損得

東野圭吾の『流星の絆』はクドカン脚本のドラマにもなり一時期ハマりました。
幼い頃に両親を刺殺された三人の兄妹が長じて詐欺師になります。で、ある時そのターゲットに選んだ男の父親である洋食チェーンのオーナーこそが両親を殺した犯人かもしれないという疑惑が浮上するというなかなかスリリングな展開。
物語の中盤、ターゲットである洋食チェーンの御曹司が新店舗の看板メニューに長い間封印されてきた一号店開店当時のハヤシライスを復刻するというプランを進めるというエピソードがありました。彼の父親は一旦それを許可するのですが、三兄妹が自分に迫っていることを察知して許可を取り消します(そのハヤシライスのレシピに事件を解くカギが隠されていたんですね)。
新店舗開店が迫った折りの理不尽な翻意に息子は当然憤るのですが、父親は彼にこう言い放ちます。
「プランが廃案になったことで今まで進めて来た努力が無駄になったと思うのならお前は料理人には向かない」
彼の翻意も逆切れ気味のセリフも理不尽極まりないのですが、このセリフは真理だと思います。恐らく作者の東野圭吾も何度もそういう経験を持っているのではないでしょうか?

例えば、丹念に取材を重ねて、せっせとミステリーの原稿を書いて間もなく脱稿と言う時にライバル作家の新刊が出たとします。読んでみて愕然。中で使われているトリックが今書いている作品のと酷似している こうなると今書いている原稿はボツにせざるを得ません。「本作はあの作品とは無関係。独自に僕が考案したトリックだ」といくら主張しても読者の失笑を買うだけです。それこそ、上梓する前に気付いてラッキーくらいに思ってあきらめるしかありません。これ、架空のエピソードではなく東野圭吾の「仮面山荘殺人事件」のあとがきに「私は東野圭吾が嫌いだ」で始まる文章で書かれた実話のようです。あとがきの作者さんはこの「仮面山荘殺人事件」と似たプロットの作品を書いていて東野圭吾に先を越されたようですね。お気の毒。
ま、こういった例でなくても編集者にボツにされたり、自信作として応募したのに一次予選落ちしたり、小説を書いている限りは世に出なかった作品と言うのは必ず溜まっていきます。
では、ボツになった作品にかけた取材の手間も執筆の時間も無駄だったのでしょうか? 答は否。決してそんなことはありません。そもそも作家にとって「無駄な知識」というのはありませんから、取材で得た情報はいつか別の作品で活用することができます。執筆を通して得たテクニック、情景描写、表現手法、名セリフなどは必ず次回作以降に活かされます。
去年、北海道を旅行してその時見た景色をベースに一本短編を書きました。結構自信作だったのに一次予選落ち。「せっかく、北海道まで行ったのに。あの取材は何だったんだ」と愚痴の一つも出そうになります。けど、物語を編むものとして取材や執筆を目先の損得だけで考えちゃいけないよなぁと考え直します。
トーマス・エジソン曰く

「失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ」

自戒を込めてこの言葉を胸に刻みます。
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一途vs.健気

少し前に『ゴールデンタイム』というアニメーションを観ました。
大学に入学したばかりの男の子が主人公。彼は事故で高校以前の記憶を失っているという設定です。
入学早々彼は一年上の先輩女子の勧誘でお祭り研究会というサークルに入ります。物語はサークル活動に勤しみながらいつも自分を振り回してばかりいる同級生女子に徐々に惹かれていき彼女の方も憎からず思うようになって付き合い始めるという王道のラブストーリー展開かと思わせるのですが……。
とあるきっかけから記憶を取り戻し始めた彼は思い出してしまうのです。実は彼をサークルに勧誘した一年上の先輩は高校時代の彼の同級生(事故で彼は一年浪人している)。しかも相思相愛だったということを。
脳内から記憶がフェードアウトすると一途に自分のことを思ってくれる同級生のことを大好きだと思い、記憶がよみがえると未だに彼が自分のことを忘れたまま同級生女子と付き合っていると思って、そっと自分の気持ちを押し隠している健気な先輩のことが愛おしく感じられるという強烈な体質に主人公は陥っていくのです。よくこんなシチュエーション考え付いたなぁ
一途な気持ちと健気な気持ちどちらが男子のハートを射止めるのか二転三転する展開に視聴者はハラハラしっぱなし、どっちも応援したいけど最後はどっちかが自分の気持ちを諦める結末が待っているよなぁと思いながら観てました。

