成長し続ける人々

公開されたらすぐに観に行こうと思いながら、ずるずると先延ばしになっていた『バケモノの子』を昨日ようやく観て参りました。
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以下、一部ネタバレも含みますのでご注意を。

ちょっと不遜な言い方になりますが実に僕好みのストーリーで楽しめました。両親が離婚して母方に引き取られた少年が交通事故で突然母を失い天涯孤独になるところから物語は始まります。引き取って育ててやると言わんばかりの親戚たちを嫌悪し逃げ出した少年は渋谷の街で見かけたバケモノを追ううち、バケモノ達が暮らす異世界へと迷い込みます。そこで、少年は乱暴者で人望(人じゃないからなんというのかな?)のない独り者の熊徹というバケモノに武道の弟子になれと強引に誘われるのですが……
この作品は細田守の長編アニメ第四作目となります。彼の作品は毎回明快なテーマ設定がなされているのですが、
時をかける少女:青春
サマーウォーズ:家族
おおかみこどもの雨と雪:育児
ときて、今回のテーマは『成長』ではないかと僕は読み取りました。
熊徹と反目しながら少年は成長していきます。最初は周囲を嫌悪の目で見るだけだった彼が人それぞれ、いろいろなことを考えて生きているんだと理解しコミュニケーションの取り方を学びます。同時に少年の振舞を見て熊徹も成長していきます。粗暴なばかりだった彼が人と接するには礼儀も必要であることを知り、退くべき時は退くことを、譲るべき時は譲ることを知ります。
熊徹の数少ない友人達も、武道のライバルとその子供たちも、宗師と呼ばれる街の長老さえもが熊徹と少年の成長していくさまを見て変わっていくのです。
やがて、青年になった少年はふとしたきっかけで、渋谷の街に戻る方法を見付け出し、バケモノの世界と人間界を行き来するようになります。人間界の図書館で見つけた本がきっかけで学ぶことの楽しさを知った少年は知り合った同年代の少女に本の読み方を教わりながら学ぶことにのめり込んでいきます。
武道以外にもこんな世界があったんだ──やがて、少年はバケモノの世界に戻らないことが多くなっていくのですが……
特にこのあたり、脚本が実に見事です。よちよち歩きの頃は親のみが師匠であり、家のみが世界のすべてであったものが、やがて成長するに従ってもっと違う世界があることを知り、親以外の人から受ける影響がどんどん強くなっていく。それを見ているしかない親の戸惑い、反感、誰もが知るそんな感情が端的に活き活きと描かれておりました。

省みて、僕が歩いてきた半世紀を考えてみました。中学時代の生徒会の仕事、大学時代の独り暮らしとサークル活動、初めて付き合った女の子、社会人になり一日の大半は職場の人達と時間を過ごし、家に帰れば寝るだけの生活、のめり込んでいった芝居の世界、結婚、育児──そのどれ一つが欠けても今の僕はここにいません。出会った多くの人達に影響を受けて、その度に新しい世界を肌で感じて、ここまで歩いてきました。そして、ここは終着点ではなく命が終わるその時までまだまだ成長していくんだろうなと改めて思いました。

映画を観て感じることは人それぞれでしょうけど、僕にとって『バケモノの子』は成長し続けている自分を改めて自覚させてくれたそんな映画でした。
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目にはさやかに

気が付くと朝晩ひんやりとして、ずい分過ごしやすくなりました。延々と続くような気がしていたあの暑さも終わってしまえば名残惜しい気さえするから不思議です。恐らく9月になればまた残暑がやってきて、うんざりした気分を味わうのでしょうけど。夜は確実に長くなっていきますので、ほんのひとときの話でしょう。
数年前、重たい病気を得て生まれて初めて長期入院を経験しました。発見がもう少し遅ければ命にかかわったとのことで、肝を冷やしたものです。なんとか薬で治し切ったのですが2年後に再発。今度は放射線治療と別の薬で叩いて治し切り、今に至ります。今のところ再再発に至ってはいないのですが、経過観察と言うことで二か月に一度通院しているところです。
病室はいつも同じ温度に保たれているので至って季節感のない環境でしたが、それでも窓から外を眺めれば今が秋であること、やがて冬が到来したことを感じ取れました。関西の気候は至って穏やかなので冬になっても雪景色が見られるわけではなくて、たかだか木の葉が落ちるのが見られるくらいなのですが、道を行き来する人の服装が厚着に変わっていくさまで季節を感じ取ることができました。
その死を実感させられた入院生活を通して僕は一つの真理を得ました。

