虚構を編む

「ハウンター」鑑賞開始。
何かのDVDに入っていた予告編が面白そうでレンタル予約したはずなのですが、どんな筋だったかさっぱり思い出せない中再生開始
視聴5分ほどで強烈なデジャヴを感じました。これって、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」の世界やん
何度も何度も何度も同じ一日を繰り返す話。主人公以外のほとんどの人はそのことに気付いていない……
のっけからワクワクするシチュエーションですね。

1ジャンルを形成していると言っても過言ではありませんが、「あり得ない世界観」を前提とした物語がけっこう流行っている気がします。
「表現の自由が狩られる世界とそれに立ち向かう図書隊との武力闘争の物語」とか
「『現象』によって毎月クラスの誰か(もしくはその近親者)が不慮の死を遂げるミステリー」とか
「宇宙全体が13秒スキップする現象。それが発動中に死んだ人は天変地異が続発する世界に放り出される」とか
「魔法使いが一瞬で犯人を暴く。刑事はその人物が犯人である証拠を探して奔走する倒叙ミステリー」とか
以前は小松左京や半村良などSFやファンタジーの旗手の独壇場だったこのジャンルもその羽を伸ばしてミステリーの世界でも当たり前になってきています。その世界観のスケールが大きければ大きいほど読者はワクワクするのですが……作者は大変なのです。

例えば、「時間移動できる乗り物が地下鉄網のように整備された世界」なんて舞台装置は魅力的ですが、実際その設定の構築は矛盾との戦いに他なりません。
・過去の人々に与える影響はどうなるのか?
・過去にあったものを持ち帰ってしまった際のパラドックスは?
・過去の世界で事故死したらその人の死体はどうなるの?
……
まるで、いくつもの穴が開いたボートに乗せられて一所懸命にその穴をふさぐコントのように、あっちをふさげばこっちから水がピューッと噴き出すみたいなもの。こういうのはディテールを考え出すとキリがないのです。

この悩みに対して、僕が編み出した一つの解決方法は『大きなルール(判断基準)を一つ作る』ことです。
この例の場合、例えば「過去は未来に影響を与え得るが、未来は過去に影響を与えられない」という鉄則を決めます。
それを軸に矛盾点を整理していくと……
・過去の人には未来の人や物は目に見えないし、触れられない
・未来の人は過去のものが見えているし、聞こえているが触れることはできない(丁度鏡の向こうやTVの画像のようなもの)
・未来の人は過去の写真を撮ったり録画したりして持ち帰ることはできる
・未来の人は過去に影響を与えない限り一般の物理法則に縛られる(例えば壁抜けなどはできない)
こうすることで些末な矛盾点は残るとしても、大筋ではタイムパラドックスが発生しえない世界にまとめることができます。と同時に、物語が進行して新たな矛盾が生じた時の拠り所にもなるのです。

小説を書く中で大掛かりな舞台装置を持ち出すのは書き手にとっても腕が鳴るシチュエーションです。反面、その虚構の世界を編む作業は時に矛盾との戦いに何度も心が折れそうになる苦痛以外の何物でもないありません。
それでも、五里霧中の設定地獄を突き抜けて、一つの世界をモノにできた時の快感は何物にも代えがたい その瞬間、間違いなく書き手はその世界のたった一人の王であり神になるのですから。
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チェイサー 鑑賞

韓国映画「チェイサー」を鑑賞しました。
前評判にたがわず、なかなか緊張感のあるサスペンス。
追う者:元刑事で今はデりヘルの元締め
追われる者:連続猟奇殺人容疑で何度も逮捕されながらいつも証拠不十分で釈放される男
店の女の子の失踪をきっかけに、この二者が睨み合うわけですが、追われる者役の俳優さんが良かったなぁ。大人しそうな優男なんだけど、目を見ると「こいつ何をするかわからん」みたいな怖さが良く出ていました。
ラストは賛否両論ありそうですが、日本のお国柄ではなかなかこの展開は描けない気がするので自分的には面白かったです。
暴力シーンはわりとグロいので苦手な方は注意。ただ、それを覗けばお薦めの一作です。