『一途』と『健気』って大和撫子の美徳を端的に表現できる単語だと思うのですが、実際に戦ったらどっちが強いんでしょうね。
以前、小説のキャラクター設定で『絵にかいたような大和撫子』というのを作り出したくてその美徳をリストアップしたことがあります。それを更に『一途』と『健気』に分類してみましょうか。
■一途な女子の特性
 けじめをつける
 ぶれない規範を持っている
 無邪気、天真爛漫、天衣無縫
 命がけで好きな男を守ろうとする
 女性が優遇される措置でも納得いかなければ反対する(レディースデーとか)
 熱き血潮を胸に秘めている
 愛する人を侮辱されると激怒する(普段のたゆたう姿からは想像も付かない修羅になる)
 覚悟が決まっている
■健気な女子の特性
 思慮深い
 気配り、目配りができる
 優しい
 自分に恥じない生き方をしているか常に確かめながら前に進む
 時として外面如菩薩内心如夜叉になり得る
 慎みがある
 つらいこと、寂しいことがあっても呑み込んでしまう
 自分は長女なのだからと美味しい物は妹たちに譲ってニコニコ笑っている

うーむ。自分的には健気な女子を推したいと思ってしまうのですが、客観的に見て積極的に行動に移せる一途な女子の方が強そうだなぁ。一歩間違うと自己中心的とも言える気がするのですけどね。

ベストに挑む

職場では年に二度、部下の業績評価面談というのをやることになっています。半年間、彼らがどれだけ頑張ったかを振り返り、今後どんなところを強化していくのかを一緒に考える会なのですが、当然部下からも日頃思っている疑問が出てくることがあります。
なかんずくよく出てくる質問は、「どうやったら僕は主任に昇格できますか?」という昇格に関わるもの。概ね自分に自信があり向上心の強い部下から問われることが多いのですが、もちろん彼らが主任に昇格していないのには相応の理由があって直球で返しづらい質問だったりします。できるだけ丁寧にこういったところを見直してみたらとアドバイスするのですが彼らもさるもの、反論される場合があります。

「でも、××さんだって主任に昇格してるじゃないですか」

この××さんというのが大抵の場合、誰もが認める職場のお荷物だったりするので返答に困るんですよね 大きな会社の悪いところで、中にはできの悪い管理職もいますから人事評価が甘くて昇格させちゃいけない人物を昇格させちまってるケースと言うのも実際あるのです。けどまさか、「たまたま主任に昇格することもあるさ」と本音で言うわけにもいかずそう言った時、僕はこうアドバイスすることにしています。

「過去に君の周りにいた主任職でベストを思い浮かべてみて。もし、君が彼と全く同じように振舞えるようになっているのに昇格できなかったら(なぜ僕は主任に昇格できないのかと)もう一度言ってよ」

こういうとまず全員黙ります。人は自分には甘いので、例えば「主任に昇格するボーダーライン」を設定する場合、周りを見回して「この人になら勝てそう」と思える人を想定しちゃうんですよね。でも、それで主任に昇格されても無意味なのです。出来の悪い主任が一人増えるだけですから。自他ともに認める「できる主任」をボーダーラインに据えてそれを乗り越えて昇格してこそ、自分にも会社にも役に立つ人材となると自覚すべきです。

娘のクラスメートで「声優になりたい」と考えているお嬢さんがいるそうです。もしも僕が誰かからアドバイスしてあげてくれないかと相談を受けたら上の主任の話と同じことを言うんじゃないかなと思います。
声優予備軍は数万人とも言われ、いくらアニメーションが量産される時代とはいえ、一言でもセリフがもらえる声優さんはせいぜい数百程度と言われます。この壮絶な椅子取りゲームは単純に声優の実力だけで席をぶん捕れるものでもなく所属する事務所の力関係やアニメ制作に関わっている局、出版社もろもろの利害によって複雑に歪むらしいというのも容易に想像できます。けど、そんなことをシンデレラガールを夢見ている女の子に言ってもせんないこと。恐らく彼女はふんふんと話を聞くふりをしながら内心では「けど、私は他の人とは違う」なんてことを考えちゃっている気がします。
ここはもっと直球を投げた方が効果的でしょう。