恐らく今日、明日に死が訪れることはないだろう。ただ、来年の冬、僕がまだ生きているかどうかはわからない。無事生きながらえたとしても、その翌年はどうだかわからない。そして、いつか僕は最後の冬を迎えることになる。その翌年の冬にはこの世にいない時が来る。

当り前のことなのですが、改めて実感すると気持ちが少しひんやりします。この真理を得て僕は心に決めたことがあります。

今を生涯最後のその季節と考えて思う存分、悔いがないように季節を謳歌しよう。

あの年から六度目となる夏が過ぎて行こうとしています。この夏をきちんと楽しめたか、これを書きながら振り返ってみました。スイカも食べた。ビールも飲んだ。仕事も思いっきりしたし、念願の寅さんの故郷にも行ってみた。家の近所で何時間も迷子になるという愉快な経験もしたし、小説も映画もドラマもたくさん見た。
まだまだ、やってみたいことはあるけれど十分楽しかったな。

さて、季節が変わります。これが見納めの秋となるならば何をして楽しみましょうか。

ifの効用

昨日、書いた隠蔽捜査3のもう一つのテーマは「恋に落ちた署長」。主人公である竜崎署長が派遣されてきた秘書官に強烈な恋をするお話でもあります。それまで、どんな難局にぶつかっても決然と行動してきた彼がまるでドタバタコメディのように挙動不審になってしまうのも見どころの一つです。そんな中で今までの彼なら絶対に口にしなかったであろう言葉を吐いてしまう場面がありました。
「もし、彼女と出会わなかったら……」
それを聞いた彼の盟友(というか腐れ縁)の警視庁刑事部長がツッコミを入れます。
「そりゃ無理だな。もう逢っちまったから」
しごくごもっとも。

人はよく「たら」や「れば」を使います。曰く、「あの時、ああすれば良かった」、「しなければ良かった」。これって全く意味のない思考です。過去の出来事に対して岡目八目な分析をして、あたかもそうすれば過去が変えられるかのように議論し合うのは時間の無駄です。
反面、人は未来に起こる出来事に「たら」、「れば」を使うのが苦手です。「もし、大きな地震が来たら」だとか「想定以上の津波が原発を襲ったら」と言った議論をすることを嫌う傾向にあります。そんな話題が出た時によく聞く常套句は「言いだしたらキリがない」でしょうか? 人によったら「縁起でもないから止めてくれ」とあからさまに拒絶するかもしれません。でも、そういう人たちに限って実際にことが起こると異口同音に口を付く言葉があるから不思議です。

「まさか」

「まさか、こんなことになるなんて」って言うくらいなら最初からもっと考えようよと言いたくなりますね。
リスク管理は未来に起こることに対するifとの戦いです。「こうなったらどうする」という対策を立てて、その対策が想定していないことが起きたらどうするとまた考えて、いくつものifを積み重ねて安全性を高めリスクを減らして行く作業です。やっていて楽しい作業ではありませんが、それをすることで昔の人は河に堤防を作り、機械に安全装置を付け、高所の作業では命綱を身につけるようにしてきました。本来、ifというものは未来に対してのみ効力を発揮するものなのです。
過去の出来事に「たら」、「れば」を使うのも、「この次、同じようなことが起きたら未然に防ぐ」ことを目的とした時初めて効力を発揮します。今では当たり前に見かけますが電車の中の手動で扉を開閉できるボタンは桜木町の電車火災を教訓に設置されるようになりました。トンネル内で火災が発生した場合は停車せずにトンネルを出るまで走行してから停車するというルールは北陸トンネルの火災の反省から生まれました。
過去の出来事の「たら」、「れば」は、ことが起こってから「まさか」と言わないために活かしてこそ、その効用を発揮するのだと思います。

