村上春樹の頃

二十年くらい前のことでしょうか?友人にファンがおりましてその影響で村上春樹にハマったことがありました。
とはいえ、「ハマりました」というのもおこがましくて、彼の長編を六冊読んだだけですけど
風の歌を聴け
1973年のピンボール
羊をめぐる冒険
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
ノルウェイの森
ダンス・ダンス・ダンス
どの作品も今では断片的な記憶しかないのですが、例えばノルウェイの森で主人公がセックスしている状態で何時間もパートナーと雑談していただとか、お見舞いに「キーウィ」が食べたいと言われたのに「キュウリ」を買っていただとかちょっと印象的なシーンは今でも覚えています。
よく彼の作品は「平易な文章と難解な物語」と言われますが、僕の印象はひとこと。

『読めば鬱になる作品群』

でした 読後は無気力状態になって暫くはなにもする気が起きないという魔力が彼の作品には潜んでいる気がします。んで、まとめて何冊も読むとヤバそうなので時々思い出しては新しい一冊を手に取るを繰り返していたのですが、とうとう敬遠するようになってしまいましたね。
近年、ノーベル賞候補とも噂されていて最近またちょっと気になっています。久しぶりに手に取ってみましょうか。とはいえ、彼の長編の未読はあと十冊しかないんですよね。ねじまき鳥三部作あたりを読んでみようかなぁ。
ちなみに、既読の六冊の中では世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドがお気に入り。『世界の終わり』パートと呼ばれる牧歌的な場面と『ハードボイルド・ワンダーランド』と呼ばれるアクションシーン満載の場面が交互に出てくる不可思議な小説なのですが、最後にきっちりと二つのストーリーが融合するのが快感です。
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織田信奈の野望

ジャンル分けするとすれば伝奇物になるのでしょうか? 歴史上の出来事にifを挿入する歴史ファンタジーとでもいうべきジャンルがあります。
映像作品として自分が初めて触れたのは恐らく「戦国自衛隊」。戦国時代に最新鋭の戦車やヘリを擁する自衛隊がタイムスリップしたらという途方もない話でした。映画のラストはちょっと残念な意味不明な終わり方だったのですが、原作のラストは歴史が彼らに何をさせようとしていたのかが明らかになりきっちりオチがつきます。たった2ページほどのラストシーンは良質なミステリーを感じさせてくれました。
原作者の半村良はこういった伝奇物を得意とする作家で、軍事マニアの男が第二次世界大戦の連合艦隊にタイムスリップして快進撃を遂げたり、歴史の裏舞台で暗躍した部の民「嘘部」(壮大な虚構を弄して人心を自在に操る詐欺の技能集団)の現代での活躍を描いたりしています。
近年の作では鯨統一郎の「タイムスリップ戦国時代」が面白かったです。女子高生が戦国時代にタイムスリップして歴史に介入することで独自の進化を遂げ、毛利は電話で息子達に援軍を頼むわ、家康と信長がメル友になっているわ、秀吉は戦闘機に乗って備前から大返しを行い本能寺を空爆するわ(もちろん光秀は地対空ミサイルで応戦)やり放題でした。
このジャンルにはどうやら鉄則があるようで、中途半端な荒唐無稽さは良くないようです。思わず「はいはい、好きにして」と投げ出したくなったり、「ありえねぇ」と大笑いするほど突き抜けたフィクションが観る者を引き込むようですね。

評判になっていた「織田信奈の野望」を今更ながら視聴しております。信長の野望マニアの男子高校生が戦国時代にタイムスリップしたら信長はなぜか織田信奈という美少女だったというお話。柴田勝家、竹中半兵衛、明智光秀、今川義元、徳川家康などなど全て別タイプの美少女というあたりは、今どきのアニメということでご愛嬌の範疇でしょう。ちなみに、物語の冒頭で主人公は木下藤吉郎の戦死を看取っており、その瞬間から彼が秀吉のポジションに収まります。
見どころは我々が知る史実と少しずつ異なる歴史が主人公の介入もあって平仄が合い、最終的には史実通りに変質していくストーリー。あと、光秀が孤立していく経緯が微妙な女心に起因していたり、キャラクターの性別を逆転させた設定ならではの心理描写も面白いです。
バカバカしいと思う人もたくさんいるような気もしますが、そもそも高校生がタイムスリップした時点でバカバカしい話なんですから、こういう話は理屈抜きで楽しんじゃった人が得をする気がしますね。

史実は揺るぎようのない事実です。だからこそ、「もしあの時××だったら」という物語を人々は思い描くのかもしれません。少なくとも「あのときジュリエットの蘇生がもう少し早ければ二人は死ななかったのに」とフィクションにメスを入れたとしたらそれは単なる興ざめにしかならないでしょう。