脳男 鑑賞

脳男を観ました。
ざっくりいうと、生まれつき感情を一切持たない少年が両親をひき逃げした犯人に報復するよう祖父から殺人マシンに育て上げられます。やがて、ターゲットは罪を犯しながらのうのうと生きている犯罪者全般に及んでいくのでした。
サヴァン症候群と思われる驚異的な記憶力と訓練された格闘能力で彼は次々とターゲットを仕留めていくのですが……

と、言ったお話です。これだけ書くと面白そうなエンターテイメント作品に仕上がるはずなのですがなぜか残念な仕上がり。
先日、観賞した「藁の楯」が酷評にも関わらず観ると意外に良かったのの逆バージョンでした。
だったら何が良くなかったのか? 考えてみました。
少なくとも僕はもっと、必殺シリーズのようなカタルシスを期待していました。が、意外にアクションシーンは少なめ。殺人マシンと化した少年の奥底に実は人間臭い感情が潜んでいるのではないか――というヒューマンドラマがメインに据えられていました。
これは「プリンセス・トヨトミ」と同じパターンな気がしますね。あれも、大阪対日本で全面衝突するスペクタクル(大阪だけになぜかギャグのようなシーンばかり想像してしまうのですが)を期待したら肩すかしを喰らいます。その舞台装置でテーマが父と子の絆なんですから。

映画を興行芸能と考えた場合、『舞台装置から観客が期待するテーマ』と違うテーマを持って来るのはあまりにも危険な気がします。あくまでも観客の期待と折り合いながら自分の主張をどう織り込んでいくか。それが監督の腕の見せ所だと思うのですが如何でしょう。

そういった意味で残念ながら脳男は監督の主張が上滑りしているように感じられて、僕としては残念な仕上がりだったかなと思いました。

歴史的意義のある日

昨日、11月22日に起きた歴史的な出来事と言って一番に思い出すものは何でしょうか?
僕の場合、ケネディー大統領暗殺です。僕が生まれる前の年のことでした。
むしろ、知らない人からしたら何故ケネディー暗殺が11月22日だと、すらっといえるのかという疑問が沸くと思います。
実は、11月22日は僕の母方の祖母の誕生日なのです。それに紐づけて覚えやすかったんですね。他の人にとってはどうでも良い日ですけど、僕にとってはある意味ケネディ暗殺より歴史的意義のある日なのです^^

そして、昨日は2014年11月22日。この日はまた僕にとって特別な意味を持つ歴史的な日となりました。
地方のラジオ局が主催したラジオドラマの原作小説公募に応募していた僕の小説が次点の優秀賞を獲ったのです。実は木曜日に事前の電話連絡があったのですが、その時は「応募作品が2作」しかなかったんじゃないか? とかなり本気で疑っておりました。

が……。蓋を開けてみると、応募総数222作。大賞1作、優秀賞2作、審査員特別賞1作。総数を観た瞬間思わず立ちくらみを覚えました。なんだか摩天楼のてっぺんに片足で立たされている気分です
とまれ、
生まれて初めての公の賞の受賞。
生まれて初めて、僕の小説に値段を付けてもらえた日(賞金がもらえるのです)。

一夜明けて、冷静に考えるとこの賞金って思っている以上に重たいものだと感じ始めています。
「この作品は金を払ってでも読む値打ちがある」と言って戴けたのと同時に「これからも金を払ってでも読みたいと思える小説を書け」と発破をかけられている気がしてきたからです。