シンクロ・ライフ

一世を風靡したドラマ『24』を初めて観た時の僕の感想は、たぶん多くの人が感じたものと違っていたんじゃないかなと思います。
ハイ・テンポで進むストーリーにドキドキ、次々発生する難局にハラハラ、とっても楽しめたのは事実なのですが、それより僕が抱いた感想は……

なんて、自分の生活とそっくりなんだ。

別に僕はテロ対策チームで働いている訳ではないので、身の危険にさらされるようなことはないのですが、システムエンジニアという仕事はいざシステムにトラブルが発生したら復旧するまで不眠不休で対応しなければならず、その現場はあのドラマさながらなのです。しかも、現実は24時間経ったら爽やかに解決……するわけはなく、酷い時は2連徹(2日連続徹夜)、3連徹(3日連続徹夜)なんてこともあり得ます。障害の原因解析と同時進行で対処療法を検討する。長期化を見越して追加の要員を手配する。パニックを起こしているお客様を宥める。陣中見舞いにもならない何しに来たかわからないうちの会社の偉い人を邪魔にならない所に誘導して鎮座いただく。そうこうしているうちに集中力を欠いたメンバーが操作ミスをして新たなトラブルが発生。それはもうてんこ盛りな長い夜になるのです。
こういった事態に必要な資質を一つ挙げるとしたら何でしょう? それは恐らく、徹夜でもバテないタフな肉体でも、障害の原因に肉薄する天才的な閃きでもありません。
長年の経験から僕ならこれを挙げます。

『自分を信じる勇気』

出口が見えないトンネルの中を走っていると人間はいとも簡単に永遠を信じ込みます。このトンネルは永遠に続くんじゃないか? いつまで経っても出口に辿り着かないんじゃないか? そんな思いに押し潰されそうになります。そんな時に一番必要なのは『自分(自分達)は絶対にこのトラブルを解決できると、強く信じることなのです。少なくとも「もう無理。もうダメ」とパニックに陥り、簡単にあきらめたり投げ出したりするメンバーとはチームを組みたくありません。ただでさえ、暗い雰囲気の状況下、そういったネガティブな感情はあっという間に周囲に感染します。それはトラブル対応においてトラブルそのものよりずっと怖い現象なのです。
なので、僕はジャックバウアーが強い信念を持って行動する理由が良く分かります。とんでもない難局の中で自分を支えてくれるのは揺るがない信念だと僕も知っているからです。ストーリーがリアルに練り込まれている分、なんだか身につまされるなぁというのが僕の『24』を観た感想でした。

ところで、近頃、今野敏の『隠蔽捜査』にハマっています。昨日、第三作目「疑念」を読了したところ。主人公は警察庁の超エリートでしたが、家族の不祥事で大森署の署長に降格された竜崎という男。『キャリアというものは強い信念の下、身を粉にして国のために働くのが当り前』というのを具現化したような人物で、周囲が実際にいそうな俗物的官僚ばかりなので、そのギャップが際立つ良質なエンターテイメント作品です。現実にはこんな官僚はいないだろうと思いつつも、いたら良いよなと思わせられるんですよね。
三作目は合衆国大統領来日に際して方面本部の警備責任者に抜擢された彼がテロの予兆に直面して奮闘するお話です。
かつてはジャックバウアーの如く、トラブル対応の現場で飛び回っていた僕も、近頃は指揮官を務める立場。トラブルの現場ではじっと座って、次々に上がって来る状況報告を分析しながら、判断を下し次の指示を出すのが仕事です。このシリーズにハマっている理由の一つは竜崎の立場が自分とよく似ているからかもしれません。
で、気が付くと件の小説を進捗報告書を読むような目線で読んでおりました ヤだなぁ……

