幸せになる方法?

アニメ『魍魎の匣』を鑑賞。
京極夏彦の百鬼夜行シリーズと初めて出会ったのは処女作『姑獲鳥の夏』でしたが、この作者はモンスターだと思いましたね。構成力の化け物です。誰かが「数百枚の長編を数十枚の短編のように読ませる」と評していましたが言い得て妙です。ラスト数十枚でまき散らされた怪しい謎が氷解していく様は快感としか言いようがありませんでした。
デビュー二作目となった魍魎の匣は更に磨きがかかって同時進行する4つの事件が見事に一つに繋がっていきます。本作は映像的な魅力もあるのか実写化もされましたね。
アニメ版を見て思ったのですが、京極も凄いがこの監督も凄い。よくあれだけ複雑な構成の物語をこれだけ分かり易く表現できるものだと感心しました。

物語の終盤、探偵役の京極堂がこんなことを言います。「幸福になるのは簡単だ。人間を辞めてしまえば良い」うーん、至言には違いないと思うのですがどうでしょう? せっかく幸福になったのにその時、人間を辞めていたら幸福を享受できないのでは? それにそこまでしないと幸福になれないくらいなら、幸福にならなくて良いやと考えてみたりして
確かに人間やっていると嫌なことや面倒なことに、とかく巻き込まれてしまいがちですがだからこそ面白いという一面もあると思うのです。不遜な言い方かもしれませんが、例えば出家して俗世との縁を断ち切るというのも僕には単なる逃避にしか思えないんですよね。
どうせ生きるなら、嵐の中でも胸を張って、頭を上げて生きていたいと思っちゃいます。
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同じことを繰り返す

『自分探し』という言葉が嫌いです。
「今の自分は本当の自分じゃない」だとか「自分が本当にやるべき何かがきっとある」だとか、多少気持ちはわからないでもないけれど妄言にしか聞こえません。挙句、『自分探し』の旅に出かけるなんていい歳をして、まだ中二病を患っているのかい? と訊きたくなります。
僕が『自分探し』を嫌う理由は至って簡単です。それを口にする人が誰よりも「今の自分以外に自分はいない」と知っていて、逃げ口上として『自分探し』という言葉を遣っているからです。自分は自分が望む通りの人間じゃないかもしれません。だからといって、妄言で自分を騙して自分から目を逸らすというのは単なる時間の浪費に過ぎないように思えて僕は嫌いなのです。
かと言って、年がら年じゅう自分と向き合っていたら疲れてしまいます。たまには、肩の力を抜いて旅に出かけるのも良いんじゃないかとは思います。ただし、『自分探しの旅』ではなくて『自分忘れの旅』にね。

自分で自分が嫌になるという理由は人それぞれいろいろあると思いますが、案外根底にあるものは共通してるんじゃないでしょうか。

日常の輪から抜け出せない。

朝が来たら起き出して、服を着替えて、電車に乗って、職場に着いたらパソコンを起動して、メールをチェックして、打ち合わせに出席して、資料を作って、お昼のチャイムで食堂に行って、午後からは眠気と戦いながら部下の資料に目を通して、時々かかって来る電話の相手をして、時には電話の向こうのお客に頭を下げて、2時間ちょっと残業をしてから会社を出て、また電車に乗って家路につき、コンビニによって弁当とビールを買い、家に着いたらつまらないバラエティー番組をBGMに弁当をビールで流し込み、やがて床に就く

昨日と違う今日が来るはずもなく、今日と違う明日を望めるわけもなく、気が付けば一年が過ぎ、三年が過ぎ、十年が過ぎ、特にこれといった変化もないまま半世紀も生きている。
自分の来し方を振り返って、この先の自分に思いを馳せると絶望のみが心を覆っていく。
そんな時、『自分探し』に憧れる気持ちはわからないでもありません。でもね、もしこの日常の輪から逸脱したらどうでしょう? 例えば大きな病気を患うなんてことは至極当たり前にあり得ることなのです。
病院のベッドから起き上がることもできず、ぼんやりと窓の外を眺めるようになって初めて、あの日常の輪がどれだけありがたかったか人は思い知るのかもしれません。

コンビニ弁当をもう一度食べたい。
お客のトラブルを解決できた時のあの達成感をもう一度味わいたい。
背広を着て街を早足に歩いていた日々が懐かしい。

昨日と同じ今日を上手に生きるコツが一つあります。それは、好奇心を持つこと。目を凝らし、耳を澄ませて、日常の中に新しい発見をすること。駅に向かう道すがら見かけた小さな花でも良い。電車の中で女学生が夏服を着ているのを見て季節を感じても良い。部下が意外な趣味を持っていることに気付くのでも良い。
注意して周りを見れば昨日と同じ今日などあるはずはないのです。周囲に無関心になり勝手に毎日同じことの繰り返しだと溜息を吐くのは誰でもない自分のせいです。そんな自分を棚に上げて『自分探し』がどうのとは言いたくないなと僕はそう思います。

都心を歩く

先日、有楽町のお客様と打ち合わせ。丁度、お昼休みにかかる時間帯だったので迷った結果お弁当を作るのは見送りました。
当日はなんとも気持ちの良い快晴。少し早目に着いたのでお客様のご近所を探検しました。皇居のお堀の方へぶらぶらと歩を進めると、でっかい公園がある。公園の名前を看板で確認して納得。なるほど、ここが音に聞く『日比谷公園』でしたか。中に入ってみると涼しげな木陰がそこここにあり、大きな池もあったりしてお弁当を持ってこなかったことを激しく後悔しました(って、何しに来てるんだ)。