賞の特性から、別に出版してもらえるわけでも何でもないけれど、一歩前に踏み出せた思いを胸に抱いて。この日は僕にとっていっそう意義深い日になりそうです。

誤用

近頃、有川浩がマイブームで読み漁っています。
小説好きの中でもライトノベルに対する嗜好はわりと極端に二分されていて、寛容な人や寧ろすすんで読む人がいる一方で、全く受け付けず手に取ること自体拒否する人もいます。僕が子供の頃の親の世代がマンガに対して起こしていた反応に近いかな。僕の母上も「あんなものを読んだら馬鹿になる」なんて公然と言い放つ人でした。
確かに当時のマンガには今読むと何が面白いのか分からない内容の薄いものもありましたが、読者の人生観を変えてしまうほど強い力を持った作品もあまた生まれてきたのも事実です。ライトノベルもいずれそういうジャンルになるのではないかと僕は思っているのですがどうでしょう。

それはそれとして有川浩が頻繁に使う言い回しで気になるものが二つあります。
一つは「煮詰まる」という言葉。「ちょっと煮詰まって来たのでコーヒーでも淹れようか」と言った具合に使われるのですが、言わずと知れてこれは誤用です。このシチュエーションで使うのは『行き詰る』ですね。
煮詰まるは料理がほぼ仕上げの段階に差し掛かった状態から転じて懸案の終結の目途が立った。ゴールが見えてきた時に使われる言葉です。
もう一つは「檄を飛ばす」という言葉。「弱気になる隊員たちに隊長が『お前らタスクフォースだろうが』と檄を飛ばした」と言った具合に使われるのですがこれも誤用です。このシチュエーションで使うとすれば「激励する」あるいは「発破をかける」でしょう。
檄を飛ばすは、その音から誤解されがちですが、上役が部下に指示を出すという意味です。

他にも類例があるかもしれませんが、この二つの言い回しはやたら多用されるのでずっと気になっていました。ここに書いてようやくすっとしたかな^^;

旧暦感覚

今日は気持ちの良いような秋晴れ。同じ洗濯をしていても曇りの日とは気分からして違います。
あんまり気持ちが良いので洗濯を早々に済ませ、八時過ぎから買い物に出かけてしまいました。
お天気といえば、昨年お請けしていたコラムの校正原稿の中で「五月晴れ」の用法が間違ってますよという指摘を戴きましたっけ。
五月晴れというのは、気候の良い五月の空のことではなく実は「梅雨の晴れ間」のことを指します。毎日毎日じとじと降っていた雨が止んで久しぶりにお天道様が顔を出した格別な日という意味なんですね。
それを知らなかったわけではないのですが、うっかりやってしまった理由は簡単。普段生活している中では旧暦の感覚が抜けてるからに他なりません。旧暦五月は今の六月、梅雨の真っ最中だと意識していれば起きない間違いでした。
同じようなことは別の季節でもあって、例えば毎年七夕は大抵がまだ梅雨明けしていなくて雨か曇りだったりします。「今年も織姫と彦星は会えなかったか」と思ったりするのですがこれも誤り。旧暦の七夕は今の八月ですから、まあ大概は晴れているのです。
正月=新春というのも新暦で考えると妙な感じですね。一月って、冬の真っ最中じゃんって思っちゃいます。が、旧暦の正月は立春二月四日ですから、寒さもそろそろ底をつき、まだまだ寒いけれど一日一日温かくなっていく春の足音が聞こえてくるような時期です。

明治政府は新暦を導入する際にこういった季節のイベントをそのまま当てはめることに抵抗はなかったのですかね。まあ、年明けは諸外国と合わせておかないと不都合というのは分かりますが、五月晴れや七夕は日本オリジナルにしても良かったのにとちょっと思ってしまいます。

街のオキテ

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ちょっと面白い本を図書館で借りてきました。「街のオキテ」
「東洋一屈折したシティーマニュアル」というのがキャッチコピー。主だったデートコース、グルメの通うレストラン、いい男になるためのさりなげない身だしなみなどは一通り身に着けた君たちに、よりハイレベルな都会の掟を教えてあげようというコンセプトの本です。
「なんだ、ただのデート指南書か」というなかれ、ある一点でこの本は図抜けて面白いのです。それは……発行年が1988年=昭和63年だということ。