大和撫子の定義

久しぶりに小説の筆を執っております。タイムトラベルを扱うSFものなのですが、ヒロインを大和撫子を具現化したらこんな感じというキャラクター設定にしたくて只今大和撫子を研究中です。サクラ大戦のゲーム実況を熱心に鑑賞したり(あれは作り物やんというなかれ、プレイヤーの感じ方は置いておいて制作側は大の大人が知恵を絞って大和撫子を定義した集大成の一つなのですぞ)、それらしい情報が書いてそうなネットコンテンツを読み漁っております。で、それを元に思いつくまま大和撫子の特徴をメモしてみました。
当り前のことにご迷惑をおかけしましたと言える
けじめをつける
ブレない規範を持っている
無邪気、天真爛漫、天衣無縫
思慮深い
気配り、目配りができる
優しい
けなげ
一途
自分に恥じない生き方をしているか常に確かめながら前に進む
命がけで好きな男を守ろうとする
女性が優遇される風潮でも納得いかなければ反対する(レディースデーとか)
熱き血潮を胸に秘めている
愛する人を侮辱されると激怒する(普段の穏やかな姿からは想像も付かない修羅になる)
時として外面如菩薩内心如夜叉になり得る
慎みがある
つらいこと、寂しいことがあっても呑み込んでしまう
「貴方の方がお姉さんでしょ」と言われると黙り込む
下に行くほど具体的になっている気もするのですが、下から4番目の「時として外面如菩薩内心如夜叉になり得る」なんて怖いですよね。
一般に大和撫子の特徴は? と人に聞くと誰もがその良い面を挙げようとすると思うのですが、人間の一タイプですので短所というかネガティブな特徴があって当たり前だと思うんですよね。むしろ、書き手としてはその両面が描けて初めて大和撫子を具現化したといえるわけで、その点、サクラ大戦ではメインヒロインの嫉妬深さやドジっ娘属性を強調してコミカルに描いておりましたが、これから書こうとしている話はそれでは戴けない。むしろ、女の性(まだ16歳だけど)の本質みたいなものがテーマになるので如何に読者が納得できるネガティブ設定ができるかこそが勝負なのです。ということで、引き続き大和撫子の短所を研究中。
嫉妬深い
頑固
意思を貫くためにはなりふり構わない一面がある……
なかなかに興味深いです。

もったいなさの規範

料理好きの性で日々の生活の中心に炊事があるせいか、頻繁に料理に関する「もったいない」ということが気にかかります。
で、僕の中の「もったいなさの規範」に照らすと最ももったいないことは「食べ物をダメにすること」です。だって、それにかけたお金を全て無駄にするんですから。なので、僕の食生活の規範は「如何にして食べ物をダメにしないか」ということを基準にして回っております。
一口に「食べ物をダメにする」といっても大きく2種類に分かれます。
食材をダメにすること
料理をダメにすること
この二つは原因も対処法も大きく異なります。前者の原因は主に2つあると思います。一つは買い過ぎること。もう一つは普段使わない食材を買ったが気に入らなくて放置すること。その対処法として僕はいくら割安でもジャンボパックのような容量の大きなものは買いません。調味料でも500mlと1000mlなら大概1000mlの方が割安なのですが、最長でも1ヶ月のサイクルで消費できる単位でしか買いません。だって、量が多いものを買って半分ダメにしたら倍のお金がかかった勘定になります。それに冷静に考えればすぐに気付くことですが、グラム単位の単価ではなく値札で判断した方がお財布から出ていくお金は少ないんですよね。
食材や調味料を大容量で買うともう一つ弊害が出ます。人間は大量の物を見ると気が大きくなっちゃうんですよね。「いっぱいあるから使っちゃえ」という心理が働いてついつい無駄遣いしてしまいます。なので、買うのはやっぱり適量に。
もう一つの原因対策として定番アイテム以外はそもそも手に取らないようにしています。以前は目新しい物を見掛けるとついつい手が伸びて冷蔵庫の中で何か月も放置されている(酷い時はほとんど使わずに捨てる)ということがあったのですが、懲りました。

