作家でごはん

昔、ライトノベル作法研究所というサイトにお世話になったことがあります。サイト名だけ見るとオタクっぽい印象がありますが、わりとガチにエンタメ系の小説を構築する方法論が丁寧に紹介されていて非常に勉強になりました。このサイトの1コーナーに小説の投稿サイトのリンク集があったのですが、その中に「作家でごはん」というサイトが紹介されていました。
「本気で作家を目指す人たちが集まり、意見を交換するためのサイト」とあって、数ある投稿サイトの中でもガチの作家の卵(一日の多くの時間を執筆に費やしているような人たち)やセミプロが集まってくることで定評のあるサイトのようでした。投稿コーナーは鍛錬場と呼ばれて、ここに投稿すればそういった人達から書評を投げてもらえるという仕組み。但し、「初めて小説を書いてみました、お手柔らかにね」なんて作品を投稿しようものなら「ここは貴様のような者が来るところではない」と袋叩きに遭うのは必至、そうとうな自信作でもそれこそ重箱の隅をつつくような辛辣な意見が並ぶよと恐ろし気な但し書きがしてありました。
根が臆病者なので存在は知っていながら長らく足が向かなかったサイトなのですが、満を持して仕上げた六百数十枚の短編連作小説が公募の一次選考に落っこちてしまったのをきっかけに、その鍛錬場を覗いてみることにしたのです。おこがましい言い方ですが、その小説は知人の間では評判が良く「早く続きを読ませろ」と催促されながらせっせと書いたこともあり、審査に納得がいってなかったのですね。何が悪かったのか知りたいし、そのためには罵声を浴びるくらい屁でもないと自分を鼓舞して第一話を投稿してみました。
投稿して最初に付いた書評は好評で、「なんだ噂と違ってちょろいじゃん」などと正直鼻で笑いたい気分になりました。が、……。時を置かずして来るわ来るわ。酷評のオンパレード。曰く
・視点が定まらないから悪酔いしそうになる。
・居酒屋の人情噺、コメディ、ミステリーなどジャンルを詰め込み過ぎて闇鍋を食わされている気分になる。
・ミステリーと銘打つならくだくだと料理の描写など書いてるんじゃねぇよ。謎解きに移行するまでに寝そうになった。
などなど。もちろん、好意的な書評も戴いて「続きを楽しみにしてます」なんて嬉しい言葉も戴けたのですが、全体では半々くらいだったかな。それでも、噂に違わず感想文のようなコメントは皆無でどのコメントも具体的で、もっとこうした方が良いという改善案も付いていて一定レベル以上の書き手、読み手による書評でした。
1度投稿すると、2週間間を空けないといけないルールなので、全7話を投稿し終えるまでには3か月ほどを要したのですが、回を重ねるうちにわかってきたことがあります。僕の小説は小説の体をなしてはいるけれど、商業小説になっていない。ストーリー展開にしろ、キャラの構築にしろ、ただなんとなく、それなりにやっているだけでアマチュアの域を出ていないのだと気付きました。
中に非常に感情的なコメントを書かれる方がいらっしゃって「僕はくだくだしい料理の描写なんか読みたくない。キャラクタも似たり寄ったりでまるで立ってない。もっとラノベ的なキャラをなぜ登場させないの」と言った調子。平たくいうと「僕が読みたくないものは書くな。僕が読みたい物だけ書け」と言っているようでした。コメントの文章は稚拙で誤字脱字だらけ、恐らくは二十代、下手すると十代の経験の浅い書き手という印象を受けました。
最初は僕もカツンと来て、だったら読むなよ。あんたのためだけに書いてるんじゃねぇよ。と思ったものです。でもね、回を重ねるうちにこの人はどうして、怒ってるんだろう? なんで、こう感じたんだろう。僕の小説のどこに反発を覚えさせる要素があったんだろう? と思うようになりました。で、彼のコメントを徹底的に分析して、小説を読み直してみたんです。すると、見えてきました。僕が読ませたいと思っていることと、この読者が読みたいと思っていることのギャップが。その時、僕は完成品の短編連作を投稿してしまったことを後悔しました。短編連作は各話が独立した物語ではなく密接に連携し合っている構成になっています。彼のコメントを反映してあげたかったけど、書き直してしまうとそれまでに投稿した話、これから投稿する話との整合が取れなくなってしまう。めげずにコメントを寄せてくれる彼に申し訳ないと思いながら(実際コメントのお返事にそういった言い訳も書きながら)、僕は最後まで投稿しました。
お褒め戴いたコメントは非常に励みになりましたし、勇気がもらえました。けれど、一番勉強させてもらえたのは辛辣な批評コメントだったと思います。この投稿を通じて僕は生まれて初めて身びいき抜きの赤の他人さまの意見に触れました。そして、彼らが僕の小説に何を求めているかの片りんを掴むことができました。
あれから、ラジオドラマの原作公募で人生初の優秀賞(202作品中次点)を戴いたり、応募数が最大規模の地方文学賞の一次選考を抜けたり(千数十作から選ばれた五十作に残りました)、まだまだ途上ですが、少しずつではありますが前に進めている気がします。もし、作家でごはんというサイトを訪れ自作を投稿しなかったら僕は今でも生の読者が何を求めているか知らないまま無為に原稿用紙を埋めていたに違いないと思います。縁は異なものと申しますが、かのサイトとコメントを寄せて下さった全ての方に感謝を込めて。
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スマートな表現

