キャッチ・ア・コールド

冷たいものを掴む……じゃありません。風邪を引いたという意味ですね。英語のcoldには風邪という意味もあるのです。
何年かに一度、決まって7月の末から8月の頭にかけて風邪をひきます。今年がまさにそう。咳が止まらず、傍から見ているとなんか怖い病気にかかってるんじゃないかと思えるありさまに陥っております。
ま、病院には行ってきてお薬も処方してもらったのでだましだましやり過ごすしかありませんね。早く治りますようにお大事にと自分にお見舞い申し上げておきます。
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竿頭一歩

正式には「百尺竿頭一歩を進む」と呼ばれる禅の考案があります。
百尺もある細い竿(さお)を懸命に登っててっぺんまで登りつめた修行僧がおります。
「やったぞ。てっぺんまで辿り着いたぞ。」
と喜ぶ僧に師匠がこう言います。
「そこからさらに一歩踏み出せ」
無茶言いますねぇ。非情ですねぇ。普通に落っこちちゃいますねぇ
ま、喩え話なのでそういうツッコミはなしということで。要は俺は上り詰めた(悟りを開いた)と考える者はまだ悟りの境地に至っていない。もうこれ以上、進めないと思っているその境地から更に一歩進もうという気持ちが何より大事なんだよ。といった教えなのです。禅の世界でも「悟後の修行」(悟りを開いた後に続ける修行)が大事だといわれるそうですし。

昨年、沖縄のラジオ局が公募するラジオドラマの原作小説に応募して優秀賞を戴きました。とっても嬉しかったのですが、反面怖くなりました。応募作二百数編のてっぺん。スカイツリーの一番上のアンテナに片足で立たされているような気分。ちょっと油断したら一瞬で地上まで引きずりおろされるような恐怖を感じました。
昨日、ふと思い立ってそのラジオ局のホームページを覗いたら、

『RBCiラジオ「SF・ファンタジー大賞」2015』

の公募がかかっているのを発見。八月末が締切なので時間は十分。応募してみようかなと考え始めています(丁度、タイムマシンネタで面白いアイデアがありますし)。でも、臆病風が気持ちにブレーキをかけるように吹いてくるんですよね。
初めての応募なら僕は任意の一作家に過ぎません。でも、僕は昨年度のセミ・グランプリ受賞者。僕の原稿を手に取った審査員は当然そういった目で読まれることでしょう。

「け、つまらん。去年のあれはまぐれだったんだな」

と思われたらどうしよう。そんな思いがどうしても先に立ちます。きっと、原稿を書いている間中、「これでいいのか? この程度かよって思われないか? 退屈されないか?」そんな思いに苛まれて迷いに迷うことでしょう。
でも、竿頭一歩。今、踏み出さねば、一生踏み出せず、大昔に一度だけ登りつめた竿の先の思い出にすがって生きていかねばならない気がしてなりません。気持ちをリフレッシュして、まっしろにして、新しい物語を書いてみようよと、自分に言い聞かせている朝でした。しっかし、夏風邪をひいて咳が止まらないのがつらい……。病院に行って来よう。

その扉は開けないでください

わりとマメに家計簿を付けていまして、光熱費の推移もばっちり把握しています。
去年の電気代を見ると最も安かったのが4月で2319円。これはアンペアを30から20に下げて基本料金が下がった効果もあったかな。逆に最も高かったのは8月で3622円。その差、1303円。普通に考えれば「夏だしエアコンを使うからしかたないよね」となるのでしょうが、生憎自分はエアコンが苦手で8月もほぼ使ったことがありませんでした。ならこの差は何から生まれるのかと考えると……、考えるまでもなく冷蔵庫しかありません。うちはやたらに家電製品が少なく、オーディオもなければテレビもない。基本、出勤する時には全てのコンセントを抜いて出掛けるので予備電源で電気を消費することもない。年中電気を使っているのは冷蔵庫しかありません。
調べてみると冷蔵庫の扉を開くのは電力的に結構なインパクトを与えるようです。と、いうことで今年は如何に冷蔵庫の扉を開かないか、開いても素早く閉じるかにチャレンジしてます。
まずは、マメに付けている家計簿を最大限に活用して冷蔵庫の中身を把握。「冷蔵庫の中に何があったっけ?」と思い立った時にも不用意に冷蔵庫を開かずにここ一週間くらいの購入履歴を見て消費し切れていないものを思い出すことにしています。次に冷蔵庫の棚割りをして一時的に置いてすぐ消費するものと長期的に冷蔵庫に居座る調味料類は分けていますので、扉を開く前にどこに手を伸ばせば良いかシミュレーションしています。
扉を極力小さく開いて素早く手を伸ばし、素早く取り出して、素早く締める。慣れれば案外実践できるものです。