さて、後者「料理をダメにすること」の原因として味つけに失敗して食べたくなくなり放置するということも挙げられると思います。けれど、僕はそれは主因だとは考えていません。体に悪い物でなければ(真っ黒焦げとかはダメですが)、頑張って食べれば済みます。それよりも大きな原因はやっぱり作り過ぎることでしょう。どんなに美味しい料理でも量が多すぎればだんだん飽きてくるものです。これに対する対策は主に二つあります。一つは少量を作ること。難しいといわれますが、今どきはグラム単位で計量できるデジタルスケールもありますし、慣れれば意外と簡単です。慣れないうちは食材や調味料の量の加減が分からずついつい作り過ぎてしまいがちですが、そのうちに見当が付くようになってきます。僕の中の基準は肉は一皿につき肉メインなら150グラムまで(120で十分かなとも思っています)、野菜炒めや皿うどんの具のような炒め合わせの場合50グラムで十分というのが一つの基準です。で、もう一つの対策は作り過ぎてしまった場合、半分に分けて冷凍しておくことですね。間違っても続けて食べるのは勿体ないです。ただでさえ一人の食事はわびしいものですのに、昨日と同じ料理を食卓に並べたらそれだけでうんざりしてしまいます。今は電子レンジくんという強い味方がおりますから数日を経てそろそろ恋しくなったころにチンすれば宜しい。

総括すると僕の食生活に対する「もったいないの規範」はこんな感じです。
最ももったいない行為は食べ物をダメにすることである。
そのためには必要な量しか買わない(割高を恐れない)。定番しか買わない。
作るのは一人分。どうしても作り過ぎてしまったら分けて冷凍しておく。
たった、これだけで家計にも優しく快適な食生活が送れるようになると思うのですがいかがでしょうか?

彼岸の真相

明け方変な夢を見ました。自分の思念だけが体を離れてあっちこっちに出かける夢。夕べ、ニコニコ動画の実況でサクラ大戦のゲーム実況なんか見た影響かな
中学生くらいの頃かな、人間の思考(思念)というのは脳を流れる電気信号なのだと知った時に妙なことを考えました。人が死んでもある一定時間(個人差はありそうだけど)、脳の中をその電気信号は流れ続けているんじゃないのかなと。で、それを第三者が観測することができれば死を自覚した人間が何を考えているかわかるんじゃないのかなと。
客観的にその信号の中身をキャッチすることができればそこに映る映像こそ彼岸の姿かもしれません。だとすれば臨死体験をして帰って来た人の証言が宗教によって異なることの説明になります。キリスト教徒ならキリスト教的な、仏教徒なら仏教徒的な彼岸を観るであろうことは想像に難くありません。お祖父ちゃんやお祖母ちゃんが川の向こうに立っていて「まだ、来ちゃダメだよ」と言っていたという話もよく聞きますが本人しか面識のない特定の人物がいたというのが不思議がられますが、このカラクリなら不思議でも何でもありません。彼岸とは本人の残存思念が見せるもの──つまり夢と同じものですから。
たまに肉体が滅びても思念が残って空気中を彷徨うようなケースがあったとしたらどうでしょう? その人に近しい人はその思念と共鳴して幻影を見るかもしれません(って、SFチックな発想だな)。それこそが幽霊の正体、俗にいう夢枕に立つという現象なのではないでしょうか。その思念がもっともっと強いと誰彼かまわず共鳴してしまうのかも。なので、思念が漂っている場所で多くの人が目撃証言をして「地縛霊だ~」という流れになっているのかも。おおっ
幽霊の目撃譚が夜に集中していることを考えると思念と共鳴し易い条件というのが見えてきます。気温が低いこと、明度が下がって辺りが暗いこと、冥途なだけに…………失礼しました