プチ探検

外は良いお天気。こんな日に家にこもっているのもいかがなものかと思い散歩に出かけました。
普段、僕の行動範囲は駅周辺2、3百メートル圏内にあるスーパーや個人商店など商業施設に限られるのですが昨日は思い切ってその向こうの住宅街へ足を伸ばしました。
道すがら早咲きの桜を発見。
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うーん、目にはさやかに見えねども……、って、それは秋か。ともかく春は確実にやってきているようです。
桜を過ごして川沿いの道をてくてくてくてく。マンションというよりは団地のような集合住宅、古びた一戸建て、アパートが延々と続きます。時折思い出したように居酒屋や喫茶店があるのが面白い──商売になるのかな? といらんことを考えました。
と、大きな橋の向こうに会社発見、日立、東電……意外に大きな会社の事務所が並んでいます。さっきの居酒屋のお得意様は案外こういうところかもしれません。
少し坂を上ると交通の激しい通りに出ます。ここをずっと行くと警察署に出るんですよね。去年、引っ越し早々免許の更新に行ったのでよく知っています。道路沿いには飲食店が目白押し。駐車場とセットなので車で来るお客がメインなのかな。
道沿いに唐突に神社が建っている──って、どう考えても神社の方が古そうなので街や道路が神社の周りにできたと考えるべきですね。道を左折するとマルエツ発見。マルエツはこっちではメジャーなスーパーです。品ぞろえに目新しさはないけれどお酒がちょっと安い。あと、タコが100g210円と結構安かった。バイヤーさん頑張ってるなぁ。
そこで少し買い物をして駅前にUターン。図書館に寄って帰ってきました。

一年近く住んでいてそれなりに街に馴染んだ気になっていても一度も行ったことのない場所はあるものです。いや、もしかしたら何十年も過ごした関西の街でも、「こんなところがあったのか」と新発見することはあるような気がしますね。引っ越し一周年を前にしてプチ探検気分を味わうことができました。
今度は駅の東の方に行ってみようかな。

花の季節

遠い夜道をただ、馬車は過ぎて行く。冬の静かな夜。森は今眠る。
なんて曲が中学の音楽の教科書に載っていましたっけ……、って、芙龍明子さんの「花の季節」の話ではありません。
桜です。桜
気が付けばあの大雪も遠い記憶となり、ここ数日はほっこり温かい春の陽より。もしかして花の季節が近いのではと思い立ち開花予想を調べてみました。

『横浜の開花予想は3月25日でしょう』

なんと もうすぐそこまでやってきてるじゃないですか。東京の人達の花見は『熱い』と噂にききます。去年は越してきたのが4月の第二週だったので東京の桜を見逃してしまいました。今年こそは桜の名所とやらに行ってみましょうか。
そういえば戸塚駅から続く川沿いも桜並木だったはず。今日は天気も良いし図書館に本を返しがてらお散歩してみましょうか。

なににしようかな

よく嫁に笑われるのですが、休みの日は朝ご飯を食べながら「お昼何にしようか?」と聞いてしまいます。んで、お昼ご飯を食べてる最中には「夕飯どうしようか?」と聞きます。夕飯を食べてる時は「明日……」以下略。
なんだか食べること以外考えることはないのか? とよく言われるのですが……もしかしたらないかも

ということで、「お昼なににしようかな」と考えつつこのブログを書いております。
さて、三連休が始まります。

24年組の時代

自分が小学生から中学生だったのは70年代後半なのですが、少年漫画より少女漫画が好きという変わった男子でした。
当時の少年漫画はトイレット博士やがきデカなど下ネタ中心のギャグ漫画が多くて正直何がおもしろいのかさっぱり分からなかったんですよね。今では愛読している『こち亀』も当時はかなり下品なギャグに溢れていました。
それに対して少女漫画は小説ばりの奥の深いストーリーを擁しする劇画が中心でした。ずっと後に知ったのですが、24年組と言われた少女漫画家の一群がいて昭和24年生まれの彼女達が活躍したのが70年代から。その作品が突き抜けて凄かったようです。ちなみにこんな人達。
青池保子、萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子、木原敏江、山岸凉子、樹村みのり、ささやななえこ、山田ミネコ、増山法恵
何が凄いかというと単に昭和24年生まれじゃないので24年組に入っていないだけで他にも「はみだしっ子」を描いていた三原順や「ガラスの仮面」の連載を始めた美内すずえなどそうそうたるストーリーテラーが百花繚乱していた時代だったようです。『少女漫画に比べて少年漫画がかなり残念』と、子供ながらに思っていましたが逆にいうとオリンピック選手と県大会レベルを比べるようなものでちょっと気の毒だったかも。
この24年組の後継者と言われたポスト24年組という作家群もおりまして
水樹和佳、たらさわみち、伊東愛子、坂田靖子、佐藤史生、花郁悠紀子
といった作家が名を連ねているそうです。自分は水樹和佳と坂田靖子のファンで今でもよく読みます。

東野圭吾がトリノオリンピックを取材した作品「夢はトリノを駆け巡る」の中で書いているのですが、過去の記録を見ると金メダルを獲った種目にはスター選手以外にライバルと目される選手がいた(多い場合は何人かいた)ケースが多いそうです。自分以外にメダルが狙える選手がいない場合のプレッシャーははんぱないことは容易に想像できます。「俺がダメでもあいつが狙えるかも」という心理はかなりリラックスできそうな気がします。それでけでなくて、自分の才能を大いに刺激してくれるライバル達のプレーは自分を磨く何よりの試金石になったのではないでしょうか。
24年組がいた時代。「うわ、こんな作品見たことない。凄い」──そういって、生来実力十分な作家達がライバルの生み出す作品群に驚嘆しながら切磋琢磨したからこそ生まれた時代だったのかもしれません。