小説でもドラマでも説明的な表現というのは見るものをシラケさせます。
たとえば、主人公とヒロインが新婚ほやほやだということを説明するのに
「楽しかった。ハネムーンがハワイなんて最高だわ」
とヒロインにしゃべらせたとしたらどうでしょう? このセリフを言われている主人公はそのハワイにハネムーンで行って来たばかりの当事者です。今更、「ハネムーン」だとか「ハワイ」だとか言われるのは極めて不自然でそれが観客をシラケさせる原因になります。
巨匠ヒッチコック監督はこの状況説明をたった2行のト書きで実現しました。

窓際にバラを活けた花瓶がある。
花瓶には結婚おめでとうと書かれたカードが立てかけてある。

シーンにして恐らく3秒、カードのアップがあったとしても5秒で全ての説明が付きます。バラの鮮度から見て活けられて間がないこと、結婚おめでとうなんて書かれたカードを飾るのは新婚さんしかいないこと。その2点から二人が式を挙げて間がないことが自然に理解できます。スマートな表現というのは総じて端的で自然なものじゃないかなと僕は思います。それは演出だけでなく演技にも言えることで、例えば悲しい場面で泣いて見せるというのは時に観客をシラケさせたりドン引きさせたりするリスクを負います。なぜなら、現実の世界ではいい大人が悲しがって泣くことはまれだから。大抵の場合はその悲しみを飲み込んで泣くまいとして取り繕おうとするから。ある人は気丈に振舞ったり、努めて明るくはしゃいだり、ある種挙動不審に陥ったり。それでも涙は見せない。その方がぐっとくる場合は多いのです。
だって、その状況が主人公に悲しみを与えていることなんて観客はみんな知っているから。その痛々しいまでの振舞に、「もう、泣いちゃえば良いのに」と思いながら、それでも涙を見せまいとする主人公に観客は共感するものなのです。
ただ、こういう現実に近い自然な表現が求められるようになったのは日本では割と最近のように思います。少なくとも戦後すぐの頃の映画では子役は大人が求める頑是ない子供像をストレートに演じることがもてはやされてたんじゃないかな。たとえば、あけすけなセリフをはきはきと口にさせることで無邪気を演出したり、悲しい場面ではなりふり構わず大泣きさせたりしていたきらいがありました。それは恐らく、日本には型を重んじる歌舞伎という演劇文化があってその延長線上に映画の文化が築かれたことに由来するのではないでしょうか? それが時代が下るにしたがって西洋風の演出、演技手法が取り入れられるようになっていった気がします。僕は決して歌舞伎の型を否定するつもりはありませんが、どちらが洗練された演出かと問われれば今風の自然で端的な演出の方かなと思う派です。

無限ループって……

「何言ってんスか絵麻先輩。怖いのは脚本家になれないことです!」
アニメSHIROBAKO、脚本家志望のりーちゃんのセリフです。自分が書いた台本を声優さんに読まれると思うと怖くならない? と訊かれた時の返事なのですが、物つくりを目指す人間なら肝に銘じないといけない一言だよなぁと思います。
小説家や脚本家なんていうものはなりたいと思った瞬間になってるものだという人がいます。ただ、それで食べられるかどうかは別の話で、食べていくためには寝食を惜しんで努力する必要があります。その努力は、したからといってなれる保証はどこにもない類の努力なのでかなりメンタルがタフでないとやっていけません。けど、メンタルがタフだからと言ってその努力が報われる保証はない。無限ループって怖くね? とでも言いたくなりますよね。
何度自分を焚きつけても執筆から逃げようとしてしまう自分の戒めとして自分宛てにひとこと。

日々の雑事に忙殺されて書かない日が続いている。今日も明日も、「ああ、また書けなかった」と嘆く日々は一見無限ループに見えるかもしれない。でもそれは幻想です。そんな生活が無限に続くわけがない。やがて老いて朽ちれば無限に見えたループは途切れるのは知れ切ったこと。そこんとこ肝に銘じなきゃダメでしょ。ちょっと、セルフ叱責モードのブログでした。

