忘れてた

生きてることが 当たり前すぎて
生きてることを 忘れてた

二十代の後半の頃、ふとしたはずみで(?)芝居の世界に足を踏み入れておりました。
結婚と同時にきっぱりリタイアしたけどあのスポットライトの感触は死ぬまで忘れられないと思います。
その頃演った舞台の中で「ひばり」というミュージカルがあったのですが、文頭に書いたのはクライマックスで歌われる合唱のワンフレーズです。
ヒロインの恋人は十トントラックの運転手。せっせと貯金したお金で自前のトラックも買った。結婚も間近。そんな幸せの絶頂で彼が交通事故に巻き込まれて急逝するという悲劇。
事故の一報を受けて呆然自失の友人たちに歌われる合唱です。
日々の生活に埋もれて、気が付くと毎日、毎週が同じことの繰り返し。

もしかして、自分は忘れてないか?
自分はまだ生きているということを?

うかうかと時を過ごしていると気づいた時、自戒を込めてこのフレーズを思い出すことにしています。
さて、また新しい服に袖を通しましょう。
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青空

青空みたら 綿のような雲が
悲しみをのせて 飛んでいった
いたずらが過ぎて 叱られて泣いた
こどもの頃を 憶いだした

武満徹の小さな空の一節です。
今日は抜けるような青空。ふと、この詩を憶いだしました。
青森出身の知人に言わせると冬に抜けるような青空が見られる土地柄が羨ましくてたまらないのだそうです。あちらは冬の間は大半重たい雪空なんでしょうね。
似たようなセリフを中国の方のブログで見かけたことがあります。「日本に旅行して一番驚いたのは美しい青空。中国では見ることができないその美しい空に魅了された」と。
高度成長期の頃、この日本も同じ轍を踏みかけました。スモッグを排出して太陽を遮り、川や海を汚染し、あまつさえ多くの人の健康と命まで奪いました。
今日見る青空は江戸の昔に人々が振り仰いだ空ほど当たり前のものではありません。過去の過ちを反省し努力して取り戻した美しさがそこにあります。

カルタ取り

「しこふんじゃった」(相撲)、「ウォーターボーイズ」(男子シンクロナイズドスイミング)、「スイングガールズ」(ビッグバンドジャズ)、「うた魂」(合唱)……
もはや一大ジャンルと言って良いくらいたくさんの作品が世に出された気がするのですが、地味、暗い、つまらなさそうといった印象から敬遠され、むしろ一顧だにされなかったジャンルの部活動にフォーカスを当て、やってみたらむちゃくちゃ熱かったという展開へと導く映画群があります。大ヒットの裏側で多くの観客は初めて知るその活動の奥深さが新鮮に感じられて自分もやってみたいと思ったものもたくさんあったのではないでしょうか? で、実際やってみるとやっぱり地味だったというオチが付きそうですが
このムーブメントは映画やドラマだけじゃなく、漫画やアニメの世界にも見られます。「テニスの王子様」といった王道スポーツの対極とも言える「ヒカルの碁」(囲碁)や「ハチワンダイバー」(将棋)が大ヒットしたのを一番意外に感じたのは当の囲碁や将棋を真剣にやっている人たちだったかもしれません。
だって、碁も将棋もまるで動きがなくて地味で普通に考えたらとても漫画の題材に選ばれるようなものじゃありませんから。ましてやそれを題材にした作品が大きな反響を得るなんて考えにくいでしょう。
で、似たジャンルで百人一首の競技カルタを題材にした「ちはやふる」を今更ながらに鑑賞しました。

おもしろい!!

少女漫画が原作なのでもっと恋愛要素の強い作品なのかと思っていたのですが、ガチでカルタの話です。
実は僕は中学時代に「百人一首クラブ」というのに所属しておりまして、毎週カルタ取りに明け暮れていた時期があります。飽きるとすぐに坊主めくりを始める不良部員でしたが
ですので、もちろん百首全て暗記していましたし、自慢じゃありませんが運動神経は皆無のくせに反射神経は結構良かったのでわりと強かったです。年明け早々に開催される学校のカルタ大会ではポイントゲッターでした。
が、このアニメを鑑賞して自分がやっていたのは「カルタ取り」であって「競技カルタ」じゃなかったんだなぁ。と改めて知りました。競技開始に際して序歌『難波津に 咲くやこの花冬籠り 今を春べと 咲くや木の花』が詠み上げられることもありませんでしたし、取り札の配置もいろはがるたなどと同じくバラバラ。つまり「たくさん取った人が勝ち」という我流でした。
競技がるたでは自陣、敵陣に同数の取り札を配置し、敵陣の札を取ったら自陣の札を一枚送る。先に自陣の札がなくなったら勝ちというのはこのアニメで初めて知りました。
自陣にどう札を配置するのか? 送り札はどう選択するのか? と言ったところに強い戦略性があるというのがとても興味深いです。決まり字(そこまで詠んだら取り札が確定される文字)も一字決まり(最初の一字で取り札が確定する歌)の「むすめふさほせ」は知っていましたが大山札(六文字目で初めて確定)なんてのも戦略の視野に入るというのは素直に凄いと思いました。