お蔭様で、7月の電気代は去年が2924円なのに対して、今年は2625円。約300円も浮きました。カップのアイスなら4個は買えるお値段でなかなかお得な生活をおくっております。いよいよ鬼門の8月到来。目標は3000円を切ることなんですけど、結果や如何に? 今から楽しみにしています。

久遠を信じる

今年は太平洋上の高気圧がイマイチ弱くて梅雨が長引くのだそうです。天気予報でエルニーニョ現象がどうとか言ってましたね。
昨日も雨、今日も雨と雨空が続くと気分がくさくさしてきますが、明日も雨、明後日も雨という予報をみているうちに今度はちょっと怖くなってきます。

もしかして、いつまでもいつまでも、永遠に雨は上がらないんじゃないだろうか?

人間というのはいとも簡単に永遠を信じてしまう生き物のようです。だから人の死に際して「なんで、亡くなったの?」、「まだ、早過ぎるよ」と嘆息するのだと思います。良いことにつけ、悪いことにつけ、永遠などというものはないのだと、いつか全ての事物は終わったり変わったりしていくのだと覚悟を決めていれば、決して口をつくことのないセリフのはずですが思わずそう言ってしまうあたり、愚かしくもあり、可愛らしくもある生き物だと思います。
四国の祖谷を訪ねた時にも似た経験をしたことがあります。観光を終えて池田に向かう路線バスに乗ろうとしたら、丁度行ったところ。次のバスはなんと1時間後。仕方がないのであたりをうろうろしていたのですが、二十分、三十分と経つうちに不安になって来るのです。もしかして、バス停を勘違いしてバスが来ない場所で待っているのでは? もしかして、あの時刻表は去年のもので今年の時刻表を貼り忘れているだけだったりして? 不安は五十五分を経過したあたりからピークに達します。いくら耳をすませても自動車の音なんか聞こえないじゃないか?

とどのつまり、いつまで待っても永遠にバスなんか来ないのでは?

定刻、そんな不安を知る由もないボンネットバスがちゃんとやってきました ちなみに、このエピソードは大学に合格した春休みに気分転換に旅行に出かけた昭和58年(1983年)の話です。さすがにもう、ボンネットバスは走ってないだろうなぁ。

台風一過、今日は朝からうだるような気温と夏空です。長かった梅雨も久遠に続くわけではなく、そろそろ明けようとしているようですね。

ペーパーレスの怖さ

THE NET2.0(ザ・インターネット2)をレンタルしました。
サンドラ・ブロック主演の「ザ・インターネット」の続編と言われていますが、どちらかというとリメイクに近いくらい似たストーリーらしい
視聴はこれからですが、サンドラ・ブロックの方は映画館で観た記憶があります。公開は1995年。その年の暮れには歴史に残るOS、Windows95が発売された年でもあります。インターネットの商用解禁はもう少し前でしたけどWindows95の登場は本格的なインターネット時代の幕開けを飾るに相応しい出来事だったと振り返って思います。
本作はアメリカの田舎で一人暮らしをしているプログラマ(サンドラ・ブロック)がコンピュータ・セキュリティ会社の闇に触れてしまい、巨大企業の悪意に追い詰められていくといったストーリーです。警察のサーバに侵入した敵は彼女の経歴を書き換え、前科や麻薬中毒の経験があることにして彼女を社会から孤立させていきます。元々、ご近所づきあいをほとんどしていなかった彼女の身元を保証してくれる友人は誰もなく、やがて彼女は警察に追われる身となり……
来るべきネット時代に潜む闇に警鐘を鳴らした名作だと思うのですが、公開当時はまだ携帯電話は普及しておらずポケベル全盛の時代、パソコンを使ったネットサーフィンも一部のマニアの遊びくらいにしか思われていなかった頃のことですからピンと来なかった人も多かったんじゃないでしょうか? 「まあ、お話としてはおもしろいけど、現実にはこんなことあり得ないっしょ」なあんて考えながら映画館を後にした人もたくさんいた気がします。
僕はSEとして商用インターネットを仕掛けた側の人間なので、この映画で描かれた恐怖は絵空事ではなく十分起き得る脅威と理解しました。これからインターネットを介した情報テクノロジーが進化し、それに社会が依存すればいともたやすく人を闇に葬ることができるだろうなって。けれど、矛盾した言い方になりますが、「いやそれはないっしょ」という想いも抱きました(って、どっちやねん)。
「ペーパーレス」という言葉が叫ばれ、コンピューターによる大量印刷を抑えて画面を紙のように扱おうという機運は当時から既にあったのですが現実はまだまだ記録はデータではなく紙に印刷して残すという文化が根強く、特にお役所は紙信仰の強い業種でした。サーバ上で人の経歴データを勝手に書き換えたりしたら、保管している紙資料と情報が合わなくなって大騒ぎになるよ、なんて冷めた目で見ておりました。