「君が思いつく声優のベストを挙げてみて」
ベストが選びづらいならベスト・スリーとかでも良いのですが。で、例えば誰でも良いのですが「能登麻美子」って答えが帰って来たとしましょうか。なら、こう質問します。
「彼女と競って地獄少女の役を奪うことができる? 黒沼爽子の役を奪うことができる? 今は実力がそこまでないというのなら、いつ(半年後? 一年後)になったら勝てると思う」
すると、彼女は「いや、そんな凄いところまで望んではいないので……ごにょごにょ」というかもしれません。
でも、声優になろうとするということはそういうことです。オンエアされているアニメーションでセリフ一つでも奪った数百人の声優たちはまごう方なきプロであり、すさまじい努力をしています。絶対にぶん捕った椅子を他の誰かに渡したりするものかと死にもの狂いになっているのです。加えて俳優と違って声優はご高齢になっても若い役もできてしまうのでその椅子が空くまでには長い長い時間がかかります。
そんな彼らに挑んで声優になろうとするならば、「この人ができるくらいだから自分でもできるんじゃないかな?」なんてぬるいことを思っていて夢を果たせるわけがありません。狙うならてっぺん 自分がベストと考える人物と真っ向勝負してそれでも勝つという気概がなければ挑んではいけない世界だと僕は思います。

のめり込む

今野敏の警察小説にハマる。
主役が一刑事だったり科学捜査班だったり警察庁トップの官僚だったりと実に多種多様なシリーズものを手掛けられているのですが警察組織の体質や行動原理・原則が実にリアル って、本物の警察を知らないのですけど、きっとこんな感じなんだろうなと感じさせるリアリティに溢れているのです。ち密な取材を重ねておられるのでしょうね。
加えてご本人が「小説ではモラルが描かれなければならない」と公言されるだけあって主人公の信条がぶれないのが良い。なんとも爽快な気分が楽しめます。
警察小説は広義には探偵小説の一ジャンルとなるのでしょうけど、他の探偵小説と一線を画するのは一匹狼の探偵役が事件を解くのではなく組織やチームが協力し合って事件に挑むところでしょうか? これは書き手側からすると結構ハードルが高いんですよね。一匹狼物なら視点を彼(彼女)に固定して物語を進行させれば良いのですが、組織やチームを活動させる場合、視点を多角的にし、一人一人の立場や価値観の違いをクローズアップする必要があります。読者が酔っぱらわないように誘導していくのには相応の技術が必要なのです。その分、人と人との対立や葛藤を描くことができるのが警察小説の醍醐味でもあるのですが。
で、ハマってしまっているので立て続けに何本も読んでいるのですが、ふと本から目を上げて現実に戻ると苦笑することしきり。

いかん、真面目に指揮を執ろうとしている

時々刻々と変化する局面に対して、「よしA刑事に連絡を入れて横浜に行かせよう」とか「科捜研にそのサンプルを分析させるんだ」って真剣に考えちゃってるんですよね。さらに、大きな壁(難題)にぶつかると、「それを解決する方法は大別して3つある。それぞれのメリットデメリットを考え合わせると、ここは即効性のあるプランBで行こう」とか本編そっちのけで事態を収拾する対策を策定し始めてる
こうなっちゃう原因は、どうも事件捜査と僕の日常業務がよく似ているからのように思えます。僕の本業はシステム・インテグレーションと呼ばれるコンピュータシステムの設計・構築の指揮監督なのですが、プロジェクトが進行するにつれて課題管理表と呼ばれる解決すべき課題のリストはふすふすとその行を伸ばして行きます。その全てを把握し適切なタイミングで適切な指示を出しその結果を評価して次の手を打つというのは僕の主要業務の一つなのですがそれとダブって見えちゃうみたいです。
加えてプロジェクトが始まる前にリスクの洗い出しとして、プロジェクトの特性、お客様のクセ、社内のメンバーのキャラなども勘案してだいたいどの時期になるとこういう課題や問題が起きるだろうという予測を行うのですが、それを小説に対してもやっちゃってる。「このまま捜査を進めるとB管理官がストップをかけてくるぞ」とか「今のうちにC刑事部長を味方につけておかないと対立が生じる」とか。でまた、その予想が良く当たったりするのでなんだかなぁと思っちゃいます。

純粋に読書を楽しむつもりがスキルアップのための模擬戦をやってる気分。かといって、それ抜きで対岸の火事として事件を眺めることは難しい。ホント職業病ですね。けだし、今野敏の警察小説はリアルなのです。