で、ふと思ったのは僕が抱くイメージとは違って都心には高いビルばかりがあるわけではないんじゃないかということ。
間もなく、ゴールデンウィーク。どうせ、観光地はうんざりするほどの人手に違いありません。ならば、その逆手を取って静かになったオフィス街を歩くのも悪くないかも。ビルとビルのはざまに思わぬ発見があるやもしれず、今からちょっと心弾ませています。

史上最多の大量殺戮ミステリー

ニコニコ動画で「田治見要蔵168人殺害リレー」というのを見付けて思わず見入ってしまいました。
田治見要蔵というのは、横溝正史の八墓村に登場する村の豪族の当主です。見初めた女性を拉致監禁したりとやりたい放題してたのですが、その女性が逃げ出したのを機に発狂してしまいます。で、たった一晩で村人32人を斬ったり撃ったりして殺して回ったという。
動画は過去に映画化、ドラマ化された6作品からこのシーンばかりを繋ぎ合わせたもので、それぞれの監督の気合の程を感じさせる鬼気迫る映像になっています──が、BGMにクシコスポストがかかっていてどう見ても運動会かギャグにしか見えないという ただ、トリに選ばれた映画版の山崎努演じる田治見要蔵はオリジナルの芥川也寸志の曲が充てられていてやたら美しく格好良かったです(不謹慎なんですけどね)。

で、この動画を見ているうちに今まで世に出たミステリーの中で一番大量に人が亡くなった作品って何だろうと考えました。例えばクリスティーの「そして誰もいなくなった」は登場人物10人が全員死にますのでそこそこ大勢です。綾辻行人の『Another』(アナザー)は更に多く高校の一クラス分の生徒(及び関係者)が半数以上亡くなります(厳密にいうと殺人ではなくホラー的な怪奇現象によってなのですが)。
それでも、八墓村には及ばず田治見要蔵による過去の殺人32人殺しと現代の殺人8人の被害者及び犯人の死を合わせれば41人。なかなかこれを超える作品はないんじゃないでしょうか?
と、思ったら一作思い出しました。G.K.チェスタトンの『折れた剣』。ネタバレになっちゃうのですが、これの犯人は目指す男を殺すためだけにわざと負け戦をやっちゃいます。なので、死者は軍隊まるごと……って、どんだけやねん。
まあ、これを超えるものはちょっとないだろうと思ったのですが、ちょっと待て。ミステリーと括って良いかどうかは微妙ですが映画になった「12モンキーズ」を忘れてはいけない あれの犯人が殺したのは人類ほぼ全体でした。って、これはもう殺人事件と呼ぶのもおこがましいですよね。

夜明け前

ふと、夜中に目が覚めました。時計を見ると三時前。
……。……、……。
なんで時計が見られる? 部屋の電気も点けていないのに。ふと見るとすりガラスの窓の外にまぶしいほどの光が差していました。といっても勿論、朝の光ではなくて、トンネルで見かけるナトリウムランプのようなオレンジ色の光。
なんだろうと思って窓を開けると、目の前の線路を作業服のおじさん達が機材を押しながら歩いておりました。四人がかりで線路の上に乗った機材をゆっくりゆっくり押していきます。光はその機材の上で点されている照明でした。機材の後ろから、もう一人のおじさんが懐中電灯を照らして機材が通った後の線路を確認しながら歩いていました。
線路の点検か何かでしょうか。夜明けにはまだ間のある闇の中、寡黙な作業員たちが去って行くのを眺めているとなんだか胸が熱くなってきました。誰もが深い眠りの中にある夜の街で、誰に知られることもなく誰に知らせることもなく黙々と仕事に取り組む男達の背中はなんとも頼もしく見えたのです。

その後、ベッドに戻って眠りの淵に沈むまでのひととき。「実はあの人たちは作業員と見せかけて、爆弾を仕掛けて回っているテロリストだったりして……」とかつまらない想像をたくましくしてしまったのは物書きの性ですねぇ

計って沸かす

先日、嫁と娘達(この4月から高3と中2)が遊びに参りましてえらく賑やかな数日を過ごしました。
暫く離れて暮らしていたのですっかり忘れていたのですが、嫁が非常にアバウトな性格であることを再認識。例えば、コップ一杯分のお湯を沸かすのにどんだけ薬缶に水入れるんだよてなことを普通にやらかすんですよね。
「もったいないやん」と申しますと、「だって空焚きしたくないし」とのお答え。うーん、たかだか1~2分で沸くんだから、ちょっと気を付けていれば済む話じゃん。

省みて自分はどうかと考えると、一旦コップに水を入れてそれを薬缶に移して沸かすということを習慣でやっていることに気付きました。水がきっちり丁度の分量なので無駄がない。
それ以外にも例えば作り置きの麦茶(1リットル)用のお湯を沸かす時は冬なら9分、夏なら8分、キッチンタイマーで計っていることを発見。キッチンタイマーが鳴り出すと丁度お湯が沸騰し始めるタイミングになるのです。
「嫁は細かすぎ~」と笑いますが、合理的だと思うんですよね。その分、無駄な水道代、ガス代が浮くわけで馬鹿にできないんじゃないかなと……

関西ではこういう発想を「しまつ」と申します。単なるけちんぼなのではなく合理的にムダを省くという発想。関西のお母ちゃんたちは生活の中でちょこちょこ「しまつ」をしては「うちって偉いやん」と自画自賛。そのポジティブな気持ちが生活を豊かにそして楽しいものにしてくれている気がします。
嫁は手遅れだけど 娘達には「しまつ」の楽しさを伝えたいなぁ。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
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