あれから、二十年。コンピューター業界の悲願だったペーパーレスはタブレット等携帯端末の進化とともに現実のものとなりつつあります。遠からず、コンピュータ上のデータを補完する術はなくなり、そこにあるデータこそ真実と見なされる時代が到来することでしょう。時代の流れに逆行することは困難ですが、人はその怖さを知っておくべきだと僕は思います。紙に印刷したデータを改ざんしたら必ず痕跡が残ります。シールを貼って書き直したり、修正液を使うくらいしか手段がありませんから。でも、コンピュータ上のデータを改ざんしても痕跡が残らないのです。たとえ、改ざんの履歴を残す仕組みを作ったとしてもその履歴そのものも改ざんされるリスクは消せません。十分な技術を持った人間が悪意を持った時、この社会を支える情報は砂上の楼閣に収められているようなものなのだと知っておくべきです。
懐かしい映画のストーリーを思い出しながらそんなことを考えました。

しっかし、一言言わせて下さい。「ザ・インターネット」ってタイトルは止めようよ~「ジ・インターネット」でしょ、中学校で習う英語だよ

ガス抜き

こち亀が大好きで新刊が出るとつい買ってしまう数少ないコミックスの一つになっています。
自分が感じるあの漫画の魅力はネタが旬なこと、スケールが大きいこと、元気がもらえることでしょうか?
スマホ、ボーカロイド、DJポリス……話題になっているけど詳しいことを知らない時事ネタを掘り込んで説明してくれるのでいろいろ勉強になります。作者はとても週刊とは思えないペースで情報を吸収されているんだなぁとその勉強ぶりに頭が下がります。
スケールが大きいのも魅力の一つ。例えば下町の弱小ケーブルテレビ(たしか30ユーザくらい)の立て直しに乗り出して世界トップのケーブルテレビ会社に育てたり、M&Aを仕掛けて中川(主人公 両さんの部下で世界有数の財閥の御曹司)コンツェルンを乗っ取ったり、その中川を口車で忘年会の幹事に祭り上げて予算3兆円の忘年会をやってみたり。ギャグ漫画ですから忘年会の予算が3億円だろうが300億円だろうがなんでもありなのですが、敢えて中途半端な額面にせず3兆円にするあたりが実に男らしい。これって、ギャグだけど「もし3兆円の予算で忘年会をしたらこんなことができるんだよ」とシミュレーションしてみせてくれているわけです。縁のない数字ではあるけれど勉強になりました。
そして何より元気がもらえること。日々の仕事や生活に倦んでいるなと感じる時はこち亀のページを開くことにしています。「こんなに暑いのみ仕事なんかやってられるか。海に行こうぜ」と言いきってしまう両さんを見ていると倦んでいるこっちが馬鹿馬鹿しくなってくるんですよね。で、ホントに交番に『今日は交番は休みです。ご用の方は110番まで』と張り紙して海に行ってしまうし。次の日に何があるかなんてまるで気にすることなく思いっきり酒を飲んでるし、手に入れた大金をみんなに振舞って一晩で使っちゃうし、何十時間もテレビゲームに明け暮れたかと思ったらそれから何日も居眠りしてるし。
反面、気合を入れた時の仕事ぶり勉強ぶりは壮絶で人間離れした集中力を発揮するのです。両さんを見ているとどうにも自分がちっぽけな人間に思えて来て、それで卑屈になるわけじゃなく、もしかして明日もなんとかなるんじゃないかな~なんて思えてくるのです。
それは無根拠な開き直りではあるのですが、体にたまったガスを抜いて、「よし、もう一頑張りやってみるか」と思わせてくれる魔力をあの漫画は備えています。一作、一作も凄いけれどそれを何十年も一週も欠かすことなく続けて来られた作者のバイタリティーに頭が下がります。本来、物語は読み手に癒しや活力を与えるもの。そのお手本として「物語はかく・ある・べし」と明快に教えてくれる漫画だと思います。