スマホのお作法

 こういうことを書くとおっさん臭いのですが、携帯電話やスマホが嫌いです。
 ほんの少し前までは「外出している人はつかまらない」生活が当たり前だったのにいつの間にやら「どこにいてもつかまる」のが当たり前になってしまいました。
 携帯電話やスマホを持っていないと不安という人は、「誰にも邪魔されない自由な時間」を放棄しているように思うのですがそっちに対する不安はないのでしょうか? 仕事をしている間はもちろん捉まった方が便利な場合がたくさんあるので構わないのですが、仕事帰りに一杯飲みに居酒屋に寄っている時に携帯が鳴るというのは如何にも不都合だと思うのですが……
 あと、電車でもエレベータでも道を歩いていても俯きがちな姿勢でずっとスマホを操作している人をよく見かけます。あれを見ると「そのサイトを見ることってそんなに急を要するの?」って聞いてみたくなります。特に真昼間から会社のエレベータに乗るや否やスマホを取り出していじり出す人。明らかに業務と関係ないサイト見てるでしょ(ツイッターに仕事の愚痴を呟いてるとか)。仕事中だよと言いたくなります。
 うーん、おっさん臭いよなぁ。
 今日、食堂で二人連れの男性が向い合せに座って食事を始めたのですが、二人とも左手にスマホを握ったまま。目線は斜め左下に固定したまま。お二人さん、連れだって来て向い合せに座る意味ないじゃん。別々の席にバラで座っても一緒じゃんとすっごく思いました。食事は何か楽しいおしゃべりでもしながらとった方が絶対おいしいのになぁ。

 本来、携帯電話もスマホも人と人とのコミュニケーションを助けるためのツールのはずです。なのにそのツールを手にした結果、極端にコミュニケーションが下手くそになってる人が増殖してる気がする──と思ってしまう今日この頃でした。

土曜日の絵本の思い出

川崎 苑子作『土曜日の絵本』(全六巻)
中学生の頃に出会った作品ですが今でも珠玉の掌編集と思っています。
といってもこれは小説ではなく、週刊マーガレットに連載された少女漫画なのです。
土曜日の絵本(1巻)
のアマゾンのレビューを見てもその完成度の一旦が窺えます。

主人公は小学校にあがったばかりの4人組。彼らの日常を描いた短編集なのですが、笑いあり、切ない結末ありとなかなかに波乱万丈です。といっても、特別なことが起きるわけではなく小学生なら誰でも経験するような日常の風景ばかり。作者は勿論大人なのですが、よくこれだけ小学生の視点に下りて彼らの感性で描き切ったなと舌を巻くことしきりです。一種の天才なのでしょうね。
そして、その物語を彩る点描を多用した柔らかなタッチの絵。思いっきり少女漫画している絵柄なのになぜか気恥ずかしさより先に感動があふれて溜息をつきたくなります。

略歴を調べてみると80年代後半は執筆活動を休まれていたようなのですが、90年代からはペンネームを北村夏に変えて今度は主人公が大人の話を描かれているようです。最近無性に彼女の作品に触れたくなってちょっと探しているところ。本屋で発掘するのは難しそうなのでやっぱりアマゾンか楽天ブックスでお取り寄せかな?

春を感じる時

昨日はパン種が膨らむのが早かった。
洗濯物もよく乾いた。
今朝、コートを着て出かけるかためらった。
先週までちょっとした憩だったのに、エレベータのあったかい空調が急に疎ましくなった。

まだ桜は咲かないけれど、いろんなところで春を感じる今日頃の頃。

出来過ぎた都市伝説

都市伝説の定義って何でしょう? 噂話の1ジャンルではあると思うのですが、噂話と一つ大きく違う点があります。それは噂話が短期間で消滅するのに対して(日本の慣用句では人の噂も七十五日と言われます)、都市伝説は何年、何十年も語り継がれて消滅しないことです。逆に噂話と共通する点は情報の発信源が分からないこと。「誰それのお兄さんが学校の友人から聞いたんだって」といった風に又聞きの形式で語られるのが普通です。

僕が小学校の頃はノストラダムスや超能力が大ブームでしたので、耳にする都市伝説もオカルトテイストのものや怪談めいたものが多かった気がします。口裂け女、夜中にグランドを走る二宮金次郎像、コックリさんにまつわるものなどなど。ちょっと不気味なのですが、明らかにそれはないだろうと即断できちゃう他愛のない話がほとんどでした。
結構、そういう話を聞くのが好きなので今でもちょくちょくネットで検索してみるのですが、中には非常に良くできた話を見掛けます。
たとえば「赤い部屋」と呼ばれる都市伝説。
引っ越してきた部屋の壁に小さな穴が開いています。語り手が覗くと隣の部屋が見えるのですが赤一色の部屋なのです。薄気味悪く思いながら語り手は荷解きを始めます。それから数日、思い出したように穴を覗くのですが赤一色でいつ覗いても人がいる気配はない。ある日、管理人さんに「隣の人はどういう人なんですか?」と尋ねたところ……
「ああ、病気を患ってる娘さんでね。ずっと引きこもっておられるんだよ。その病気のせいで目が真っ赤でね……」

