夢日記

引き続き、素面で就寝しているため夢多き夜。
物語を作る仕事や趣味を持つ人はそのネタを集めるのに種々工夫するのですが、よく聞く技法の一つに夢日記というのがあります。枕元にノートと筆記具を用意しておき、目が覚めたらすぐに今見た夢を記録しておくという方法。夢というのはその場では鮮明に覚えていてもあっという間に忘れてしまうものなので起き抜けが肝心なのです。
何度かやったことはあるのですが、僕の場合はろくなネタが集まったことがありません。飲み屋のカウンターのバカ話と同じでその場では直木賞物の面白い話に感じたりするのですが、はっきりと目が覚めてみると(しらふに戻ってみると)何が面白いかさっぱりわからない話だったりする。その点、昨夜の夢はどうだったのでしょう。
寝入りばなに見た夢は家人に聞かせられないような艶っぽい夢。僕はまだ二十代でひなびた旅館で4つ年上の幼馴染の女の子と再会するというシチュエーション。確かに僕が3つ、4つの頃に近所に小学校に上がったばかりの女の子がいてよく遊んでもらってました。彼女はわりとすぐに引っ越していってしまったのでその後、50年の人生で接点は全くないのですがよく夢の中に出てきたよな。柔らかな唇も僕の腕の中で身動ぎする細い躰の感触も浅い夢から醒めてもしばらく遺っているほどリアルな夢でした。
それからいくつかの夢をさまよった後、月夜を歩く夢を見ました。その夜はいわゆるスーパームーン、夜道は青い光を浴びて昼のように明るかった。阪急電車の線路脇を歩く僕の耳に唐突な汽笛の音、振り返ると機関車が轟音を響かせて走ってくる。しきりに汽笛を鳴らしながら「ああ、楽しい。ああ、楽しい」と歌うように声をたてるシュールな機関車(をい)。その巨体は僕のわきを過ぎると空へと舞い上がっていったのです。というところで、場面は転換して僕の友人にこの実体験(?)を物語にしたいと熱く語る僕。そんな素っ頓狂な話がウケるものかと嗤う友人。
「いや、そのままだったら確かに荒唐無稽だし、陳腐でもあろうさ。けど、物語を脚色するのは書き手の技量。たとえば、こんな話ならどうよ」
と、プロットを語ったのです。
ここからは夢日記の抜粋です。
タイトル「月夜の奇跡」
展開プロット
スーパームーンの夜、3人の人物が夜道を歩いている。(恋に悩む主人公、いじめられて怪我をしている小学生、ギャンブルで借金苦の男)
三人は月のスポットライトの中、線路を機関車が走っていくのを見る。
その後、三人は機関車の置き土産に不思議なグッズを手に入れる。(主人公には魔法の薬(それを飲んで話せば相手は必ずそれを肯定する(愛の告白に効果的)。但し一回しか効かない、といわれるが効果の程は怪しい)、小学生にはヒーローの変身バッジぽいもの、ギャンブル男にはよくできたおもちゃの札束)
彼らはすぐにそれを捨てようとするが蒸気機関車の情景を思い出してなんとなく捨てられずにいる。
→そこから本当の奇跡が3人に起こる。
テーマ:奇跡は人を助けるためには起こらない。行動を起こすきっかけとして起きる。本当に奇跡を起こすのは常にその人の行動である。
夢日記抜粋おわり
久しぶりに夢日記を付けてしまいました。僕が記録したのは幻想的な機関車の夢ではなく、その後友人に語った、脚色プランの部分。読み返すとありがちで陳腐なお話なのですが、よく夢の中であの荒唐無稽な機関車の夢をこのプロットにまとめたよなとちょっと感心したのでブログに書いておきます。
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ディレクターズ・カットの想い

