ネバー・ギブアップ

ゆきのまち幻想文学賞、通知が参りませんでした。どうやら一次選考落ちした模様
去年は思い付きで得たアイデアを数時間で書き上げた小説がポンと一次選考通過したのに、今年は年末から丁寧に仕上げた自信作が落選とはかなりもやっとしちゃいますね。
両方の作品を比較分析してみると今年のは雪の成分が少ないと感じられたのかなと思いました。季節を敢えて真夏に持って来て、現実の雪を排し、此岸と彼岸の間に広がる雪明りの雪原という舞台装置を用意したのですがウケなかった模様。ま、相性が悪かったと諦めましょう。
こういう意気消沈する出来事があった時、作家はどうやって気持ちを切り替えていくのでしょう?
浅田次郎さんはかつて「蒼穹の昴」という大作が直木賞候補にノミネートされて落っこちた経験を持たれています(乃南アサ。『凍える牙』が確か獲りました)。「蒼穹の昴」は数年かけた書き下ろしの大作で、僕は直木賞はおろか海外のもっと大きな賞にノミネートされてもおかしくないと思っていましたので落選は驚きました。ご当人はもっとショックだったでしょう。数年間、全精力を傾けて自分の最高傑作になると信じて丹念に丹念に推敲を重ねた物語です。年末からちょちょっと原稿用紙とにらめっこしていた僕の今作とは比ぶべくもありません。
落選の連絡が入ったホテルで意気消沈する彼を叱咤激励したのが後に直木賞受賞作となる『鉄道員』を上梓した女性編集者でした。

「今から新しい小説を書きなさい。今のこの気持ちを抱いている時にしか書けない小説を書きなさい。貴方ができることは書くことだけなのよ」

そんな言葉で彼を叱り励ましたそうです。その言葉に自分を奮い立たせて原稿に向かった彼の反骨精神を僕は尊敬します。その夜書き上げた短編『角筈にて』は直木賞受賞作『鉄道員』と同じ短編集に収められ、後に西田敏行主演のドラマになりました。
東野圭吾は「容疑者Xの献身」で直木賞を獲るまで、実に五度ノミネートされて五度とも落選しています。もはやこの回数は恒例行事を感じさせるもの。毎回毎回どんな気持ちで連絡を待たれていたことでしょう。それでも、彼は書き続け六度目にしてグランプリを勝ち取ったのです。

さて、僕もこんなブログをうだうだ書いている場合ではありませんね。新しい物語を生み出さねば。朝食を食べたら原稿用紙に向かいます。
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イヴ

青森の地方文学賞に「ゆきのまち幻想文学賞」というのがあります。
毎年、1月20日締め切りで春に審査発表という流れなのですが、規定枚数が10枚という手軽さもあり応募総数はこの種の地方文学賞としては最大規模(毎年千編以上)じゃないかなと思います。
去年、初めてこの賞に応募しまして一次審査を抜けました。残念ながら本審査で落っこちたのですが、届いた通知文を読むと応募総数1088編中一次審査を抜けたのは50編だけ。それだけでも大したもんだと悦に入りました(って、ホントはすっごく悔しかったんだけど)。
負けっぱなしは悔しいので満を持して昨年末から新作を執筆。1月18日に投函しました。
そして、昨日は一次審査が決する日(去年と同じであれば二月二十六日なのです)。合格者には一斉に封書が届くので早ければ今日届きます(って、既に受け取るつもりになっているという)。
2ちゃんねるの「地方文学スレ」を覗くと数日前から盛り上がっていますね。昨日はさながら「親のない子のクリスマス・イヴ」の様相を呈していました。

「サンタさん来てくれるかな」

そんな切ないセリフが垣間見えるのですが、去年の例で言っても1088編中、1038編には封書が届かなかったわけで、いじめっこに「お前んちになんか来ねぇよ」とからかわれそう

「安心おし。心から信じていればきっと来てくれるさ」

優しく慰めてくれるおばあさんがどこかにいないかな……って、いかんいかん妄想にふけってしまった。
さて、いよいよ発表です。(落っこちてもこのブログに結末を書いてると思います)

