小説になっている?

公募に応募すると応募者のリアクションや意見が気になって2ちゃんねるのスレッドなどチェックしたりします。
その中でちょっと気になるコメントがありました。

『二次に残れてない段階では、「小説になっていない」。 』

つまり一次選考すら通過しないようでは、審査員の目から見て小説として成立していないという意見だと思うのですが、どうもこの小説になっている/なっていないって言葉がよくわかりません。それって、誰がどういう基準で決めるのでしょう?
小説かどうかを判断するチェックリストのようなものがあって、それに基づいて審査すれば公平だと思います。でも、読み手の感性で「こんなもの小説と言えるか」と言われても納得いきづらいですよね。そもそも小説って何? というところまでさかのぼってしまいそうです。
小説とは大説の対義語で大説が広く国家のありようを説いた書物(中国の四書五経などが例に挙げられます)であるのに対して、小説は市井における日常のできごとなどを記した書物というのが元々の意味です。ただ、上のコメントを書いた人はそれ以上に厳密な定義をイメージされている気がして、恐らくは人物が描けていないとか、視点が定まらないとか、ストーリーが破たんしているとか、小説の教則本に出て来そうなことを指しているんじゃないかなと思います。でも、僕に言わせればそれは不細工な小説であって、「小説になってない」──小説としての審査対象外というのとは違う気がするんですよね。
だって不細工な小説=悪い小説とは限りませんから。
例えば、一世を風靡した「電車男」は2ちゃんねるの書き込みの集約ですので小説とは言い難いかもしれません。視点もバラバラですし(当り前か)、恣意的なストーリーも持っていません。けれど、あの本を読んで多くの人が感動し、勇気をもらったのは事実です。
良い小説、悪い小説というものがあるとすればそれは表現のテクニックや人物描写など個々の要素の出来不出来を指すのではなく、もっとストレートに「どれだけ読者を楽しませられるか」で評価されるべきだと僕は思います。
文学部の先生がどんなにその表現を絶賛したとしても、誰も楽しめなければ意味はありませんし、逆に低俗極まりないと批判されながらも、読むものをワクワクさせ、一度読みだしたら止まらなくなって続きが気になって気になって仕方がないという小説には価値があると思うのです。

「小説になってない」という言葉には(偉い)審査員が認めてくれれば、一般読者の評価がどうであれ気にしないという独善的なニュアンスを感じます。少なくとも僕は読者を楽しませるために小説を書いているのであって誰かに審査してもらうために小説を書いたことは一度もないなと改めて感じました。
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社畜と矜持

一日8時間労働制に感じた危機感は、労働時間の不足などではない。
働くということが、ただの決まりきった作業になってしまうということだ。(トーマス・エジソン)

我が国が特別なのか他の国もそうなのかわかりませんが、民意に中庸はないようで、まるで時計の振り子のようにいつも極端から極端に振れているように思えます。法を無視して行き過ぎた労務を強いるブラック企業が話題になり、そんな企業でそれでも黙々と働く社員が社畜と呼ばれるようになって久しいですが。そういった働き方が絶対悪であるかのように指弾されるのが今の風潮のようです。
確かに過労死や過労自殺に追い込むような仕事が良いわけないというのは理解できるのですが、それらの多くは労務管理の不備が大きな原因を占めていて管理職がきちんと管理すれば防止できたことも多いのではと考えるのです。
翻って、狂気のような勤務体系を押し通すことで生み出された多くのものがあったことも事実です。誰もが喝采を浴びせたスタジオ・ジブリの作品群は多くのスタッフが睡眠時間をギリギリまで削って作り上げたものです。冒頭で挙げたエジソンを始め世紀の発明と呼ばれるものの影では寝食を惜しまない努力が重ねられてきました。医療の現場は24時間体制を常に人手不足で賄わなければならない過酷なものだと聞きますがその仕事が命を救ってくれているのも間違いありません。

大変だね、通勤通学とかもう古いよね。って新幹線品川駅から吐き出されてくる大量のダークスーツ軍団をみて思った。こんなん毎日やってるとかもうドエムとしか思えない。(堀江貴文)

この記事を見掛けてカチンと来たのでこんなブログを書いてみました。このコメントに4割が同調したというのにも呆れたのですが、「だったら、貴方は雪国に赴任したら半年仕事を休むの?」と聞いてみたいな。