死後の世界に思いを馳せた中学生の頃、すでにバリバリの理系だった僕は「ロマンチックな発想だな」と考えました。僕は一般的な意味でいう死後の世界も輪廻も信じてはいません。人間は死んだらそれで終わりだと思っています。だからこそ、生きてるうちに精いっぱい生きねばと思っています。さまざまな宗教が示す死後の世界観はあくまでも残された人を慰めるために考案されたシステムだと考えています。
でも、肉体が滅びた後、人の思念(想い)が残って、残された人々に幽霊譚という形であれ、ひと時の夢を見せてくれるとしたら、それはひどくロマンチックなでもとても素敵な現象だと思うのです。理系人間にしては感傷的過ぎるのですが、誰にも等しく訪れる死という理不尽な出来事に対してそれは一片の希望の光にならないでしょうか?

昨日は旧暦の盆の入り(迎え火)、普段はあまり考えないそんな懐かしい考察を奇妙な夢が思い出させてくれました。ご先祖様の思念が枕元で踊っていたのかな?

キャラクターの造形

昨日、ここに行ってまいりました。
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寅さんの故郷です。駅前にはこんな銅像も建っています。
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車寅次郎という主人公を初めてこの世に生み出した時は恐らく沢山のキャラクターメモが作られたことでしょう。曰く「明るくて、お調子者、考えなしなことをするけれど、人情に厚く純情、風来坊で束縛されることを何より嫌う、その日暮らしで出たとこ任せ、学はないけど物事の本質を明快に捉えている……」等々
僕も小説を書くときに最初にキャラクターメモを書きます。そして執筆の時々で読み返しては言動に矛盾がないかチェックします。これは指標としては分かり易くて便利なんですよね。
でも、所詮指標は指標。性格の一端を分かり易い言葉で表現したものに過ぎません。この指標の上に乗っかって登場人物が自在に動き出して初めてデジタルがアナログに変わっていくのです。時に登場人物が指標に反した動きをすることもあります。そういった時は、いきなり書き直すのではなくしばらく動かしてみるのも手です。しばらく行動させてみると「なぜ、そういう行動に出たか?」という動機が見えて来て案外矛盾がないと気付かされることもしばしばあります。

男はつらいよシリーズは全部で48作、その間多くのスタッフ達が試行錯誤し、何よりも渥美清さんが研究を重ねて車寅次郎は血の通った人物になりました。まるで木で作られたピノキオが多くの経験を経て人間になったように。今も多くの人の記憶に鮮やかに残っている寅さんが活き活きと感じられるようになるまでにはそんな紆余曲折があったんじゃないかなと思います。

オデュッセイア

昨日は長期休暇恒例、スーパー銭湯の入湯日でした 平日に行くと混んでないし安いんですよね。
で、戸塚に戻ってきて駅前スーパーそばに停めておいた自転車のところに行くと……ない。代わりに非情な張り紙が地べたに一枚。『撤去しました。返して欲しくば預かり賃1500円を持って以下の場所に来ること』って、誘拐犯かよ。その張り紙の周辺に大量の自転車が停めてあることに納得いかない気持ちはあったのですが、返してもらわないと困るので一旦家に戻って身代金(?)やら身分証を整えて犯人(?)が指定する隣駅に向かいました。戸塚の隣駅は東戸塚と申します。電車で移動すると5分ほど、つまり時速60km平均で考えれば5km。……、徒歩なら1時間コースじゃん。
僕も大人ですから係りの人に「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げて、身代金(?)を払って預かり所を出たのですが途端に道が分からない。こういう時は細い道に迷い込まず、でっかい道をずっと走っていればいずれ辿り着くだろうと思ったのがどうもよくなかったようです。かなり走ってから不安になり始める。「逗子」? いやそんな遠くに行くつもりはない。ここはどこ? 仕方がないので携帯の位置検索で地図を広げると地下鉄の駅3つ分ほど戸塚からずれてしまっている。仕方がないので住宅街に突入。突っ切って地下鉄の駅を縦断するコースを選びました。ま、こっちは自転車。駅3つは軽いでしょう。