死に場所

あれは何の噺だったか、古典落語のネタで近所の畳屋が大川で溺死したとかいった世間話から始まるものがありました。
「ほんとによ、畳屋のくせに畳の上で死ねなかったなんて云々」
限りなくブラックに近いセリフをからりとドライに聞かせて客を笑わせる芸に舌を巻いた覚えがあります。
1995年1月17日の早朝、神戸の知人は御前様で帰宅したばかり。お風呂でシャワーを浴びていたそうです。突然の衝撃的な揺れに「俺はここで死ぬのか」と覚悟したらしい。ま、実際には大けがをすることもなく今でも普通に生きておられるのですが
職場の先輩は週に何度も東京-大阪の往復を繰り返していたのが良くなかったのか、東京に向かう新幹線の中で倒れ、東京駅から搬送された時にはもう息がなかったとか。エコノミークラス症候群だったようです。別の先輩はチェックアウト期限を過ぎてもフロントに現れないのでホテルマンが客室に確認に行くと亡くなっていたとのこと。こちらは心臓発作とのことです。

いつかは死ぬと分かってはいても、いつ死ぬかどこで死ぬのかわからないのが人生。漠然と病院のベッドの上で息を引き取るんじゃないのかなと思っていても思いもよらない時と場所で死ぬやもしれません。独り暮らしの部屋で、通勤途中の路上で、駅のホームで、晩酌を楽しんでいる居酒屋で、気まぐれな死神がひょいと招待状を投げて寄越すやもしれません。単身赴任で独り暮らしをしていると誰にも知られずにその時と場所が訪れる可能性って案外高いのかも。ふと、そんなことを思いました。

謎の電卓青年

いつものように電車に乗って通勤。乗り換えた後のお決まりのポジションは扉の脇なので自然とシートの端に座っている人が目に入ります。
その日はアラサーと思しき青年(この年齢はもう青年と言わんのか?)。左手に手のひらサイズの薄い板を握ってせっせと右手の指を動かしています。チラ見して、「ここにもスマホ中毒がまた一人」とちらりと思って、読書にかかろうとして……、……? 二度見、三度見してしまいましたよ。

で、電卓

そう、彼が左手に持っていたのは何度見ても電卓。CASIOミニなのでした。その電卓に向かって光の速さで右手の指を動かし何やら計算している。クリアしてはまた数字を打ち込み、答えを確認してはまたクリアの繰り返し。しかも、膝の上に数学や簿記のテキストがあるわけでなく計算式のソースがどこからやってきているのかも謎。俄然、興味が湧いて読書は保留にして観察してしまいました。さて、彼はいったい何者か?

著名な若き数学者で広大な宇宙の大きさを算出しようとしている。いや、電卓でしないでしょ。
どうしても今月の家計の収支が合わなくて何度も検算している。その割に家計簿とか持ってないし。
実はこれは新型のスマホでは?いや、どこからどうみてもCASIOミニ。
近くに気になる女性が座っていてチラ見しているのを気付かれないための小芝居にしては一心不乱に計算し過ぎ

などと、妄想をたくましくしながらふと彼の隣席を見たら……。げ、で、電卓 彼の隣人も同年代と思しき青年だったのですが似たようなサイズの電卓を持って高速計算中。さては、電卓ヲタクの集団か? いや、その割には駅一つ過ぎても二つ過ぎても言葉一つ交わす風でもない。二人とも周りが全く見えていない風に計算にいそしんでいる。

この二人はこれから電卓の選手権に出場する選手でウォームアップをしているのではないか?

帰宅後、さっそく検索してみましたがどうやらそのような選手権がその日開催されたということはないらしい。ただ、「全国簿記電卓競技大会」なるものは実在するようでそれに向けて日々の練習に励んでいたのかもしれません。
しっかし、隣り合わせた二人の電卓青年が互いに言葉を発することもなく黙々とキーを打つその姿は不気味なようでもあり、愉快なようでもあり、たまたまそれを目撃することができてなんだかちょっと得をした気分の朝でした。

ひらがなの美しさ

彼女は鰐皮の手提げ鞄を膝に載せて木の椅子に腰かけていた。
彼女はクロコのバッグを膝にのせてウッディーチェアに腰かけていた。

この二つの文章から受ける彼女の印象は如何でしょう? 前の文章は些か年配の女性を後の文章は比較的若い女性をイメージするかもしれません。それ以外にも前者からは「気難しい」、「生真面目」、「昔気質」と言った印象を後者からは「オシャレ」、「華やか」、「軽薄」といった印象を受ける人もいるかもしれません。
でも、よく読んでみて下さい。どちらも単語を替えただけで全く同じ光景を描写しています。しかも、変えた単語は彼女の性格や容姿には全く関係のない持ち物や腰かけている椅子を表す物です。小説ではこういった語感による印象操作がよく使われます。