量産大作戦

自分でいうのもなんですが文章を書くのはたぶん速い方です。しゃべる速度で文章を書くことができますし、二日で八十枚くらいの原稿を書いたこともあります。

「そのわりにはなぜ小説を量産できないのか?」

というのが近頃の悩み。応募してみたい公募があるのに筆が進まずあえなく締め切りと言う苦杯をなめたことも一度や二度じゃありません。ということでなぜ? というのをちょっと突き詰めてみることにしました。
まず、小説を書こうとしている時の自分をイメージしてみました。とにかく机に向かうのを避け始めるんですよね。さあ、今から書くぞと思うと急に部屋が散らかっている気がして片付けを始める。買い足りない物に気付いて買い物に出かける。別の用事の優先順位を上げる。ソリティアを始める(をい)。結果、たっぷり時間があったのに数行書いて終わりだとか、全く書けなかったなんてことがざらにあります。

なぜ、執筆作業から逃げようとするのか?

これと似た行動を僕は知っています。定期試験前の学生の行動にそっくりじゃないですか どうやら僕は執筆を「やりたくない作業」、「棚上げにしたい作業」と捉えているようです。なら、もっとやりたくない作業を用意して「そんなことをするくらいなら小説でも書くべ」と思うように仕向ける作戦も考えたのですがなかなか巧くいきません。そうそうやりたくない作業なんて転がってないんですよね。なにより執筆をやりたくないというマインドは変わっていないので根本解決になりません。ならどうするか?
本業であるサラリーマンの日常業務を振り返ってみました。僕自身もそうですし部下の中にもやりたくないことを後回しにするタイプがいます。昔の僕ならそんな部下の指導はお手上げだったと思うのですが年の功で今ではそれなりにコーチングできます。
なぜかというと、やりたくない作業ってある程度特性が決まっていてそれを解除してやれば「普通にできる作業」に変わるということを学んだからです。やりたくない作業には大まかに言って3つの特徴があると思っています。

どうなったら作業完了か見極める基準が曖昧か存在しない
作業完了に至る手順が明確になっていない
作業完了までに長い時間がかかる

なので、部下がこのスパイラルに陥った時は上の3つをひっくり返すように指導します。
作業が完了したかどうかの判定方法を教えて
完了に至る手順をホワイトボードに箇条書きにして
その作業をもっと細かく分けて
要は仕事を細分化して単純作業に落とし込んでいくわけです。人間は抽象的なことはやりづらく、単純明快なことはやり易いという特性がありますので単純作業になった途端飛躍的に部下のパフォーマンスが上がることも往々にしてあります。

ということで執筆を単純作業に落とし込んでみましょう。
ログラインを書く(一行でテーマを明確に書く。例:「スポーツカー型タイムマシンで25年前に行った高校生が両親のキューピッド役を演じる話」てな感じ)
展開プロットを書く(四行で物語がどう始まり、どう展開し、どう終わるかを書く)
進行プロットを書く(展開プロットに沿うストーリー展開になるようエピソードを盛り込んでいく十行から二十行くらい)
主要キャラクターの設定を作り込む(容貌、背丈から、特技、苦手なこと、趣味、家族構成など十二項目くらい。一人あたり大学ノートに1~2ページ書きます)
進行プロットに必要な情報調査を行う。(たとえば、プディングが重要なアイテムの話であればプディングの歴史、作り方、トリビアなど調べる。要は主人公がプディングづくりの名人という設定になっているのに書き手がプディングのことを何も知らなければ文章が上滑りしますのでバックボーンを作っていくわけですね)
執筆する