顔をしかめるファッション

僕が高校生の頃の不良ファッションと言えば「ツッパリ」と呼ばれるスタイルが大流行していました。男子はリーゼントで髪の毛を固め、学ランにボンタンという暑苦しい服装、女子はチリチリのパーマで裾が地面をこすりそうな長~いスカート。その格好で街を歩くだけで一般人は避けて通るくらいの威圧感がありました。猫にツッパリのミニチュアを着せて「にゃめんなよ」というポップが付いたキャラクターが爆発的に売れたり、「ツッパリHigh School Rock'n Roll」という横浜銀蝿の曲がヒットしたりしましたっけ。
あれから35年若者の奇抜なファッションは変遷を遂げてきました。きわどいほどにスカートの丈を短くしたり、ゴムの伸びきったダボダボのソックスを履いてみたり、顔を真っ黒に塗りたくったり、髪の毛を金色にしてみたり、耳のみならず鼻や唇にもピアスを付けたり……一世を風靡したどのファッションも流行が過ぎてしまえば取り立ててカッコいいとは思えず、なんであんな恰好をしていたんだろうと首をひねるものばかりでした。例えば、今80年代のツッパリファッションで街を歩いたりしたら道行く人のスマホの餌食と化して数分後にはツイッターが祭状態になっているでしょうね
時代時代で変遷してきたファッションですが二つの共通点があると僕はにらんでいます。一つはハイティーンを中心とした若者の間で流行ったこと。間違ってもおじさん、おばさんはそんな恰好をしませんし、そこまで年がいかなくても二十歳を過ぎればどれも抵抗感のあるものばかりでした。そして、もう一つの共通点は……

大人が顔をしかめそうなファッションであること

ツッパリもルーズソックスもガングロも茶髪もピアスも、大人が見たら「近頃の若いものは」とつぶやいて顔をしかめそうなものばかりだったということです。裏を返すとこの二つ目の共通点が流行の鍵を握っていて、一つ目の共通点の理由になっているんじゃないかと僕はにらんでいます。
これらのファッションが流行った年代は必ずハイティーン。もう子供とは呼べず、社会からは大人としての分別を求められ始める年代です。かといって、まだまだ一人前の大人としては見てもらえない。そんな曖昧な目線に晒される彼らの心情はとても不安定です。その時々で「もう子供じゃないんだから」と言われたり、「ガキのくせに」と言われたり、世間の都合の良いように立場を変えられる彼らの心には大人への反抗心が芽生えています。だったら「子供のファッションとは言えない、けど大人のファッションでもない」、大人が顔をしかめるファッションでもしてやろうか。というのがあのファッションを生み出した動機ではないでしょうか?
ファッションというのは人に見せるためにするものです。だから、この「顔をしかめるファッション」も当然人に見せるためにしているものです。けれど、「見せたい」と思うその動機はなんてひねくれているんでしょう。
人から格好良いとほめてもらうためではなく。顔をしかめてもらうためにするファッション。彼らの心の声が聞こえてきそうです。

叱って、叱って、叱って。僕(わたし)まだまだこんなファッションをしたい年頃なんだ。まだまだ子供のままでいいよね。大人にならなくていいよね。

奇抜なファッションに身を包みながら恐る恐る大人たちを見上げている大人になり切れない子供たちの眼差しが思い浮かびます。あのファッションは一種の試金石、子供たちが大人の良識を試すためのものなのかもしれません。