今日庭に出てみたら白い寒椿が一輪綻んでいた。
今日庭に出てみたら白い寒椿が一輪ほころんでいた。

この二文は如何でしょう? 僕は後者の方により風情を感じます。「ほころぶ」という言葉をひらがなにすることで「はかなげ」、「やさしげ」な印象を与える気がするのです。

公募向けの原稿を書いていると往々にして漢字を多用するクセが付く人がいます。理由の一つは大半の公募では枚数制限があるので字数を稼ぎたいためだからだと思うのですが、それ以外の理由として「難しい漢字を使うと格好良く見える」と思ってるのではと僕は疑っています。
ワープロを使うとコンピューター君が勝手にかな-漢字変換してくれるので自分の知らない漢字でも操ることができるようになります。「お、この言葉はこんな漢字を使うんだ」と新しい発見をしてついつい深く考えずに「こっちの方が格好良くない?」とか思ってしまうんじゃないかなと。
僕はいわゆる名文など自分には書けないと端から諦めてしまっている人です。かつて、文豪と呼ばれた人たちの文章には逆立ちしたって敵いません。だからせめて、分かりやすい文章。読み易い文章を書くように心がけています。
その点、漢字満載の文章って非常に読みづらいんですよね。買ってきた文庫本を開いたらいきなり漢詩がずらずら書かれていたなんて場面を想像したら容易に理解できると思います。反面、オールひらがなの文章も読みづらいです。子供の絵本が時として読みづらいと感じる方には容易に理解できるのではないでしょうか?
要はバランス。あと、漢字の持つ厳めしい語感、ひらがなの持つやさしい語感。これを上手に使い分けるよう心がけています。

休刊日大作戦

わかっちゃいるけどやめられない
なんてことが誰しも一つや二つはあると思うのですが、僕の場合、その最たるものは酒でしょうか?
高校生の頃に味を覚え(をい)、大学入学と同時に本格的に呑み始めて居酒屋通い。年季を積んだ今では初見でその店が良い店かどうか(自分の好みに合う店かどうか)分かるようなベテランになっちゃいました。
ただ、若いうちなら多少の無茶も許容されたのでしょうけど昨今はやれメタボだ、脂肪肝だ、高血圧だと呑む量もさることながら飲まない日の管理も必要となってしまいました。
いや、わかってるんですよ。わかっちゃいるんですけど。夜の帳が下りてくるとついつい酒が恋しくなってしまうのです。
目標としては週に2回以上、休刊日(全く酒を飲まない日)を作るというのを掲げてせっせとEXCELで記録を取ったりしています。けど、月末に振り返ると「あれれ、今月3日しか休刊日がないぞ」なんてこともしばしば。そこで必ず休刊日が守れる作戦を練るというのがこのブログの趣旨だったりします。例えば……

休刊日の曜日を決めておく(やったけどあまり効果なし)
敢えて買い置きを切らしておく(買ってきてしまう)
敢えて深夜まで残業してから帰る(これは効果的だけどこんな無駄な事したら会社に叱られる)
夕飯を食べるから晩酌をする。夕飯を食べずにさっさと布団に入ってしまう(なるほど)
翌朝朝イチに重要な用事を入れる(これは効果なしと予想する)
酔ったらできないような用事を夜に入れる(酒に勝る用事を考えなきゃ)
嫁と長電話する。毎晩だと叱られるのは必至。

昨今は単に口寂しいとか独り暮らしなので間がもたないという理由で呑んでしまっている気がするんですよね。
ただ、かつて半年くらい入院していた時は全く呑まなくてもどうということはなかったのでアルコール依存症というわけでもないみたい。少し、真面目に考えようかな。