はい。整理してよくわかりました。の作業はわりと好きで思いついた時にメモを取っておけば済むので現時点でも百以上のログラインを持っています。これはそれほど問題ない。も5分あれば書けるのでそれほど苦労しません。
問題はだということが良く分かりました。おかしな話ですけどに至ってしまえば一気呵成でかなりのスピードで書いちゃえるんですよね。
ということで問題点の改善を提案します。
について
今は進行プロットをゼロから作っています。つまり、どれだけ書けば完成かが曖昧になっているわけです。なら、最近見かけたシナリオ理論サイトにあった「ブレイク・スナイダーの構成用テンプレート」を使ってみましょうか。ストーリー展開の黄金パターンを十五行にで表現したものでそれを埋めれば王道ストーリーになっちゃいます。何より十五行書けば終わりとはっきりしているのが良い。
について
キャラクター設定用のテンプレートは持っているのですがうだうだ書き込み始めるとキリがないと感じて飽きてきます。つまり、もう一段ブレークダウンして書くことを単純明快にしてしまえば良いんじゃないかな。例えば、「容姿」という項目については「身長」「体重」「スリーサイズ」「髪型」「髪の色」「目元」「口元」「顔の輪郭」「アウター」「インナー」「ボトム」「シューズ」……これくらいに分ければ、流石に1~2語で埋められます。併せていくつかの典型を用意して使い回すようにしましょうか。
について
僕は進行プロットを書くのに飽いてくると情報調査と称してぐずぐずとネットサーフィンして時間を潰す悪癖があることに気付きました。なので、アンサー。が終わるまで情報調査は一切やらない。その代り、調べるべきことを思いついた段階で一行メモを遺す。で、あとからメモを見返して書かれていることを全部調べれば終わり。この時、その調べ物はどうなったら終わりか判定基準を明確にすること。

うーむ、なんか前に進みそうな気がしてきました。朝ご飯を食べたら早速やってみよう。

守破離

茶道や武道、それから芸事にも通じる言葉で『守破離』というのがあります。これはその道を目指す者が精進する上で辿るべき道筋を表した言葉で、
『守』:型を守る
『破』:型を破る
『離』:型から離れる
様を指します。武道でも芸事でもそうですが初心者が学びやすいように型と言うものが用意されています。
まずはきちんと型を守り、型通りにできるようになりなさい。
次に自分の型を模索し従来の型を破りなさい。
最後は従来の型から離れて自分なりの道を究めていきなさい。
といったほどの意味です。
でも、初心者の中にはいきなり型を破ろうとする人がいるのです。

「ふん、そんな古い型に縛られた道なんざまっぴらだい。俺はもっと自由に生きるんだ」

セリフは物語の主人公めいていて格好良いですけど、まあ失敗します。武道だと特に分かり易いと思うのですが、村の中で棒っきれを振り回していた悪ガキが「日本一の剣豪になる」と言っていきなり大きな町の道場に道場破りを仕掛けるようなものですから。師匠からみっちり型を仕込まれて何年も修行を積んでいる門下生にかなうはずもありません。もし、勝てたとしたらそれはもう天賦の才能、新しい流派の開祖になるような特別な人です。
ところが、勝ち負けがはっきり分かる武道だと自分の愚かさに早々に気付くことができるのですが、芸事になるといささか厄介です。勝ったか負けたかの審判を下されても下された側は未熟ですから納得いかないことが往々にしてあるのです。

「あいつは型に縛られた年寄りだから俺の芸の新しさについてこれないんだ」

こんなことを考え出すとこじらせますね。酷い時は我流を何十年も通してもモノにならず、その道を始めていくらもいかない人に追い越されるなんてこともざらにあります。
小説を書く人の中には『純文学』というものを特別視する人がいるのですが、そう言った人は往々にしてエンターテイメント、特にライトノベルのようにさらっと読めるジャンルを蔑視する傾向にあります。曰く

「文学は美しい日本語、正しい日本語で綴られるべきである」
「一度読んで『ああ、面白かった』といってBOOKOFFに売り飛ばすような本を僕は書きたくない。手元に置いて何度でも読み返すような作品を書きたいんだ」
「あれはただのテンプレートをなぞっただけの薄っぺらい内容の作品じゃないか」

一見正論に見えるこれらの意見はある一つのことが欠如しています。

この発言者は『型』を守ることを経験していない。

ということです。いえ、守ること以前に恐らく『型』を知ろうとさえしていないのだと思います。

型を知る者は「美しい日本語、正しい日本語」に拘ったりしません。「(読者にとって)分かり易い日本語」に拘ります。
一度読んでBOOKOFFに売り飛ばせる作品は少なくともその買値が付く作品だということに気付いていません。
テンプレート(型)をトレースしただけと言いますが、トレースできる技能が一朝一夕に身に付くわけではないことを知っていません。なぜならばテンプレートをトレースしようとしたことがないからです。