でも、最後に一言。作中、かなでちゃんが再三口にしているように協議に必要なフレーズだけ暗記するんじゃなくて歌の意味も知ろうよ~

ゆるやかな階段

このブログに書くネタがなくて困ることがちょくちょくあるので、「あ、あれ書こう」と思いついたらその場でメモを取っておくのを習慣づけています。メモはたいていの場合端的に単語一語か二語程度で書かれた素っ気ないものですが、人には何のことか分からなくても自分が書いたものですからすぐにピンと来ます。
……、が。たまに酔っ払って帰ってきた時に走り書きしたメモなどは意味不明で書いた本人ですら首をひねるばかり、ということがあるんですよね。
夕べ、しっかり呑んで帰ってきたのですが朝起きたら机の上に案の定なぞのメモ。『ゆるやかな階段』と読めます。漢字部分の書体が難解でちょっと自信がないのですが。朝ご飯を食べてる間中考え続けたのですが、いったい何を書こうとしていたのかさっぱり思い出せずに困っています。
どこかの階段を上る話?(いやいや、最近そんな印象に残る階段上がってないし)
もっと抽象的な比喩で何かをステップアップする工夫の話(うーん、ピンと来ない)

………………
ということで、もやっとしたままオチの付かない話になってしまいました。また、思い出すことがあれば本編を書きます(をい)。

『土曜日の絵本』の頃

1970年の後半ですから今から40年近く前のことです。
週刊マーガレットに『土曜日の絵本』という漫画が連載されておりました。主人公は4人の小学生、女の子らしからぬ乱暴者のミクちゃん、可愛くて優しいかすみちゃん、社交的でちょっとお調子者のミチル君、成績優秀だけどおとなしめで地味なヘイちゃん。男女4人の入学から2年生くらいまでの日々の出来事が一話読み切り(たまに何話か話が続く時もあり)で描かれておりました。
僕は男ですが中高の頃、この漫画にたいそうハマった記憶があります。まず絵が非常に美しい。ペン先で丹念に綴られる点描を中心とした画風は素人目にもどれだけ手間がかかるんだろうと思わせる丁寧な絵柄でした。そして、ストーリー。ある時は小学生のあるあるネタだったり、またある時はちょっとファンタジックなお話だったり。どの話もそこから透けて見える登場人物の優しさ、厳しさ、強さ、弱さとそれを暖かく見守る作者のまなざしに読む側もほんのり温かい気持ちになれる作品ばかりでした。
何より凄いのは作者の視点が4人の小学生の視点になりきっていることですね。娘の誕生プレゼントに童話を書いたことがあるのですが、それが如何に難しいか。いえ、難しい以前に如何に子供の頃の心理を僕が覚えていないかを痛感させられました。作者は他にも高校生や大人が主人公の話も書いているので小学生から心の成長が止まってるわけでもないらしく(なんて失礼なやつ)書き手としての力量に舌を巻くばかりです。
四十年後の21世紀。ふと懐かしくなってネットで検索してみると、出てくる出てくる出てくる……同じような思いを抱いた読者がたくさんいたのですね。そして、四十年たった今もその想いを大切にしている人のなんと多いことか。
実家には初版に近い全6巻がまだあったはず。今度里帰りしたら探してみようかな。
ちなみに、文庫版で復刻されているので(4冊にまとめられた模様)未読の方はぜひ手に取ってみて下さい。『生涯の宝物』になるかもしれない掌編集です。

言葉が足りない

マイブームになったアニメ『君に届け』、勢いで実写版映画も観ちゃいました。ネットの評価は賛否両論真っ二つ。否定派の論拠は大きく二つかな。一つは「配役のイメージが違う」というもの。原作があるものはどうしても『そっくり』を期待する人が多いようですね。僕はわりと原作と映像物は別物と考えるタイプなので気になりませんでした。っていうか、凄い合っていたと思うんですよね。特に主演の多部未華子の演技は凄かった。素で貞子ができちゃうじゃんって思わせる目力を見せつけてくれた直後、ふっと笑うといきなり爽子に変貌しちゃうカメレオンっぷりは必見です。
で、もう一つの論拠は「ストーリーの改変が多い。詰め込み過ぎ」というストーリーに関するもの。確かに原作派からすると「あのシーンを実写で再現したらどんなだろ」と期待するのは当然で、そのシーンが改変されていたらがっかりするという気持ちは分からないでもないです。原作は読んでいないけどアニメを一通り観た自分でも多少感じました。クリスマスの件とか。でもまあ、2時間の枠でこれだけのストーリーを展開させるためには致し方ない部分もあったかなと妥協できるレベル。