転倒して頭打ったなんて人もいるじゃないですか。会社は責任取れるんですかね?」(20代男性/出版)

なんて意見もあったみたいですが、ほとんど学生気分ですね。通勤途上なら労災が下りるに決まっているしそれが会社の責任の取り方です。逆にいえば会社がしてくれるのはそこまで、あとは一人一人が十分気を付けて通勤するよう心掛ける自己責任の範疇です。会社を自分の保護者(パパやママ)か何かと勘違いしてるんじゃないの? と思わせる気持ちの悪いコメントでした。

僕はブラック企業のような仕事の仕方には反対です。誰もが人間らしく仕事と生活のバランスを保って生きていくべきだと思います。でもね、仕事に対する矜持はなくしちゃいけない。ましてや、歯を食いしばって働いている人を指さして「社畜」だなどとはやし立てる今の風潮は嫌いです。
誰だって寒い日は布団から出たくありません。外を見て雪が沢山降っていたら出かけたくもありません。でも、それで放り出して良い仕事なんて本来あるはずないのです。あるとすれば普段からその仕事はあってもなくても良い物のはずですから。
雪をおして通勤する人達が出社できるのは早朝から働いて鉄道を運行してくれる人がいるからです。雪道で転んで頭を打っても、病院に行けばお医者さんも看護師さんもいて治療をしてくれる。お昼に近所の定食屋に行けば温かい料理が食べられる。
それらは決して「あたりまえ」のことではありません。雪にも負けず働いてくれる多くの人がいるからこそです。それを指して「ブラック」だ「社畜」だと嗤う人がいるとすれば僕はその人を軽蔑します。
過酷な労働に盲従するのもさせるのも僕は反対です。でも、今の風潮に甘んじて仕事に対する矜持をないがしろにするのは如何なものでしょう? 本来、仕事はつらくても歯を食いしばって務めるものです。
決して「あたりまえ」でないことを「あたりまえ」にこなす。それが社会人の務めですし、この国が誇れる国民性じゃないでしょうか?

雪の思い出

週末は今年一番の寒波がやってくるとの予報だったので大雪がくるのではと身構えていたのですが、どうやら杞憂だった模様。朝起きたら一面の銀世界 な~んてのをちょっと期待していたのですけどね。

僕は生まれも育ちも神戸で今は横浜に住んでいますから雪とは縁がありません。子供の頃はそれこそ2、3センチも積もればおおはしゃぎだった気がします。10センチも積もればニュースになっていましたね。
なので、雪の思い出というのはあまりないのですが幼稚園の頃、一度大雪が降って誰かが雪うさぎを作ってくれたのが印象に残っています。でっかい雪だるまやかまくらにすごく憧れている子供でしたね。
僕が一番雪と馴染みのある暮らしをした時期は社会人になってからの数年間でしょうか? 丁度バブル期と被るのですがあの頃は猫も杓子もスキーに出かけておりました。僕も多分にもれずひと冬に何度も出かけておりましたが、格別スキーが好きだったわけでもなく、あれは一種の社交、友達付き合いの類だったように思います。
スキー旅行の中でも格別楽しかった思い出は山岳部出身の友人に教わった雪山の遊び方でしょうか? ゲレンデに出たら、まずは山の中腹辺りにアタックポイントを設けてコースの邪魔にならない位置に荷物一式を置いておきます。それから半日ほど適当に滑ってお昼時になればアタックポイントに集合。お湯を沸かしてコーヒーやスープを飲んだりレトルト系のご飯を食べたりします。見渡す限り真っ白な世界で食べる熱々のご飯は最高でした。それからは滑りたい人はまたゲレンデに戻り、残ったメンバーで雪だるまやかまくらを作って遊んだりしました。滑る以外にも遊び方はあるもんだと再発見させてもらった新鮮な体験でした。

そんなスキー旅行も結婚を機に足が遠のいてしまい、気が付けば20年以上行かなくなっています。そしてこの冬。リフレッシュ休暇を戴いて北海道に行ったのを皮切りに、新潟県にあるお客様のプロジェクトに参加することになって妙に雪国と縁のある日々が続いております。プロジェクトが終わるまでにはぜひ、雪見酒というのを経験してみたいなと企んでいる今日この頃です