剣道や空手なら町に道場があってそこに通うことで型を学ぶことができます。でも、文芸の世界ではなかなかそういう道場や学校がなくて我流になりがちでした。近年はインターネットの発達でそういった型やシナリオ理論を指南するサイトも多数登場する幸せな時代が到来しています。それでもなお、型に沿ったアプローチを蔑視し、拒み、我流を通そうとする人を掲示板で見かけるのは残念に思います。もったいないと思います。
そう言った人達の想いの底流には型に沿うと自作のオリジナリティがなくなり凡百の無価値な作品を書いてしまうのではないかという危惧があるのではないかと僕は想像するのですがその想いは根本的に間違っています。
一本でも駄作や凡作を書きたくないなんて考えている人が小説家になれるわけがありません。小説家たらんとするなら生涯に何百本も何千本もの物語を書くくらいの気概があって当たり前です(物理的に書けるかどうかは別として)。だったら、十や百の習作を書くことに何のためらいがいるでしょう?
何十本も何百本も型に基づく修行を重ねてやがてその型を破り、最後には型を離れる。そういった当たり前のプロセスを飛び越していきなり我流の芸を披露しようとする。それで成功する人は海岸の全ての砂の中から指先にひとつまみ掬い取った分程にもいないと早く知るべきです。でないと、老境に入っても棒っきれを振り回す村のガキ大将のままでいることになります。

会議は嫌い

サラリーマンをやっていると避けては通れないことなのですが会議が嫌いです。
外国人がしばしば日本人の特質として「開始の時間はシビアだけど、終了の時間は非常にルーズ」と指摘しますが、その最たるものが会議だと思うんですよね。2時間以上経っても終わらない会議に出席するのは拷問に近いです。で、そういった会議に限って最後に出る結論は『次回は×月×日にしましょう』ということだけでそれ以外は何も決まっていないという不思議
出来の悪い会議を振り返ってみるといくつかのパターンに分類できるように思います。
「さて、どうしましょう」と司会者が呟いて残りのメンバーに丸投げするので議事がちっとも進行しないタイプ。
誰か一人が延々としゃべっている独演会型
誰かと誰か二人だけが「あれ、どうなってたっけ?」と確認を初めて残りのメンバーは放置されるタイプ。
やたら出席者が多くて何割かの人間は全く発言なしで終わってしまう会議。だったら、あとで議事録読むだけで良いじゃん。
などなど様相はいろいろですが、出来の悪い原因の根っこは同じだと思います。

会議の準備が不十分又は全くできていない。

ひどい主催者になると「え、そのための会議でしょ。なんで、準備に時間を割く必要があるんです」って言いそうなのまでいます。
例えばね、「今度サッカーの試合をしようよ」って話で盛り上がったとしますでしょ。じゃあ、2週間後にねと決まったらそれまでにみんなそれなりに練習して来るじゃないですか。当日まで誰も全くボールにすらさわってない状態で集まったってろくなゲームはできないじゃないですか。それは会議でもいっしょ。会議は言葉のキャッチボールや連携を繰り出す一種のスポーツだと思うのです。
なら、主催者はどんな準備をしておけば良いかをちょっとまとめてみました。
アジェンダを作る(議題は全部でこれだけですよというのを明確にする)
会議のゴールを決める(どういった状態になれば閉会するかを明確にする)
出席者を選ぶ(ゴールにたどり着くために必要な人を揃える)
シナリオを作る(ゴールに至るための手順を明確にする)
最低でもこれだけの準備を行う必要があります。準備を行っていないとどうなるかというと
集まったのは良いけどこれからサッカーをやるのか野球をやるのかも決まってない状態
サッカーやろうよは決まっているけどフルタイムでやるのか点差がいくつになったら終わるのかが決まっていない状態
サッカーを一度もやったことがない人ばかりが集まっていてそもそもどうすれば良いか分からない状態
これが先に挙げた全く練習をしてきていない状態
少なくとも僕が会議を主催する場合はまずこれだけの準備をします。その上で、シナリオに沿った資料を準備し、出席者に宿題を与えます(当日までにこれやってきてねと伝えます)。1時間程度の会議に半日以上かけて準備することもざらなのですが、その分会議は短時間で効率的かつ満足のいく結論に至って終結します。

会議は開催されるまでに終わっている。

というのが僕の持論。会議の成否は準備が全てだと思っています。なので、近頃は「アジェンダのない会議には出席しません。事前に何を準備していけば良いのかわからないので必ずアジェンダを提示して下さい」と言うようにしています。
2時間の会議でも5人が出席すれば10人時(1人が10時間働く工数)が消費されます。不調に終わらせて良いはずないじゃないですか。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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