邂逅

先月の末ごろ、唐突に大学時代の旧友から葉書が参りました。

関東在住メンバー限定で同窓会やります。

特に週末に予定があるわけでなし、もろ手を挙げて出席を表明しました。で、昨日7月4日は同窓会当日。川崎駅そばの居酒屋に行ってまいりました。
出席者は僕を入れて5名。街ですれ違っても気づかないくらいにみんな面変わりしていたけれど言われてみると、「おう、久しぶり」と言えるくらい十分面影を留めておりました。外見以上に変貌していたのはキャラかな。当り前と言えば当たり前なのですが、学生時代のやんちゃしていた頃の雰囲気は消え失せてみんないい大人になっておりました。職場でも相応に責任のある立場に立っておられるようで良い意味で分別臭く、三十年分の苦労を重ねて来られたのが透けて見えました。
とはいえ、深酒はする、下ネタ全開のトークはするというあたりはまるで変わっておらず、妙に安心したのも事実。後半は今読んでいる小説の話で盛り上がったのですが、意外にみんな読書家で(しかも結構、自分と読むジャンルが被っている)嬉しい限り。お薦めの本の情報交換もしてまいりました。

聞けば中の二人は千代田区の社員寮にお住まいだとか。通勤圏内だし、また呑みましょうね~

「走るおっさん」に関する一考察

職場が移転して、この春から新木場に通い始めました。
横浜の戸塚から新木場までは約1時間。今まで20分で通勤していた身にはちときついのですが、その分読書の時間が増えたし悪いことばかりじゃないとポジティブに考えています。それにつけても東京駅東海道線のホームから京葉線ホームの遠さは異常です。どれくらい遠いかというと、実は東京駅京葉線改札から地上に出るとすぐそこに隣の有楽町駅があるのです。つまり、東海道線のホームから駅一つ分歩いているという。ま、健康管理センターの先生からは「運動不足なんだからせっせと歩きなさい」と言われているし、貴重な運動タイムくらいに思っています。
僕はてくてく歩いて京葉線に向かうのですが、中には異様にスピードが速い人に遭遇します。早歩きの人、小走りの人、……あからさまに走っている人。一体、何を急いでるんだろうと思わせるスピードで移動している人を毎朝見かけます。その大半は四十から五十代と思しきおっさんという妙な共通点も目を引きます。
京葉線に向かうほとんどの人は僕と似たスピードで歩いているので傍から見ると一定のリズムとテンポで行列を作って動いているように見えるのですが、「走るおっさん」はこの行列をかく乱します。人を押しのけるようにして前に出ようとする。行列に割り込む。結果、リズムとテンポが乱れて列の移動速度が遅くなり迷惑はなはだしいのです。

あの、おっさんたちは何を急いでいるのか?

これは春先からずっと感じていた疑問でした。今日はあのおっさんたちの「走る動機」を考察してみましょう。
京葉線に辿り着いた時、ダイヤの掲示板を見上げると次の発車までまだ4、5分ある。それでも、おっさんたちは急ぐ急ぐ。と、いうことは電車に間に合わないかもしれないと思って走っているわけではなさそうです。だいたい、数分に一本電車が出ていますから1本逃しても大した遅れになりません。
何かの妄想に取り憑かれているのか? これはありそうです。「自分はジャックバウアーばりの企業戦士。1分の遅れが世界を滅亡の危機に晒すことになる」な~んて、考えながら。走っている? 本当にそうだとしたらジャッキーの映画を観て来てカンフーの真似事をするくらい(喩えが古いな)、はた迷惑な話しですけどね。だいたい毎日妄想していたら会社に着くまでに疲れてしまいそうです。
時間の管理が下手な人? これもありそう。発車まであと3分、ホームまであと1分とわかっていながら走るのは明らかにタイムマネージメントができていません。どんなに急いで電車に乗っても3分経たないと電車は出ませんから。
椅子に座りたい? うーん、これもありがちかも。でも、京葉線っていうほど混んでないんですよね。東京駅始発がデフォルトだし。それにどうしても座りたかったら先にも書いたように数分後の次の電車に乗れば良い。
単にそういう性格の人。これ一番ありそうな気もします。実は何も考えていない。早く着けば何か良いことがあるかもといった強迫観念に駆られているだけとか。
まさかとは思いますが、国家的重要に任務に就いているエージェント。ただのおっさんと見せかけて、敵国(どこよ?)のスパイと孤独なチェイスを繰り広げているとか。そう言えば、追手を撒こうとするかのようにジグザグに人ごみを抜けていったおっさんもいたような気が……。昨日も一昨日も平穏な日常を過ごせましたが、あのおっさんの活躍がなければ京葉線で爆弾テロが起こっていたのかも…………どきどきどきどき

って、全然、考察になってないじゃん。朝から妄想にふけってしまいましたとさ。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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