家探しの極意

早い物で横浜に越して来て3年目を迎えようとしています。丁度三年前の今頃は、パソコンとにらめっこしながら住む場所を探していましたね。全く土地勘のない地方で住む場所を探すのは生まれて初めてのこと……だったわりには良い街、良い住処を見付けられたなと思っています。今日はその時学んだ家探しの極意を披露しましょう。

STEP-1 住むエリア候補を探す
 まずは最寄り駅レベルで住むエリアの候補を探します。主としてGOOGLEで検索してそのエリアの住み心地に関する情報を集めました。その際に多用した魔法の検索ワードは……
 『昔ながらの商店街』×路線名
 というものでした。たとえば、「昔ながらの商店街 湘南新宿ライン」とか「昔ながらの商店街 横浜線」といった感じで検索するのです。この検索でヒットした駅周辺はほぼ間違いなく家賃が安い。
 どうしてそうなるかというと、宅地開発が進んで多くの人が住み始めると食料品や日用雑貨の需要が増えます。駅前に商業施設が整備されていくのは自明のこと。「商店街」というキーワードを与えることでビジネス街を振るい落として住宅街に検索結果を絞り込んでいるのですね。ここに「昔ながらの」というキーワードを加えると駅前の整備がなされて長い時間が経っているエリアに絞り込むことができるのです。そういった土地は当然宅地開発されたのも昔の話、自然と築年数が長く家賃の安い家を見付け易くなるという寸法です。

STEP-2 生活必需施設を調べる
 誰にとっても生活していくのに欠かせないお店や施設ってあると思います。それはその人にとって絶対に譲れない拘りポイントで引っ越した先にそれがないと目の前が真っ暗になります。
 なので、STEP-1でエリアの候補を複数見付けたら次は自分にとっての生活必需施設があるか調べます。僕の場合、図書館、居酒屋、食料品店、酒屋といったところでしょうか? 人によってはパチンコ屋、外食できる店、カラオケ店、バッティングセンターといったものもあるかも。これらをブログなどの口コミで拾っていきそのエリアの充実度によって天秤にかけていきます。

STE-P-3 家選び
 住むエリアを絞り込んだら次は家選び。
 家選びの第一歩は最寄駅からどっちの方角を狙うかというアプローチから入ります。もちろん駅徒歩1分なんて物件は理想ですがその分家賃が高い。なので、必然的にある程度歩くことが前提となります。駅から徒歩10分程度を許容と考えた場合、等高線やストリートビューを頼りにアップダウンの少ない方向を選ぶのが吉。わりと距離が近くてもとんでもない坂がある方向を選ぶと泣く羽目になりますので要注意。
 次に物件探し。今日日の不動産屋さんはホームページに物件情報をたくさん載せていますのでまずは在宅でチェック。自分の拘りポイントを中心にふるいにかけていきます。僕の場合は何といってもキッチンの充実度が最重要。加えて日当たりとそこそこの広さが欲しいかな。あと、収納は多めにこしたことはなし。

STEP-4 そして現地へGO
 的を十分に絞ったら最後は現地視察です。巻き尺とコンパスを忘れずに持って行くようにしましょう。あと、置くつもりの家具のサイズを図っていくのもお忘れなく。部屋に入ったらまずコンパスでどちらが南向きかをチェック。それを元に窓の向きを確認します。あと、家具を置きたい場所で寸法を測ってちゃんと収まるかも要確認。
 大方、「これ」って物件を決めたら不動産屋さんと別れて家の周辺と駅前を歩いてみましょう。近くに公園などあれば特に公衆トイレをチェック。落書きの有無、清潔さで大方の民度が読めます。あと、時間が許せば夜まで居残って街の雰囲気をチェック。昼間とは違った素の顔を知ることができます。