まんま、ニーチェの『おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ』を具現化したような話です
あるいは「井戸」と呼ばれる都市伝説。
語り手は子供の頃、友人と喧嘩してはずみでその友人を死なせてしまいます。彼は友人の死体を家の裏手の井戸に投げ込むのですが不思議なことに次の日に見に行ってみると死体はなくなっていました。それからも、学校の嫌いな先生、先輩、長じてからは恋人、職場の上司など語り手は何度も人と諍いをしては相手を死なせてしまいます(って、どんなやつやねんというツッコミはなし)。都度、家の裏手の井戸に死体を投げ込むのですが次の日に見に行くと死体はなくなっておりました。ある日、語り手は母親と口論になり母親を死なせてしまいます。で、例によって井戸に死体を放り込みました。次の日に井戸を見に行くと……
死体は消えずにそこにありました。

誰が今まで死体の処分をしてきたのかが最後の最後にわかる仕掛けです。
特に二つ目の話などに強く感じるのですが、これって本当に都市伝説なのでしょうか? 明らかに創作に長けている──もしかしたら創作を生業にしている人の手によるものじゃないかと思えて仕方がないのです。それくらい物語の構築作法が理に適っていてオチも出来過ぎているきがするんですよね。
口裂け女が流行っていた頃、都市伝説は文字通り人ずてにしか広がりようがありませんでした。ところが現在はネットがあります。「こんな都市伝説を流行らせてやろう」と企んだら、あっと言う間に世界中に情報を伝搬させることができちゃうんですよね。
明確な作者がいる都市伝説──そんな異質な噂話がネットの世界を漂っているような気がしてならない今日この頃です。

正解は作られる

課題管理のお話の最終回。
よく、課題に直面した時に若手から「対応策の正解は何ですか?」的な質問を受けることがあります。
いやいや、テレビゲームやクイズ番組や学校のテストじゃないんだからというのですがピンと来ない様子。
ま、無理もないかなと思います。僕も含めて学校を卒業するまで「答えのない問題を解く」という局面に遭遇することがまずありませんから 出された問題には答えがあって当たり前とやっぱり思っちゃいますよね。
仕事として課題の対応をやっていく中でつくづく思うのは正解は模索するものではなく作られるものだということです。
その問題には答えはないけれど、悩んだり試行錯誤したりして辿り着いた結論をその問題の正解にしてしまうことはできるのです。はたから見れば時にその答えは不細工だったり泥臭かったりするかもしれません。でも、問題にケリを付けられるのであればそれは一つの正解に違いありません。

たとえば、コンピュータのハードウェアのどこかに不具合が発生して頻繁にシステムが止まってしまうトラブルが起きたとします。そんな時、僕らは「不具合個所の特定を急ぐ」なんてことはあまりしません。バックアップを取ったらハードウェアを総とっかえしてシステムを再稼働させます。不具合個所の調査は工場にもって帰ってゆっくり調べれば宜しい。システムを安定して稼働させる方が先です。で、このケースの場合は総とっかえしてシステムを再稼働させた時点で実は解決なんですよね。不具合がどういう原因だったかというのは再発防止策にしか役に立ちません。
あるいは、プログラムを作っていて数千パターンの組み合わせの中のどれかに必ず巧く稼働する組み合わせがあることが分かっているとします。ならば、総当たりすることを考えます。例えば1時間に10パターン試せるとします。人を20人使えば200パターン。10時間で2000パターンですから、組み合わせが6000あっても2日程度で答えに辿り着きます。

課題解決は学校で方程式を解くほどスマートにいくとは限りません。でも、たとえ泥臭くても不細工な方法でもケリを付けられさえすればそれでOK。そうやって、正解は作られるのです。

課題管理と困難の分割

課題管理のお話第二弾。
課題管理──というか、問題を解決していくのが苦手な人で「人はできることしかできない」ということがわかっていないんじゃないかなと思える人をよく見かけます。
たとえば

「一階にいる人が二階に物を届ける」

という課題があったとします。この課題って一見簡単そうに見えますがその建物にエレベーターも階段もなかったとしたらどうでしょう? 人は空を飛べません。どうあがいたってその状況では二階に行くことなんてできるわけないのです。なのに、お届け物を二階に投げて受け取ってもらおうとしたり、大声で二階にいる人を呼んで飛び降りてもらおうとしたりする人が現実にいます。遠回りに見えるかもしれませんがこの課題を解決する一番の近道はたぶん「二階に向かう階段を作る」なのです。
たとえば、Aということをしたいのにコンピュータのプログラムが変な動きをしてできないとします。そもそもそのソフトウェアのバグなのかもしれません。そのプログラムを作った本人でない人がそんな問題を抱えたとしたら、いくらプログラムと睨めっこしても問題を解決できる可能性はとても低いです。ですので、課題表に「このプログラムの変な動きを解消する」なんて書いた日にはその課題は永遠に残っていくことになるのです。なぜなら、その課題は「自分にできないことをできるように書いた課題」ですから。
こういった課題を抱えた時は問題を自分ができることにバラしていくと良いです。