えと、何を奥歯にものが挟まったような言い方をしているかというとキャストもストーリー展開も空気感も凄く良くて高得点を点けてあげたくなるのにこの映画、自分の中では満足できないと感じるのです。何が不満かというとそれは脚本の言葉不足。
例えば、爽子の恋のライバル。胡桃沢が風早が好きだと告白する場面。
「風早に好かれるように振る舞って。周りも応援モードになってきて。……、けどそんなの意味ないじゃん。風早が好きになってくれなきゃ意味ないじゃん」
これ、前二つの文節と「意味ないじゃん」と叫ぶ最後の文節に脈絡が不足していると感じるのです。アニメでは
「だってクルミちゃん凄く可愛いのに」
「そんなのわかってるよ。私が可愛いことくらい。……、でもそんなの意味ないじゃん」
と展開する件です。アニメの方のセリフに比べて映画の方のセリフ(第三文節)は如何にも取って付けたように聞こえてしまうのです。2時間の枠に収めるためストーリーを改変したりはしょったりすることは致し方ないと僕は考えます。ただ、ならば脚本の言葉選びはもっと慎重にすべきだと思うのです。オリジナルのストーリーは1000万部超えの大ベストセラー。そのヒットの源は一つ一つの言葉に込められた切なさ、甘酸っぱさ、誠実さに多くの人が共感を覚えたからだと考えています。
そのオリジナルを改変するのですから、言葉を徒やおろそかにしてはなりません。が、ところどころ無造作といっても良いくらい言葉のチョイスに神経が行き届いていない気がして☆一つ減点という気分なのです。

もしかたしたら、脚本家は「それは行間を読めよ」と考えたのかもしれません。でもね、それは非常にキケンな考えです。多くの場合、観る側は作る側が期待するほど行間を読んではくれないのです。経験則から言うと、ちょっとくどいくらいに説明してようやく理解してもらえるケースがずっと多いのです。ましてや、読書と違って読み返しの利かない映像作品ならなお。
脚本の言葉足らずにやきもきしながら自戒を込めてそんなことを感じた作品でした。

不思議とまとまる

三谷幸喜監督『THE 有頂天ホテル』は主役級の俳優が二十数人登場するコメディーです。それぞれの俳優には十分なキャラ付けがなされていて見せ場もあるのですが、めまぐるしい場面転換にも関わらずちゃんと一本のストーリーとして見せてしまえるあたり彼の才能の面目躍如たるところだと思います。
そんな俳優達の中で西田敏行の役どころはベテランの演歌歌手。この人、舞台の直前になると超気弱になって「ぼくはもうダメだ~。舞台の上で頭が真っ白になって何も歌えなくなるんだ~。観客達の笑いものになって、歌手人生は終わってしまうんだ~」と自虐モード全開になっちゃうんですよね。挙げ句の果てはベルボーイとベルガールに自殺の手伝いをさせようとするし
そんな中で梶原 善演じる専任のマッサージャーだけが平然としていて「毎度のことだから」と言い放ちます。

「落ち込むのも毎度。自殺したがるのも毎度。そのくせ、いったん舞台に立つと良い歌、歌っちゃうんだよね」

デフォルメではなくホントにこういったタイプの俳優や歌手はいらっしゃるようで、中には世界的なオペラ歌手でも毎度こうなっちゃったりして大変だなんてエピソードを聞きます。
中にはこれが高じてホントに舞台に立てなかった歌手のエピソードも聞いたことがあります。
ベートーヴェンの第九。第四楽章の合唱になってもバリトンのソリストが登場しない(バリトンは一番最初にソロが来ます)。ところがバリトンのソロの件になるとちゃんとソロが聞こえてきて客席がざわめいたとか。実はソリスト欠場で仕方がないから指揮者が歌ったらしい(グッジョブ・マエストロ )くだんのソリストはその頃、緊張のあまり卒倒して救急車で搬送されていたそうです。

ジャンルは全く違うのですが、僕も小説を書いているとよく似た状況になります。

「こんなもの誰が読むんだ」、「ただの紙くずじゃん」、「つまらん」、「時間の無駄」

挙げ句の果てにホントに原稿用紙をゴミ箱に放り投げそうになったり(僕は紙に鉛筆と消しゴムで原稿を書きます)。こうなってしまうとそこから脱出するのは意外に時間がかかるのが常で酷い時は何週間も原稿を放置した状態になって、とにかく逃げまくります。
ところが、ふと思い直してそれまで書いた原稿を読み返すと意外に面白くて続きが読みたくなって一気にまた筆が進み始めたりします──要はあまえなんですよね。仕事でやっているという自覚がなさ過ぎです。去年、優秀賞を戴いた「雪のあしあと」にしても最後の一枚にこの状況に陥って危うく投稿をあきらめてゴミ箱行きにしかけたのですから、その甘えっぷりたるや赤ちゃん級──いや、それ以下。たぶん、のび太クラスです。

ぐだぐだやっていても最後まで書けばなぜか不思議とまとまる。それなりの話になるのが僕の小説。少なくともそう信じて、そろそろ鉛筆を握りなさいな > 自分。今日から二月。しめきりまであと二ヶ月だよ。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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