情報量と構成力

昨年の冬アニメ「昭和元禄落語心中」を視聴。まだ、1話目ですがたっぷり噺も聴かせてくれてドラマ性もある、面白くなりそうな臭いがぷんぷんします。何よりずいぶん長いこと観たと思ったのにそれほど時間が経っていないのに何度も驚かされました。なんでだろうと、つらつら思ったのですが1カット、1カットに込められる情報量がべらぼうに多いんですよね。だから数カットしか観ていなくても何十カットも観た気になる。
この感覚、経験したことがあるなとふと思い記憶をまさぐりました。京極夏彦の処女作「姑獲鳥の夏」。その後、京極のファンになり彼のシリーズ作品はほぼ全部読んでいますが本作が彼との出会いでした。
衝撃的だったなぁ。ノベルスのサイズなのにずっしり重い。普通のノベルスの2倍か2.5倍くらいの厚みのあるメガ本。一見して原稿用紙換算7、800枚はあると見ました。なのに読み始めると進む進む。あっという間に読了。衝撃的な結末の余韻に浸りながらしばし呆然としたものです。
誰かが彼の作品を評して「千枚の長編を数十枚の短編のように読ませる」と言ったそうですが、正鵠を射た書評だと思います。情報量がとてつもなく多いのに、それがすっきり整理されていて読む者の腑にすとんと落ちる。凄まじくそれでいて小気味良いまでの構成力を持った作家だと思います。

下手な作り手が情報量を詰め込むと雑多に詰め込まれたおもちゃ箱みたいになって読み手が咀嚼するのに苦労をかけます。以前、僕が書いた600枚ばかりの短編連作なんかがその悪い見本だったよなぁと反省しきり。だからこそ、「100調べて10で書く」なんて言われたりするのですが、別のアプローチもあるんだよと京極の作品は示してくれました。これでもか、これでもかと情報を詰め込む。ただ、それぞれの情報を提示されるタイミングが緻密に計算されていてすっきりまとまっているので読者が違和感を感じない。誰にでもできる芸当ではないですがそういう書き方もあるんだなと勉強させてもらいました。
昭和元禄落語心中は2話目から過去編、1話の現代編はいわばプロローグでこれからが本編のようです。ずっしりと手重りするのに開けばするすると情報の奔流がなだれ込む、そんな物語を期待します。

完成品の楽屋裏

イマドキの言葉を使うと意識高い系というのでしょうか、半年に一度の部下との面談に臨むと「昇格したい」というオーラ剥きだしで臨んでくる子がいます。うちの会社の場合、担当者がまず目指す役職は主任ということになるのですが、彼らの言い分が面白いくらい画一的で「××さんが主任なのなら僕だってできます」という論旨なのですね。ここでいう××さんは誰もが認めるできない人だったりします
気持ちはとてもわかるんですよ。人事は公平であるべきです。でも、人事制度は公平じゃない。その時々の会社の業績や将来的な展望に合わせて引き締められたり、緩やかだったりします。どの時期に昇格に挑むことになるかは、これは運、不運としか言いようがないと思います。
で、そんな子達に僕はこう返すようにしています。「君が今まで見てきた中で一番凄いと思う主任をイメージしなさい。その人と同じ振る舞いができていてそれでも昇格できなければ、僕は真剣に上と掛け合える」

僕も含めて人は自分に甘いものです。「これくらいできたんだから、もう良いんじゃないかな。もう十分じゃないかな」とすぐ自分の限界に妥協を見出そうとします。
小説を書いている時にもこの傾向は顕著に表れ、長い時間をかけて仕上げた原稿を眺めていると推敲する前から「もう、これが完成品で良いんじゃないのかな」なんてムシの良いことを考えたりするものです。ま、少し時間を空けて読み返せば随所に粗が見えてくるので「あれを完成品というなんておこがましい」と自省するのですが。
で、小説の執筆作業は実はここからが本番なのです。読者的視点に立ってどれだけ完成度を上げていくかが勝負。確かに書き慣れてくると最初から80点の原稿が起こせるかもしれない、けどそこからあと20点引き上げるのは至難の業です。ましてや更に20点積んで120点の原稿にするのはひたすら「自分に甘い自分」との闘いになります。
「もう良いじゃん」とか「これ以上いじると(行き詰って来ると「直す」ではなく「いじる」とか言いだします)逆に悪くなるよ」という悪魔の囁きと闘い、より高みを目指すには特別な意思が必要です。例えば僕はこんな風に自分に言い聞かせるかな。

「この作品と宮崎駿の作品を比べたら完成度はどっちが高い?」

狂気ともいえる執念で一切の妥協を許さない彼の制作姿勢にお前は比肩できているのか? と問われればまだまだ首肯できるわけがないのです。時にネットに投稿して第三者の厳しい意見に晒してみたり、数十枚の短編を書くのに百枚以上のボツ原稿の山を築いたり、あがいてあがいて初めてその作品は完成品と呼んでも差し支えないと思えるようになるのです(それでも、「完成品と呼ぶにふさわしい」とはまだ言えなかったりします)。
主任昇格も小説を完成させることも楽屋裏であがきにあがいて研鑽してこそ得られるもの。宮崎駿の執念をお手本に今日も鉛筆を握ります(あ、未だに僕は鉛筆と消しゴムで原稿を書くのです)。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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