例えば、こんな言葉を使ったらダサイと思われるよベスト10なんてページを開いても、もはや涙なくしては読めません^^;
■86年12月まとめ
1位「新人類、旧人類」2位「キャピキャピ」3位「〇金、〇ビ」4位「カフェバー感覚」5位「イマイ」……
■88年4月まとめ
1位「ハウスマヌカン」2位「レトロっぽい」3位「あぶなぁ~い」4位「トレンディな若者」5位「ウォーターフロント」6位「ピザって10回言ってみて」……
■合コンに於いて不利な同好会
1位「鉄道研究会」2位「児童文化研究会」3位「囲碁会」4位「シェークスピア研究会」5位「ゆうもあ愛好会」6位「自然と親しむ会」7位「コーラス部」8位「切手趣味の会」9位「アニメ同好会」10位「山岳部」

とまあ、好き勝手なシティ・スタンダードが書き連ねてあるのですが、やはり特筆すべきはこの本が昔を振り返って書かれたものではなく、その時代(?)にリアルタイムで活躍していたライターが大真面目に書いたものだと言うこと。
懐かしくて大いに頷くページあり、「そぉかぁ?」とツッコみを入れてしまうページあり。でも、総じて「確かにこんな時代だったかも」と頷いてしまうおっさんがここにおります^^

藁の楯のこと

藁の楯を観ました。散々、ネットで酷評されていたのでちょっとドキドキだったのですが、どうしてどうしてよくできていました。
七歳の孫を連続幼女殺人犯に殺された富豪が犯人殺害に十億円の懸賞をかけるというお話です。
主人公は警視庁のSPで犯人を九州から東京まで移送するのが任務。やじ馬、道行く人々、負傷した犯人の治療にあたる医療関係者、果ては護送に駆り出された機動隊員まで十億目当てで誰が襲ってきても不思議ではない状況が緊張感を盛り上げます。どこまでも身勝手な犯人と自分や仲間の命を危険にさらしてもそんな犯人を守らなければならない主人公の葛藤は興味深いテーマだったと思います。

酷評していた人の意見の中に「リアリティー云々」というのがありましたが、どうなんでしょうね。平仄が合わなかったり、ご都合主義な展開があったりするのは僕はドラマの特権とすら思っているのですが そんなことを言いだしたらシェークスピアの舞台なんて見られたものじゃなくなります。時代劇だって、なぜそのタイミングで正義の味方が登場するかぁ? というのもあります。ストーリーはあくまでもテーマを具現化するツールだと僕は思っているのですが。
そして、一番納得のいかない酷評は、「何が言いたいかわからない」というやつでした。確かに、この映画は結末を肯定も否定もせずに終わります。でも、それって一般的な物語の手法じゃないでしょうか? 寧ろ、そこに作り手の意見を押し付けられたら僕は興ざめします。「何が言いたいかわからない」ではなくて「この結末からあなたは何を考えますか?」という意図が伝わらないのはちょっとびっくりします。

飛躍するかもしれませんが、これって習慣的に読書をしなくなった人が増えていることと密接に関係がある気がします。行間を読む、ストーリーの進行を読みながら考え続ける。読後に物語のテーマについて考える。そんな当たり前のことができなくなって、一から十まで説明されていない作品は「何が言いたいかよくわからない作品」で切り捨てるってかなり怖いことだと思うのですが如何でしょう?

散らばるエレベーターのボタン

僕の務めている会社は26F建てのビルで僕のフロアーは25階。
なので、いつも高層階用のエレベーターを使っています。このエレベータは16階から26階に停止するのですが、ずっと不思議に思っていることがありました。エレベーターに次々人が乗ってくるとなぜかバラバラのボタンが押されて結局各駅停車と変わらない状態になってしまう。必然、25階に辿り着くまでには結構時間がかかるのでちょっと理不尽な気分。

なぜ、狙いすましたように人と違うボタンが押されるのか?