多くの港町がそうであるように、横浜も坂ばっかりの街です。1時間後、僕は坂の途中で立ち尽くしておりました。既に幾多のアップダウンをこなしてへとへと。周りは似たような建売住宅の海、海、海。見当さえつけてそっちに向かって行けばそのうち駅に出るだろうという考えが甘かった。住宅街は袋小路の宝庫、ちょっと行ったら家がでんと建っていて行き止まりになっている。あっちにふらふらこっちにふらふらしているうちに時間ばかりが過ぎて行く。しかも、この暑さで人が歩いてない。さすがにインターフォンを押して「どうも、ちょっと道をお尋ねしたいのですが、戸塚駅にはどうやったら行けるのでしょう?」と聞くのは気が引けて、勘を頼りにあっちにうろうろ、こっちにうろうろ。位置検索をしてもなんだか、ちっとも近づいている気がしないのですが。
とある、角を曲がった時、天啓のように僕の目におばさんの……この際、お姉さんと言っておきましょう(少なくとも僕よりずっと若かった)、姿が飛び込んでまいりました。思わず駆け寄り、「あの、戸塚駅に行きたいのですが」と尋ねると、破顔(爆笑とは言うまい)されて、こっちこっちと先に立って歩いて手招きされる。自転車を押してついていくと、「あそこに自動販売機が見えるでしょ。あそこを右に曲がって広い道に出て、あとはまっすぐお行きなさい」時の女神に、散々お礼を言って件の自販機に到着。右折……
って、ええ? 神社の境内のような急な階段に申し訳ばかりのスロープがくっついてる。いやいやいや、教わらなければ絶対曲がらんでしょう。おっかなびっくり、坂兼階段を下りるとなるほど広い道、しかしこの田舎の国道然とした道が本当にあの大都会戸塚駅に続くのか? 不安はありましたが取るべき道は一つ、アップダウンをものともせず自転車を飛ばしました。(って、アップはへとへとなので押して上がったんだけど)

15分後、駅前のMODI(モディ)というショッピングモールが見えた時は泣きそうになりました。こうして僕のオデュッセイアは幕を閉じました。家に帰って改めて自分がたどった経路を検索すると見事に扇型に目的地から離れていることを発見。もっと、JR沿いに走らなければならなかったようです。次のために覚えとこう(をい)。

里帰り

夏季休暇を戴きましたので土曜から二泊三日の里帰りをしてまいりました。せっかくの休みなのだからのんびりすれば良いようなものなのですが、忙しなく動き回ってしまうのは性分ですねぇ こんな感じの旅程になりました。
8月8日(土)
 かねてより妹に頼まれていたコンビーフを購入するために京急富岡(横浜市金沢区にあります)にある加藤牛肉店にGO。
  一本、1500円もするのですが、それだけの値打ちはありました。脂身が少なくて美味。
 横浜駅に戻って高島屋に寄り、嫁の好物のアリアケ・ダブルマロンを購入。その足で新横浜から大阪に向かいました。
 ひっさしぶりの大阪駅。あんまり変わっていないようで安心。直射日光を避けるためホワイティ梅田を抜けて泉の広場
  上がる、「回転すし さかえ 北店」へGO。ここは一貫135円とは思えない上ネタの穴場的回転寿司屋なのだ。なにわの寿司の
  味を堪能させて戴きました。
 神戸の実家に到着、母上と酒盛り。何気に疲れていたようで爆睡。
8月9日(日)
 お昼の会食に向けて、母上と一緒に三ノ宮そごうへGO。景色が思い切り変わっているのにびっくり。そごうの隣に
  ボウリング場ができてたよ~
 母上、妹(長女)、嫁と実家で会食。なにげにワインがボトル2本空く。
 しばし、食休み後。15時半に実家を出て仁川へGO。関西に住んでいた頃は週に2、3回は通っていた焼き鳥屋に
  顔を出しました。日も高いうちから燗酒を傾けていると、申し合せたように懐かしい常連さん達が続々と来店。ま、これは奇遇
  でもなんてもなく、皆様行動パターンが変わらずにいらっしゃらないということみたいです。
 その後、帰宅した記憶はほぼないのですが、目が覚めると実家の蒲団の上で寝ておりました
8月10日(月)
 ちょっと二日酔い気味に起床。但し、1時間もしないうちにけろりと治る。嫁@バイト中と待ち合わせのメールをしつつ、
  荷造りを始める。
 13時、嫁と宝塚で待ち合わせ。パンケーキとサラダの専門店『Café de Voila』でランチデートしました。
  嫁のオーダーは『焼きりんごのキャラメリゼ』
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風味は王道のシナモンで濃厚めな甘さ。
  自分のオーダーは『赤い実のベリーソース』
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  こちらはさっぱり系の酸味が強いソース。恐らくヨーグルトを使ってますね。ちなみに、小さなカップに入っているホイップクリームみたいなのはソフトクリームです。おかず(=パンケーキ)の後のデザートということかしらん。どう考えてもデザート&デザートって感じなのですが で、肝心のパンケーキですが、スフレのようにふわっと口どけする食感。マスカルポーネチーズを使っているらしいのでまさにチーズスフレといった感じ。王道的なホットケーキが好きな人にはちょっと物足りないかもですが、自分的にはこれはこれでありかな。これにプラス、アボカドのサラダをシェアしながらゆっくりランチしました。
その後、駅周辺でのお買い物に付き合ってから嫁に見送られて新大阪へGO。夜には住み慣れた横浜に帰って参りました。