課題1:作った人(=製品技術部門)にメールで問い合わせる

この課題は誰だってできますよね。メールを書いて送信ボタンをクリックすれば解決する課題です。課題の完了が容易になるだけじゃなくて、メールを送れば自分の手を離れるので他のことができるようになります。(但しフォローは必要ですけど)

課題2:メールの返信を元に原因を分析する⇒無理なら分かりそうな人を招集して会議を設定する

これも難しくありません。とりあえず、返信の内容を読んでわかれば良し、わからなければ会議開催通知を発信すれば課題2は完了です。

課題3:会議の結果、お金を投入すれば改造して解決できそうとなれば、営業と相談する

これも問題なし。営業と会話をすれば完了する課題です。

課題4:やっぱり原因がわからなければ、迂回路を探す。納品を待っているお客様も巻き込む

そのソフトを諦めて別の方法で思っていることが実現できればOK。大事なのはお客様を含め関係者全員で情報を共有しちゃうことです。課題4のコツは×月×日に報告と具体的な日程を決めることです。これも課題完了は難しくありません。×月×日が来れば自動的に完了します。
こんな風に手におえない課題は誰それにメールするとか、誰それと協議するとか誰でもできるようなことに分割してアプローチするのが得策です。一見遠回りをしているように見えてもそもそもの目的が「このプログラムの不具合をなんとかする」ではなくて「Aということをしたい」ということを忘れずにいれば必ずたどり着けます。これを困難の分割と言うのですが、問題解決が苦手な人を見ているとやっぱり一階から二階を呆然と見上げているきがするんですよね。

課題管理と数の数えられない人

小学校の頃、「未開の部族の中には数を数えられない人々がいる」という話を聞いたことがある気がします。子供同士の噂だったのか先生が雑談でしゃべったのか定かではないのですが、彼らの数の概念は、

ひとつ、ふたつ、いっぱい

だというのです。今考えると何だか未開の部族を馬鹿にしてるような話にも感じますが印象に残っています。
でも、数を数えられない人ならこの日本にも山ほどいるんですよね
仕事をしていると日々、『課題』というものが積み上がっていきます。その『課題』を潰していくのが僕のメインの仕事といっても過言ではないくらい次から次へと発生します
課題管理の苦手な人って結構いるのですが、大きな特徴がいくつかあります。その最たるものが冒頭に書いた「数を数えられないこと」なのです。彼らが課題の報告をする時よく口にするのが「課題がいっぱいあります」的な言葉なのです。
いやいやいや、日本野鳥の会だって野鳥を観察していて「野鳥がいっぱいいる」とは言わないでしょ。「野鳥があの木に52羽とまっています」といった報告をするはずだよ。と言ってやるのですが混乱している様子。
課題管理の第一歩は一覧表に課題を列記して番号を振ってやる事です。で、「No.2の課題」とか「No.3の課題」と呼ぶことで初めて課題を見付けた人と他の人で課題が共有できるのですが、課題管理の苦手な人はこれが苦手みたいです。
仕方がないので一つ一つ聞きながら一覧表を埋めていくと「いっぱい」と言われていた課題はたいていの場合、3~5個程度に整理できるんですね。つまり、彼らの数の概念も「ひとつ、ふたつ、いっぱい」なわけです。

こうなってしまうメカニズムは容易に想像できます。課題を目にした時、人は誰でもうんざりします。うんざりしながらもそれが仕事なら仕方がないから解消にかかります。そこに別の課題が発生してしまうと、さっきに輪をかけてうんざりします。うんざりしながら「せっかく、こっちの課題を解消しようとしているのにこっちのも何とかしなきゃ」と考えます。そこにまた別の課題が発生するとパニックを起こし始めます。「俺はどの課題から手をつけたら良いんだ~」ってね。更にそこに別の課題が発生すると今度は思考停止を起こします。

「もう、どうにでもなれ

この心理状態が数を数えらない原因です。そう本当に数えられないのではなく、数えること=課題を管理していくことを放棄しちゃってるわけです。
生きている限り仕事でも私生活でも課題や問題は生まれ続けます。間の悪いことに課題が立て続けに生まれるというのも往々にしてあることです。そんな時は一つ深呼吸して課題の数を数えてみましょう。まず間違いなく10も20もあるわけではなく、せいぜい4つか5つ。「なんだ、俺はこんなことでパニックになっていたのか」と笑っちゃいますよ。

ふるえて眠れ

1960年代のサスペンス・スリラー映画です。実は僕はこの映画を観てはいないのですが、主題歌はよく知っています。叔母がこの映画を観て来たらしくすぐに影響を受ける彼女は三宮辺りで主題歌のドーナツ盤を買ってきていたのです。
僕が中学生の頃にふとそのドーナツ盤を手に取り、優しいメロディーの虜になって繰り返し聴きました。
確かこんな歌詞です。

Hush ... Hush, Sweet Charlotte. Charlotte don't you cry.
Hush ... Hush, Sweet Charlotte. He love you till he die.