この不条理な命題についてちょっと真面目に考えてみました。
まず大前提として全てのフロアーに対して乗っている人は同じ確率で降りるとします。ボタンは16階から26階までで11個です。
一人目が任意のボタンを押して、二人目が同じボタンを押す確率は1/11。違うボタンを押す確率は10/11。つまり90%以上で違うボタンが押されることになります。
三人目が一人目、二人目のいずれかと同じボタンを押す確率は2/11。違うボタンを押す確率は9/11。つまり80%以上の確率で三人はバラバラのボタンを押すことになります。

あれれ……?

前に押されたボタンと同じボタンになる確率が50%を超えるのは確率6/11となった時。つまり6人がバラバラのボタンを押した上で7人目がボタンを押す時じゃないですか。しかも、この時点でまだ同じボタンが押されるかどうかは五分五分。
うーむ、数字にしてみれば当り前。エレベーターのボタンが散らばるのは不思議でも何でもないことに気付きました。

謎のダブルつり革

日々、電車で通勤しているのでなんとなく車内で人間ウォッチしてしまう時があります。お行儀が悪いので、あくまで控えめにですけど
観察していて面白いのは、お行儀の良い乗客よりもお行儀の悪い乗客の方が圧倒的ですね。
自分の狙いすましたスペースに体をねじ込んで、『ここは死んでも譲りません』みたいな人もいれば、それほどぎゅうぎゅうに混んでいないのに背中を預けてくる人もいます。あの……僕はあなたの背もたれではないのですが
逆に顔をこちらに向けているかと思うと狭い空間で一所懸命にスマホでゲームやる人。こつんこつんって背中に当たるからとっても気になるんですけど。つか、この混雑状況の中、今どうしてもそれをやらなければならないのか? と問いたい。僕でも、混んで来たら読んでいる本を閉じますよ(自慢するほどのことじゃないけど)。

そんな中でも、謎の行動なのがダブルつり革をする人。これは、両方の手に一個ずつつり革を確保し、それにぶら下がるようにして立っている人のことを僕が勝手にそう呼んでいるだけなのですが。混雑している時にこれをやるのは言語道断ですが、空いている時でもかなり見苦しい光景です。ちょっと、記憶を手繰ってこのダブルつり革に共通する特徴を挙げてみましょう。

性別は男性の方が圧倒的に多い気がする。
年齢は中高年齢層の人が多め。たまに若年層も見かける。
総じて一番に乗り込んできてつり革を確保するまでの行動がすばやい。
つり革を確保すると体重を預けてしまって何かの健康法みたいにつり革にぶら下がるのが基本。
目はひたすら正面を見つめあまりキョロキョロしない。けど、落着きがないように見えるのが不思議。
電車内の状況に無関心……なように見える。

普通に考えればつり革は一本あれば、電車が急停車してもひっくり返りません。自分がキープしなければ誰かが使えるのになんで二つも取っちゃうのかな? 時々、見掛けるけどその心理状態は未だに謎です。

掛け合い

魔女の宅急便でヒロインを演じた小芝風花ちゃんについてもう少し書きます。
彼女、この映画が初主演だそうですが、ベテランもかくやと思わせるほど堂々とした演技で好感が持てました。
独りきりの場面での演技も十分巧いのですが、彼女の真骨頂は他の役者さんとの掛け合い。掛け合いをヘタな役者がやると、とかく自分の演技を良く見せようと腐心するもので、しまいには相手の役者の演技を見てないなと感じさせられることすらあります。
ところが、彼女は相手に良い演技をしてもらおうと心を砕くタイプ。それをどうやら天然でというか本能でやっているようなのですね。特に間の取り方が巧くて、絶妙の間で相手から自然に言葉を引き出しているようにみえます。
『台本にそう書いてあるからそのセリフをしゃべる』のではなく『キキがそう言ったから、こう言わないわけにはいかない』みたいにするっとセリフが口を付く。だから、セリフが本物になる。