ちょっと、忙しなかったけど充実した帰省だったかな。

チープな居酒屋

夕べ、前から気になっていたここに行ってきました。
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かの牛丼屋チェーンが始めた居酒屋『吉呑み』。がっつり呑むのはキツイけど、ちょっと一杯呑んで帰りたい気分、というコンセプトのライトでチープな居酒屋スペースです。一階は普通に吉野家で二階が夜になると居酒屋になるという仕組み。なぜ、急にこの店に行ってみたかというとネットで見かけたこれに釣られたわけです
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4杯飲んでも千円というのは魅力的。ということで、ともあれビールと看板メニューの牛煮込みを頼みました。
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さすがにお家芸だけあってこの煮込みはむちゃくちゃ美味しかったです。350円というのもそこそこリーズナブル。
ちょっと、落ち着いたところでお品書きを改める。
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良いですねぇ。酒の肴なんか最高額が300円で、100円のメニューがつらつら並んでいます。
確かに、店のサイドメニューを転用したり、缶詰から皿に盛りました的な料理だったりするのですがこの値段なら許せそう。でも、隣のおじさんが角のハイボールをオーダーしたら、缶のプルトップをプシュッと抜いて氷を満載したジョッキに注いだのには笑った。
あと、こんなのも頼んでみました。DSCN3009.jpg
DSCN3013.jpgウィンナー、冷凍だけどそこそこ美味しい。煮卵、吉野家の牛丼の出汁に漬け込んだ卵、安定したおいしさ。
ビール3杯飲んで、あとサラダも食べて1580円也。チープだけどそこそこ楽しい時間が過ごせました。メニューがもう少し充実したらまた行ってみようかな。

鼻唄への憧憬

歌謡曲なんて言葉を聞かなくなって何十年も経った気がしますが、たまにネットなどで耳にするとやっぱり良いよなぁと思います。
何が良いって、昭和の歌謡曲の多くはメロディやリズムがシンプルで素人にも簡単に歌えるものが多いんですよね。
夕飯の支度をしながらお母さんが知らずに口ずさんでいるシンプルな音楽。それでいて、時に優しく、時に厳しく、人生折々の機微を練り込んだ歌詞。
鼻唄で歌える音楽がなくなってしまった時代はなんだか寂しいなぁと思ってしまいます。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
↓こちらもよろしく!!
http://diningg2011.web.fc2.com/index.html

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