して鈍感な子供たちが増えるのでしょうか? きっと、誰かがなんとかしてくれると思い込んで、実際添乗員的な誰かが「はい、みなさんこっちですよ」と安全な方に誘導してくれるのが日本です。自衛隊も警察も救急隊員も優秀で職業意識が高いので自分が何をしなくてもなんとかなっちゃうのがこの国です。けどね、それは世界共通じゃない。自分でなんとかしない限りなんともならない国のほうが大半を占めるのです。
氏のエッセーから20年。ネットで「上司が無能」、「会社のトップが悪い」、「政治家がひどい」というつぶやきを見る度にため息が出ます。じゃあ、僕は悪くないと主張する君はどうしようとしているんだ? と聴きたくなります。事態はこの20年で深刻化しているのかも。
坂の上の雲の時代、日本は世界から見たら上京したての子供のようでした。産業革命の恩恵に預かって近代国家を築き始めたばかりの子供──列強はこの国から利権を吸い上げようと手ぐすね引いている、そんな時代でした。ぼんやり立っていたって誰も何もしてくれない。それどころか見知らぬ大人に財布を掠め取られても、置き引きに遭ってもぼんやりしているお前が悪いといわれるような時代でした。だから上京したてだった子供は上京したその日から子供であることをやめて、自らの足で立ったのです。そんな父祖の時代を思いやれば今の子供たちを見てため息の一つも出るのは自明でしょう。
震災の時の振る舞いを見る限り案外心配する必要がないんじゃないかと言う気もします。けれど、あの時、踏ん張れたのは大人が大人として振る舞ったからじゃないでしょうか。あの異常事態のさなかでも黙々とネットにつぶやきを書き込むだけでどこかの誰かがなんとかしてくれるのをぼんやりと待っていた子供が数多いたのではないでしょうか?
オリンピックの気運が追い風となってこの国を訪れる外国人はますます増えます。住みたがっている人達も大勢いると思います。いつまでも、単一民族の島国ではいられなくなり、本当のグローバル社会がやってきます。彼らは彼らの常識で行動しますから、それがもとでトラブルが起きることもあるでしょう。そんな時、誰かが手を差し伸べなくても自分でなんとかできる人たれ。日露戦争の時代とは違った意味で自律が求められる時代が来ているんだと思います。

宴とパーティ

畳に座って呑むお座敷スタイルだからなのか、はたまた民族性の違いなのか。この国の宴会と映画などで観るアメリカやヨーロッパのパーティーって同じ酒席のはずなのにがらりと雰囲気が違う気がします。
言ってしまえば、日本の宴会って天岩戸の前でアメノウズメノミコトのストリップを囲んで神様が盛り上がっていた頃のスタイルから毛筋ほども変わっていない気がするんですよね。省みて、映画の中のホームパーティでは男も女もしゃんとした服装をしていて酒も飲んでいるのですがあくまでも会話を楽しんでいる感じ。無秩序と秩序の差が歴然とある気がします。(ま、登場人物にぐでんぐでんになられてはストーリーが進まないのですが)
僕は日本の宴会スタイル自体は嫌いではないですが曲解された無礼講は大嫌いです。酔ってたから仕方がない、酒の席だから仕方がないと暑苦しい理屈を押し付けてくる昭和的発想。部下を罵倒したり、女性に抱きついたり、とにかく誰かを嫌な気分にさせる酒席ほど嫌な気分になるものはありません。

高校の頃に通っていた予備校の英語の先生が欧米のホームパーティのルールについて解説してくれたことがあります。まず、出席者全員の心得として知っておくべき会話のタブー。この3つの話題に触れてはいけないという不文律があるそうです。
政治の話題
宗教の話題
talking about shop
はわかりやすいですよね。下手したら血の雨が降ります。は「店について話す」という意味ではありません。これは慣用句で「仕事の話をする」と訳します。ほぼ間違いなく、自慢話か愚痴になりますし、同じ職種じゃなければ聴いていても「ふーん」としか言いようがない話題だからです。日本人に徹底的に欠けているのはこのtalking about shopに対する禁忌感だと想うんですよね。実際、僕の部下にもいましたが「酒の席でくらい仕事の愚痴を言わせて下さいよ」なんて平気で言う。それ聞かされて呑む酒が旨いと思うか? と言ってやりたかったです(大人げないから止めましたが)。
その上で、ホストとホステス(招待主の夫婦)は招待客に楽しんでもらうためにしっかり事前調査を行います。どんな料理を好むのか、どんな趣味を持っていてどういう話題が好きなのか、どういう話は嫌いなのか。それに基づいて料理を差配し、当日は特定の誰かばかりがしゃべっていないように、寡黙な客にも水を向ける気配りをするのだそうです。
高校時代に聞かされたこの話は35年経った今も僕の中で活きていて、昨日のブログに書いたように僕が宴会の幹事をやるのなら気にかけるポイントになっています。

なので、僕は未だに無礼講を旗印にしたような宴会への出席は苦手です(それも仕事ですから出席はしますけど)。本格的なグローバル社会の幕が開けたばかりのこの国ですが、宴会のスタイルもあちらのパーティの良いところを吸収してより良く転換していってくれると良いなと思ってやみません。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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