彼は死ぬまでお前を愛しているんだよ。って、ロマンチックなフレーズですよね。でも、最後の方にこんな歌詞が出てきます。

And every night after he shall die. Yes every night when his gone.

なかなかに怖い歌詞です。he shall die.のshallは単なる未来形ではなく恐らく「予言的未来」の用法で使われていると思います。つまり、「彼はもうすぐ亡くなるんだけどね」という意図を含んでいるのです。

The wind sing you this lullaby. Sweet Charlotte was loved by Johne.

風がお前にこの子守歌を歌ってくれるだろうよ。可愛いシャーロットはジョンに愛されたの。
ここでは既に愛されたが過去形になっていて寒々とした未来を誰かがまどろみ始めるシャーロットの耳元で囁いている。という終わり方をします。

予言的未来の用法で有名なフレーズはやはりマッカーサーのあれでしょうか。

I shall return!

そう言って、シンガポールを撤退した彼は本当にあっという間に戻ってきて奪還しちゃいましたね。
なんだかとりとめのない日記になっちゃいましたが、朝からシャルロットの子守歌のフレーズが頭の中で鳴りつづけていて呼ばれた気がして書きました。
ちなみに歌っているのはパティー・ペイジ。テネシーワルツで有名な方ですが、明るいメロディになのに物悲しい歌詞という曲を歌わせると彼女は絶品です。

人のせいにしてはいけない

夕べは丼サイズの茶わん蒸しを作りました。具だくさんで出汁の加減もGOOD
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美味しく戴けたのですが、ちょっとすが立っているのが残念でした。『すが立つ』というのは茶わん蒸しやプリンを作る時に火加減が強すぎて生地に気泡が入ったり硬くなったりすること。じゃあ、火を弱めれば良いじゃん。と言うなかれ。うちのコンロはこれ以上火が弱くならないのです
ここで、「すが立つのはコンロのせいだ」というのは簡単です。でも、それって事態の解決には何の役にも立たない考えです。コンロのせいにする前に「何か方法はないか」と考えるのが建設的というものです。で、この問題の答えは

『十分蒸気が上がっている鍋に器を入れて火を止める』

だと思います。鍋が冷めてきたらまた弱火で加熱して蒸気が上がり始めたら火を止める。これを繰り返せばたぶんすが立たないようになると思います。

僕も全くしないわけじゃないですけど、問題に直面した時にすぐ「××が悪い」と自分以外の何かに原因を求める人っていますよね。見ていてすごく損をしているなぁと思います。なぜなら、自分以外の何かをコントロールするのってすごく難しいからです。場合によっては不可能な場合もあります。
それに比べて自分に原因があると考えれば改善のしようはあります。結果的に見て、問題に直面した時は他人のせいにするより自分に直すべきところがないかを問うた方が解決に近付きやすいのです。
問題の原因が自分にあると考えるのに人が抵抗を感じるのは当り前です。自分に原因があると認めれば自分が非難されますから。でも、ちょっと発想を変えて「どうせ自分なんか」といじけるのではなく、「よしじゃあここを直そう(改善しよう)」と考えれば目の前はいきなり開けてくると思うのですが如何でしょう?

長女がハマにやって来る

僕には二人の娘がおりまして、この4月で上の子は高校2年生、下の子は中学1年生になります。
二人を見ていると本当に同じDNAを受け継いでいるのか? と思うくらい、見た目も性格もぜんっぜん似ていません。
長女は良く言えば自由奔放、悪く言えばずぼら(自由奔放とずぼらは同義でしたっけ?)。次女は良く言えば几帳面、悪く言えば神経質。そんな二人ですが共通する性格もあります。それは……

頑固

親の言う事に頑なになるのはあの年頃ではありがちなことですが、この二人の場合、友達にも影響されないというおまけ付きです。周りが全員右を向いていても、自分一人だけ左を向いても平気という筋金入りです。
で、その長女から一昨日メールがありました。

3/27にそっちに行くね。最寄り駅教えて。

うーむ、電報と大して変わらん短文。……って、来るのかよ。全然聞いてないんですけど。慌てて確認すると春休みを利用して1週間ほど逗留するとのこと。

布団とかないよ

と送ると

別に大丈夫

本気なのね
普通、高校生くらいになったらお父ちゃんとはいえ、狭い部屋に男性と一緒に寝泊まりするのって抵抗あったりしないのでしょうかね。あの娘を見ている限りそういうそぶりは全く見うけられません。まさに自由奔放 ま、僕も全然気にしてませんけど。
折角来るのなら、どこか連れて行ってやろうかなと思いますし、今から横浜の観光案内でも調べてみましょうか。あいつはなぜか都会とか人ごみが嫌いで。早く引退して田舎で暮らしたいが口癖のやつなので(高校生が言うことかい)、渋谷とか中華街より鎌倉のようなシブいところの方が喜ぶかもしれませんね。