そんなこんなで今のマンションと出会いました。部屋の中も街の雰囲気もとても気に入っています。いつかまた、別の街に映る時にも良い物件との出会いがあると良いな。

つぶやきの目的と効果

消費税が上がるよ~ といったニュースが投稿されるとSNSやツイッターで必ず同じようなつぶやきを見掛けます。
「年収ただでさえキツイのに」
「国会議員の所得をまず下げろ」
「そら購買意欲も低迷するわ」
等々等々
なんだか、定型文が用意されていてコンピューターが自動で投稿してるんじゃないかと疑うくらい判で押したようなコメントなのですが、紛れもなく人間が投稿しているらしい
こう言ったコメントを投稿する目的ってなんなんだろう? と、ちょっと考えてみました。
うさばらし
愚痴を誰かに聞いてほしい。そして共感してほしい
消費税アップに対するささやかな抵抗

といったところでしょうか?
確かに、人は何か行動を起こす時一般に目的があります。ただ、目的のために取る行動は目的を果たすのに役に立たなければ無意味だと思うのです。はっきり言って労力の無駄遣いです。
では、つぶやきはこれらの目的を果たすのに本当に一役買っているでしょうか?
うさばらし
 確かに、人(政府や政策)の悪口を言えばすっきりするかもしれません。けど、すっきりするそばから空しくなりませんかね? 俺、なにやってるんだろって。まあ、ならないのであれば確かに目的を果たしているのかも。
愚痴を誰かに聞いてほしい。そして共感してほしい
 これは目的を果たす効果はあるかも。愚痴はストレス発散になるでしょうし、「いいぞ、もっと言ってやれ」と共感する人も出てくるでしょう。
消費税アップに対するささやかな抵抗
 これは明らかに効果がありません。議員の方々も「SNSで消費税反対の意見が多いから見直そうか」などと考えたりはしないでしょう。そんなことで見直すくらいなら最初から検討していません。ですので、あきらかに時間の無駄遣いですね。
 なるほど、こうやって考察(?)してみると、SNSやツイッターのつぶやきは「うさばらし」や「愚痴を聞いてもらう」のには効果的で、反面「事態を好転させる」のには不向きであるということが改めて浮き彫りにされてきます。
 その結果を踏まえてつぶやきをする方々に一つ質問したいな。

「で?」

 いやだって、これってあまりにも時間の無駄遣いというか非建設的じゃないですか。自分の消費生活は何も好転しません。それでも、「うっぷんが晴らせればそれはそれで良いんだい」という方はどうぞ続けて下さい。でも、消費生活も好転させたいと考えている方はスマホやパソコンの電源を切ってこんな行動に出てみては如何でしょう?

消費税がアップされるのは避けられないと考えて腹をくくる(大前提)
月々の出費から不要な固定費を削る
 こういったつぶやきをされている方でも、案外に車を持っていたり、新聞を購読していたり、パソコン通信をしていたり、スマホを持っていたり、テレビを持っていてNHKの受信料を払っていたりするものです。それ以外にもあまり使っていないサービスの利用料を毎月払っていたり過剰な保険をかけていたりしていませんでしょうか?
外食を減らして自炊中心の生活に切り替える(これはてきめんに出費を抑えられます)
その上で食料品については物が良くてそのくせ安い店を真剣に探す。
 →「食料品は高かろう良かろう、安かろう悪かろうに決まっているじゃないか。そんな都合の良い店あるわけがない」とおっしゃる方はまだまだ真剣みが足りません。例えば、僕は米は卸センターで買っています。中間マージンがない分スーパーより安く、米のプロの目で選んだ農家から直接仕入れているのでものは圧倒的に良いです。野菜は中央卸売市場から毎朝仕入れてくる八百屋で買っています。こちらもスーパーの値段に比べて3~5割安い。魚も昔ながらの魚屋さんで買っています。それ以外の調味料や日用雑貨はスーパーで買うのですが、会員になると(入会費100円かかるけど)食料品は3%引いてくれる店を見付けました。なので未だに消費税5%の生活をしています。消費税が10%になっても7%で暮らせると思います。

SNSやツイッターに呟く人の心の中では「政府が消費税を上げるのが悪い」、「会社が給料を上げてくれないのが悪い」といった「だって××さんが○○するんだもん(△△してくれないんだもん)」という小学生並みに幼稚な発想が渦巻いているような気がしてなりません。とても、良い大人が口にするような愚痴じゃないですよね。社会の中で生きていれば、他者が自分のために何かしてくれることなんて滅多にないと知っていなければおかしいです。
その点、自分は自分のために何かしてくれる唯一無二の存在です。まずは自分から自分を済う行動を起こしましょうよ。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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