デパ地下の風景

確定申告するから源泉徴収票送って
と嫁から連絡あり。土曜日だと近くの郵便局は閉まっているので買い物がてら横浜駅前の本局に行ってきました。郵便窓口の長蛇の列にびっくり。休みの日でも急ぎで郵送しなきゃいけない用事って結構あるものなんですね。窓口の方お疲れ様です。とても助かりました。
で、用事を済ませてデパ地下をぶらぶら。いつも思うんですが、同じ惣菜売り場でもスーパーと全然違うんですよね。お店の空気が華やかでショウケースに並ぶ料理がどれも美味しそう。それを覗くお客様も余所行きの格好でなんだか社交パーティに出席しているような気分にさせられます。料理自体はスーパーのお惣菜売り場でも売ってそうなものもたくさん並んでいます。ポテトサラダ、焼き鳥、焼き魚などなど。けど、お値段はぐんとお高めでその分味もワンランク上なんだろうなと思わせます。
結局、高島屋地下にある鶏肉専門店の老舗『梅や』で鶏肝の時雨煮を買いました。この店の本店は桜木町にあって、時々利用するのですが、物の良い鶏肉を扱っています。焼き鶏やもものローストも美味しそうだったのですが、鶏肉の特性を熟知した店がどんな調理をするのかすっごく興味があったので一番クセがある肝をチョイスした次第です。

帰宅してさっそく試食。美味しい。甘み強めの甘辛いタレがよく絡んでいます。そしてよく煮込んでいるので表面はハードな硬め。ここのは生姜を利かさないスタイルなんですね。そして、臭みがほとんどない。この臭み抜きはどうやっているのかな? 牛乳に漬けるというのがオーソドックスだけど今度また挑戦してみよう。取りあえず、味は記憶したぞ。
たまにはデパ地下も良いもんだ。

海原雄山恐怖症

インフルエンザにかかってしまい一週間会社を休んで寝込むハメになりました。今は熱も下がり復活。仕事が溜まってるだろうなぁ。
さて、タイトルのお話。僕は食べることも料理をすることも大好きで一定レベル以上のものをコンスタントに作れるので「お店をやったら良いのに」とちょくちょく言われます。実際にお店をやってる方からも「向いてる」なんて言われるとちょっとその気になったり。
けど、料理ができるのと店を経営できるのは別物だと思うんですよね。誰か経営をやってくれたら料理をする方は任せてもらっても良いかもとか横着なことを考えちゃいます。それ以外に、お店をやるのを躊躇わせる理由は二つ、一つは飲食店に残飯は付き物だということ。まだ食べられるものを売れ残りだからと言って捨ててしまうのはつらいだろうなと想像するのです。恵方巻の大量廃棄のニュースなんか見ると胸が潰れそうになります(なんであんな需要曲線無視の無計画なことをするんでしょうね)。
で、もう一つの理由がタイトルにある『海原雄山恐怖症』なのです。

ある日突然、ガラガラガラと店の扉を開けて大柄な男が店に入って来る。そして開口一番、
「この××を作ったのは誰だ」
と大声で怒鳴る。長いことお店をやっているといつかそんな日が来るのでは? という恐怖心に前に進む勇気が出ないのです。そして、
「一週間待ってくれ。お前に本物の××を食べさせてやる」
頼みもしないのに店の若い客(やさぐれた新聞記者風)が啖呵を切るような展開になったらどうしようと思うわけです。そんなことになったらそれから一週間キリキリと胃が痛むような思いで過ごさないといけないという。
いやいやいや、それはないっしょ。と笑われそうですが、ないとは言い切れないじゃないですかぁ と涙目になったりして。
美味しんぼのずるいところは、ストレートに「この調理法はこういう風にしたら良い」と言ってくれれば良いものを、
「料理の基本ができてない」
「これは××じゃない」
「貴様に料理をする資格はない」
などと謎かけのような言葉だけ投げつけてとっとと去ってしまうところです。その言葉からだけでは材料がまずいのか? 下ごしらえがまずいのか? 調理法に不手際があったのか? 使った調味料の問題なのか? 見当もつかず悩みどころが満載になるじゃないですかぁ。

ま、あれを現実のお店でやられたら高確率で料金はいらないのでお引き取り下さいと言うと思いますけどね。お店は海原雄山だけのものではありません。他のお客様が不愉快にならないよう気を配るのが店主の務めです。
とはいえ、今夜来るか明日こそは来るんじゃないかと店の暖簾を海原雄山がくぐる恐怖に僕はとても耐えられそうにありません。なので料理店経営は無理だと思います
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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