以前、某私立大学のアセスメント誌のお手伝いをしたことがあります。その大学では数年に一度学生たちに意識調査、実勢調査を目的としたアセスメント(アンケートのことです)を行っていて、それが丁度30周年を迎えるので学生たちの意識や暮らしぶりがどう変化してきたかをまとめた書籍を作ろうという企画にお声がけ頂いたのです。僕の仕事は5つの時点(1976年から2010年までのアセスメントを行った年)を舞台にその時代の学生を主人公にした短編小説を5本書くというものでした。1本原稿用紙40枚。5本で200枚のボリューム。プロットやキャラクター設定は大学の先生方が考え、それを元に文章を起こすというスタイルでした。正月に親戚が集まった際に妹から「おもしろかった」と言ってもらって書いた本人も「そういえばそういうの書いたなぁ」と思い出し(をい)、昨夜読み返してみました。
自分で言うのもなんですが、結構面白い。けど、不満がないわけじゃない。まず一つは小説とは無縁の大学の先生方がプロットを起こしたりキャラクター設定をやるというのに無理がありすぎたのです。俗につまんない小説を揶揄して「やおい」なんて申したりします。「山なし、オチなし、意味なし」の略なのですが酷いプロットになると主人公が部屋から一歩も出ずに誰とも会話もせずにただひたすら夢想してるだけなんてのもありました。これでどうしろと? 40枚も何を書けと? と、途方に暮れたものです。で、結局、時代背景が2010年だったのでネットを使って関学のOB、OGと交流していくというプロットに落とし込みました(家からは一歩も出ていないし、人とも「会話」はしていないのでプロットはキープしていると開き直ったのです)。キャラ設定もフリーフォーマットでは書きづらいだろうと性別とか年齢とか容姿とか性格とか好物/嫌いなものなどポイントになる要件を記入できるフォーマットをこちらで用意したのですが、記入された回答を見て目が点になりました。容姿「中の上」……。あの、髪型(長いか短いかとか)、顔立ち(丸顔、面長とか)、目元に特徴があるとか、指が手タレができるくらい綺麗とかそういうことを書いてほしかったのですが。
かなり四苦八苦しながら、当の先生方とメールで議論をしながら煮詰めていき、なんとか形にできた時は嬉しかったな。で、もう一つの不満は入稿した後の校閲にありました。確かに大学が発行する書籍ですから偏った意見を書くとまずいでしょう(それが大学の意見ということになりますから)。けど、とある先生にはギャグやライトな場面を徹底的に刈り込まれてあれには納得いきませんでした。だって、しまいに返ってきた校閲理由が「わしは今の学生言葉が嫌いだから」なんですもん。いやいやいや、あなたにそれを喋れとは言ってない。喋るのはあくまでも物語に登場するイマドキの学生だし、その学生が妙に硬い言葉遣いをしたら読者が却って違和感を覚えるでしょうが。最終的に出来上がった原稿は無難だけど僕に言わせれば面白みにかける小説に落ち着いた気がします。

映画の世界ではディレクターズ・カットという言葉があります。諸般の事情でやむなく編集時にカットされたシーンなどを監督が見直して「この作品の理想形はこうなります」と再編集した版を別上映したり、DVDで販売したりしたものを指します。アメリカでは映画の編集権は慣例的にプロデューサーが握っているらしく、尺の長さや興行成績を優先するあまり時には監督の目が点になるような編集をされてしまうこともあるらしいのです。そんな時の監督のぐぬぬぬという想いを身をもって体験したんだなぁ──某大学の仕事を振り返って思い出しました。当時の原稿は初稿から全部持っていますし、いっそ僕もディレクターズ・カットを作ってみようかな

「それからどうしたの?」症候群

6年ほど前、阪急電車という映画がありました。阪急今津線に乗降する人々の人間模様をオムニバスチックな物語で、時にお互いの人生を交錯させながら描いた佳作です。舞台になった阪急今津線はまさに自分が住んでいたエリアということもあり親近感が湧いて映画館に足を運んだ記憶があります。原作は有川浩。恋愛小説などを書かせると滅法巧い作家さんです。
自分はほっこりした読後感にひたれたのですが、嫁はこの本を読み終えた時、一言こう発しました。

「で?」

いやいやいや。このお話はね、日々の生活の中で落ち込むこともあるけれど、ちょっと良いことがあったり、人から勇気をもらって明日もまたがんばろーってタイプの話ですよ。それに何かオチを求めるのは如何なものか
ネットの映画レビューや小説レビューを読んでいるとたまにこういうタイプの批評を見かけます。煎じ詰めれば「もっと物語を」と言いたいのでしょうか。せっかく楽しんでるところだったのに終わっちゃうなんてひどい。彼らがこのあとどうなっていったのかもっと知りたい。あれはどうなったの? これはどうなったの? こういったレビューが付くのは作者が物語に余韻を持たせるために、あとは読者の方々のご想像にお任せします──という作りにした作品に多いみたい。
僕はこういう思考をされる方の性癖を「それからどうしたの?」症候群と名付けたのですが、どうも世の中には自分で想像力を働かせることはまるでしないで、ただひたすら口を開けて物語を食べさせてくれるのを待ってるだけという人がいるようです。物語のその後が描かれていないということは読者の数だけ物語が広がっていくということです。それを敢えて一本道にして他の結末の可能性を閉ざしてしまうというのは無粋が過ぎるでしょう。
以前、世にも奇妙な物語でストーリーテラーのタモリが「軽々しくもっと物語をと言ってくれるけど、物語を作る側の身にもなってくれ」とメタ発言していましたが、ホントそうだと思います。読者や観客の物語を希求する欲求は貪欲です。満腹するということを知りません。一つの物語を食べ終えたと思ったらもう顔を上げて次の物語が皿に盛り付けられるのを待っています。ナイフとフォークをあるいは箸を構えて待っています。ましてや、一つの料理のボリュームが足りないと感じた時にはさんざんな酷評になっちゃうのです。「その後が書かれていないなんてひどい」
けどね、物語には終わりどきってのはあると思うのですよ。少なくとも書店に並ぶ本はプロの作家の手によるものです。映画館にかかるのはプロの監督によって撮られた作品です。終わり時の見極めに関しては誰より分かっていると思うのですよね。「それからどうしたの?」と口にする前に、もう一度物語を反芻してみましょう。多くの場合、ちゃんと物語は完結していることに気付くと思います。