時間のパッチワーク

長いこと一つ職場で働いていると、仕事の効率の良い人と悪い人がどうしても見えてきます。
そんなに仕事を抱えていないはずなのにやたら残業しないとこなせない人がいるかと思えば、何多重で仕事してるんだろうと疑うくらい仕事を抱えているはずなのに、いつも飄々としていて定時そこそこで帰る人もいます。
効率の悪い人に共通する特徴はいくつか挙げられるのですが、一番は集中力のなさかな。なんだかぼーっとしてることが多い人はやっぱり効率が悪いです。
それから、一度にあれもこれもやろうとする人。で、結局どれも完了になってないという。やらなきゃいけないことのリストだけ作ったらあとは一旦きれいさっぱり忘れてひとつづつこなした方が断然効率は上がります。
そして致命的だなぁと思うもう一つの特徴は、「時間の端切れを疎かにする人」です。例えば会議まであと3分とかになると作業の手を止めて始まるのを待っていたり所在なさそうにうろうろしたり。
はっきりいって3分も時間があれば、メールが2本は打てるし、かけなきゃいけない電話が一件はこなせます。大物のワープロ作業を抱えていても3分使えば、確実に終わりに近づきます。どうしてそれに気づかないかなぁと思っちゃうのですが性格に由来するからかなかなか直らないみたいですね。

一日の中では歯切れのような時間が何度も生じます。積み上げていけば実は馬鹿にできないくらい生じます。時間の端切れのパッチワーク。これができるだけで、随分とフリーな時間が増えるんですけどね

ビューティフル・ドリーマー

まもなく、地球に小惑星が衝突して地表は壊滅状態になる。助かる術はカーボン・ナノチューブを使った最新鋭の宇宙エレベーターで宇宙ステーションに脱出するしかない!!
からくも難を逃れた人々は数日間を宇宙ステーションで過ごし、やがて地上探査のために地球に戻ってきます。街は壊滅的な状態ながら奇跡的に無事だったコンビニなどもあり、人々はそこで食料を調達するのですが……

という、妙にマニアックな夢を見ました
ちなみに宇宙エレベーターはSFの話ではなく、大林組が現在建設中で2050年には地上10万キロのタワーになって、それに乗れば1週間ほどで宇宙ステーションまで行けるそうです。こち亀を読んで知りました
それ以外にも小惑星が衝突する話は「アルマゲドン」、「フィッシュストーリー」が混ざってるし、高い所に逃げるというのは「終末のフール」が、壊滅的な街の中で活きているインフラを求めて移動していくさまは「パラドックス13」が混ざっているというまさに夢ならではの豪華さでした

そしてなにより、地上から人が消えて一握りの人々しか残されていない中、コンビニでのんきに商品を選んでる自分達……これはまさに押井守の傑作「ビューティフル・ドリーマー」の世界じゃないですか。

ビューティフル・ドリーマーは1984年に公開されたアニメーション映画なのですが、「学園祭前日」を繰り返す高校生達が登場します。明日の初日に向けて徹夜で準備をしていて朝が来るとまた学園祭前日になっている。しかも、誰もそれに違和感を感じない。
 が、やがて彼らが事態の異常さに気付いた日を境に世界はまるで開き直ったようにがらんとした廃墟になってしまうのです。その中で近所のコンビニだけがどこからか商品が補給されて24時間無人営業しているという。

 やがて、主人公は気づきます。こんな都合の良いでたらめな世界が存在するとしたそれは……

『夢の中だけ』

 これは、彼らの中の誰かが見ている夢で自分達はその登場人物にされているのだと。

 この作品、うる星やつらの劇場版第二弾なのですが、はっきりいって全く別の世界観で、その突き抜けたストーリーゆえ今でも歴代のアニメーション映画で人気ランキングの上位に上がる名作です。
 今朝見た夢はまさしく、ビューティフル・ドリーマーの世界。果たしてあれは僕が見ていた夢だったのでしょうか? それとも僕も夢の登場人物の一人に過ぎなかったのでしょうか?

雑食動物

ちょっと別のことが書きたくなったので昨日の続きはまた別の機会に。
先日、鯨の赤身が格安だったので衝動買いして竜田揚げを作りました。独特の臭みも含めてとても懐かしくてなんとなく給食を思い出してしまいました。
子供の頃には安い肉の代表だったクジラが食卓から消えたのは言うまでもない保護運動の影響なのですが、やはりあの運動は納得いかないです。確かに絶滅危惧種の保護というのはある程度必要なのかもしれません(生物の歴史を考えるとそれも懐疑的ですけど)。ただ、誰であれよその国の食文化には敬意を払うべきで一方的に「クジラはとても賢い生き物だから捕っちゃだめ」などというのは理不尽だと思うのです。

昔、ジャングル大帝でレオがこんなセリフを口にしていました。「僕は仲間を傷つけない。ジャングルの平和を乱す奴を許さない」……、って、あんたは草食動物かい!! 明らかにレオ君は生きていくためには他の動物を食べなきゃしょうがないのです。それを言っちゃあお仕舞いだよとは思いつつ、あんまりにも欺瞞的なセリフだなぁとヒネた子供だった僕は思いました。
それと同じで保護運動の人達も牛や豚は食べるらしいのです。それってあんまりにも言ってることとやってることが違うよなぁと感じます。それとも、「牛や豚は賢くないからOK」と思っているのならそれは傲慢が過ぎるでしょう。