役者同士の掛け合いで自分の演技以上に大事なのは相手の演技です。相手の演技が本物になってくれなければ、自分も本物を演じられない。それが本能で分かっている女優だと感じました。
時に前のめり気味に、時に身を引きながら彼女に誘導されて面白いように相手の役者の演技が本物になっていく様は見ていて爽快。これからが楽しみな女優だと思ったのはそういう次第です。

実写版『魔女の宅急便』

実写版『魔女の宅急便』をレンタルして観ました。
かなり良いです。
何より主演の小芝風花が良い。ぐいぐい周りの役者さんの演技を引っ張り上げてくれる絶妙の間に感心しました。楽しみな女優さんですね。
ジブリとはまた違ったストーリーが良い。原作はこっちに近いのかな。間違っても同じストーリーだったら……途中で投げたかも
CGがしょぼいというレビューも見かけますが、所詮CGは添え物。その出来不出来で映画の出来が決まるわけじゃない。映画の出来を決めるのは演出、脚本、何より役者たちの演技です。
ちなみにテーマがそもそも違うので、ジブリ版と好き嫌いはわかれるかも。でも、「こんなの『魔女の宅急便』じゃない」というのは見当違い。そもそもジブリ版は原作からかなり離れちゃってます。ジブリ版のテーマが「親元から離れて暮らし始める少女の成長物語」なら、こっちは「見知らぬ街で魔女(=よそ者)が暮らしていく苦悩と葛藤」って感じかな。時に暗いトーンになる場面もあるけれど明るい場面はカラッと晴れていてメリハリがよく効いていました。
ということで、結構おすすめです。

しっかし、冒頭満月で箒に乗った魔女のシルエットが横切るのは笑った。映画史上、初代のETから数えていったいいくつくらいのシルエットが月を横切ったんでしょうね

ラノベ

根が天邪鬼なのか、大流行した本は敬遠しがちなのですが気になったので手に取ってみました。

図書館戦争

したらこれが面白いんですよね。評判になるわけだ。
最初こそ「え~~~~~~~~」とか、ラノベ特有の長音の多用などちょっと鼻白むところもありましたが、キャラクターの造形がストレートで分かり易く、熱い!! 心に真っ直ぐメッセージが届く話だなと感じました。
ラノベに対しては「薄っぺらい」とか「漫画チック」とかネガティブな評価を目にすることがよくありますが、従来の小説とは一線を画する文学と思えばこれはこれでありな気がしました。
映画の父と呼ばれるグリフィス(「イントレランス」を監督した人です)は元々舞台俳優から映画監督に転向した人ですが、彼が入ったころの映画業界はそれこそ「キワモノ」、「一時的な流行り物」的な位置づけだったそうです。昔の仲間はしばしば彼に舞台に戻らないかと誘いをかけて、「そんなおもちゃみたいなものにかまけてないで、シェークスピアをやろうぜ。あれは最高だ」などと言ったそうです。
当時もシェークスピア=高尚、映画=低俗みたいな芸術ヒエラルキーはあったんですね。
ところが、グリフィスは「映画は決して低俗な流行り物なんかじゃない。ただ、若くて未熟な芸術なんだ。いつか、成熟すれば大勢の人が映画に夢中になる」と言い続けたそうです。

全ての小説がラノベのように分かり易過ぎるストリーになるのはちょっと勘弁と思います。でも、よくできたラノベが多くの人の心をつかみ、揺さぶり、生きる糧になるのも事実。

いろいろ咲きて 野は楽し

という横溝正史の言葉を胸に刻みつつ。読みもしないで偏見を持つことだけは厳に慎もうと思う今日この頃です。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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