完成品に腹をくくる

2017年春~夏アニメ。22話構成の「Re:CREATORS」は創作についていろいろ考えさせられる作品でした。
物語の大筋は小説やアニメの登場人物たちが、現実世界に具現化してしまうお話。中世の騎士だったり、スーパーロボットのパイロットだったり、学園モノのキャラクターだったりが入り乱れて登場し、それぞれの作品の創作者をも巻き込んで、やがてはこの世界を崩壊させる一派と守る一派に分かれてバトルを繰り広げます。
具現化した登場人物たちは元の世界で過酷な運命を背負っている者も少なくありません。民衆や友を死なせてしまい、あまつさえ敵方に改造されて変わり果てた姿になった自分の娘を手に掛けた男もいました。彼らはこちら側の世界に来てそんな過酷な運命が「読者」を楽しませるためだけの見世物だったことを知って愕然とします。中には作者と対峙し詰問したり、復讐を遂げようとする者もいました。自らの創作物に深手を負わされたとある作者は詰問されてこう言い放ちます。
「読者がそれを望むなら、自分は何度でも書く」
書いていれば登場人物に愛着だって湧いてきます。誰にも死んで欲しくくはないと思うようになります。けど、それでは物語にはならない。山場を迎えるためには深い谷に一旦落ちなければならないのは物語としては必定なんですよね。いくら登場人物たちに「もうやめて」と泣いて縋られようとも、やめるわけにはいかない──それが作家の業だと思います。中には達観した登場人物もいて、「そいつら(=作者)は神様じゃない。単に運命が人の形をしただけのもんだ。運命に文句言っても仕方ないよな」と言い放ち、あくまでも敵は作者ではなく創作世界の中にいると悟った姿は天晴でした。
それ以外にも創作者の本音があちこち散りばめられていたのですが、中でも印象に残ったセリフがこれ。

「俺たちプロだって常に完璧な作品が作れているわけじゃない。締切に縛られて限られた時間の中で書いている限りは納得がいかない時だってある。それでもできあがった作品に腹をくくってるだけだ」

生々しいなって思いました。あと、数日あればもっと良いものができる。せめてあと1日あればと思うことだってあるでしょう。でも、出版社は待ってはくれない。「これが完成原稿です」と腹をくくって編集者に渡すことだってあるんでしょうね。
ふと、スペインにあるサグラダ・ファミリアという建造物を思い出しました。設計者のガウディーはとっくに亡くなっているのにいまだに建築され続けている教会建築です。あの建物の施主ってガウディとどういう契約を結んでいたんでしょうか。ホントに「完成まで何百年かかっても良いから」なんて契約だったのかしらん??? 物語も出版社と締め切り無期限の契約をして親子何代にも渡って紡がれたら面白いだろうなとかちょっと想像しちゃいましたが、いやいやいや、読者は自分が生きてるうちに結末を知りたがるだろうと思い直しました。
創作物にとって、真に無慈悲な神とは読者なんだな──Re:CREATORSはそんなことを再認識させてくれた作品でした。

最初からネタバレ

中学生の時、「ナイル殺人事件」という映画を観てクリスティーにハマってしまい、以来40年近くミステリーフリークです。自分でも書いてみたくて、何作か書いているのですが、その度に難しいよなぁと思ってしまうことがあります。それは、自分には最初からネタバレしてしまってること
犯人もわかってるし、トリックもわかってる、どこで犯人がミスをして探偵に手がかりを掴まれてしまうかもわかってます。それだけ何もかもわかっていながら、何もわかっていない振りして書かなきゃならない難しさ。よくプロのミステリー作家はこんな作業を延々とやってるなぁと感心することしきり。
あまつさえ、ラストでは「ええええ、お前が犯人だったのかっ」と登場人部と一緒に驚かなきゃいけないんですよ。なんという出来レース、なんという茶番。
書いている最中はビクビクものです。
「いやいや、こんなこと書いたら一発で犯人がバレるだろう」とか
「ここの伏線に気づく人っているんじゃないかな」とか
地雷の周りをうろうろ。そのくせ、地雷から遠ざかると「これはアンフェアって言われそう」とか思い直してまた、地雷のところに戻ってくるのです。

それでも、書き上がってみるとそれなりに物語になっていたりして素直に嬉しい気持ちになれるんですよね。見事結末にゴールインするその時を夢見つつ、今日もペンを執ります。なんとか40枚書いたからあと40枚ちょっと。来週か来々週には仕上げたいな。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
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