捕鯨も一時期に比べて少し緩和されてきたようですが、乱獲による絶滅に気を付けて計画的に捕鯨する分にはそれに横槍を入れるのは大きなお世話だと僕は考えます。
所詮、人間は雑食動物。何かの命を口にしなければ生きていけないのですから。

火事の思い出(その1)

先週の駅前の火事で思い出したのですが、僕は学生時代有機化学の研究室におりまして、2度火事を経験しています。しかも、2週続けて さぞや教授は消防署から絞られたことでしょうね。
って、他人事のように書いているのは火を出したのが自分ではないからなのですが、振り返ってみてもどちらも気を付けていれば防げたような気がします。

一度目は雨降りの日に、同じ研究室の学生のひじが当たってブチルリチウムの瓶を床に落としたことが原因でした。床に落ちたガラス瓶は当然割れちゃったのですが呆然とそれを見守る彼の目の前にいきなり火柱が上がりました。ブチルリチウムは強力な還元剤ですので湿度の高い日に空気に晒すとこうなるのです。その時僕は窓際におりまして部屋の出口の途中に火柱が行く手を阻んでいるので「こりゃー窓から脱出するしかないかな」などとのんきに考えておりました。僕の研究室は4階でしたが化学系の研究室はこういう時のために窓の外に犬走りと呼ばれる細い通路が作られているのです。
考えてみると逃走することしか考えておらず、消火しなきゃという発想は全くなかったという薄情な、けどある意味賢明な学生でした。
誰かが「水!! 水!!」と叫ぶし(だから水をかけたら更に燃えるって)、皆が動転する中、ドクターコースの先輩が消火器を持って駆け付けてくれて無事鎮火。但し、その週一週間分の実験成果物は消火剤まみれになって使い物にならないというおまけ付きでした。
ちなみに、遅ればせながら参考書を読むと「決して消火剤をかけないように。更に燃えます」と書かれていました。あの時、火が消えたのは単にろうそくのろうがなくなると勝手に火が消えるのと同じで、ブチルリチウムが燃え尽きただけだったみたいです。危ない危ない
では、どうやって火を消せばいいかというと「実験室の隅に乾いた砂の入った器を用意し、それをかけましょう」と書いてありました。なるほど、原始的ですけど間違いなく消えますね。

二度目の火事の話はまた明日。皆様、火の元には十分注意しましょう。

雨降り

今日は朝から雨。っていうか、ここ数日毎日雨ですね。
とはいえ休みの日にしか洗濯はできないので強引に洗濯機を回しました。そういえば、日常的に「回す」という動詞を使っていますけど改めて考えると不思議な感じ。洗濯機自体は回ってないのにね
取りあえずベランダに干しちゃったけど乾くかなぁ。ま、乾かなければ明日まで干しておきましょう。
明日は晴れの予報です。
って、珍しく日記らしい日記を書いた~

階段のある夢

去年のちょうど今頃。4月からの新生活に向けて僕はせっせと家探しをしておりました。(「やさがし」ではありません。「いえさがし」です。念のため

できるだけ家賃が安くて、買い物できるお店が沢山あって、図書館が近くて、会社まで電車で30分以内……などなどの条件から横浜の戸塚あたりというところまでは決めていましたっけ。余談ですが、その時の経験から家賃の安いエリアを検索するお薦めキーワードをお教えします。Googleで「昔ながらの商店街」というキーワードで検索してみて下さい。古い商店街のある町は都市開発がかなり昔に行われた可能性が高く賃貸住宅の築年数も高め。結果的に家賃の安い所が多いです。
さらにちなみに築年数の古い家なら24~5年あたりがお薦めです。今から24~5年前といえばバブル経済の真っ最中。無駄に立派な作りのくせに今更高額の家賃では貸せない物件が意外と見つかるかもです。

んで、そんなある日。夜、夢を見ました。石造りの急な階段のある夢です。中央には金属の手摺があって僕はそれにつかまりながら上って行くのです。階段の上に僕の家がある。そんな気がしてなりませんでした。結局、夢の中では家に辿り着くことができず。ぐだぐだしているうちに目が覚めてしまったのですがなんだか鮮明で印象に残る夢でした。
それから、数日後。現地入りした僕はアポを取っていた不動産屋さんの案内で物件を見て回りました。
3軒目か4軒目でしたでしょうか。不動産屋が車を止めた目の前に……

石造りの階段があったのです。夢に出てきたのにそっくりな階段が。

不動産屋さんの後を付いて階段を上りながらドキドキしましたねぇ。これは、吉兆か? 凶兆か? もしかして、この世のものではない何かに僕は呼び寄せられようとしているのか?
……
えと、僕は運命を信じるほどロマンチストではないので、その物件がパッとしなかったこともあってあっさり別のマンションに決めてしまいましたですので、夢の結末は知らずじまいです。
でも、もちろんその物件は歩いて行ける距離に今でも建っているはずです。何があるわけでもないとは思うのですが、ちょうど1周年記念ですし、近いうちに散歩がてら行ってみましょうかね。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
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