都会のピクニック

「どこに行くの?」
「ぼくら、ぴくに行くん」
坪井栄 作『二十四の瞳』の最後半、戦後期に出てくるフレーズです。
戦争が終わって英語も敵性語でなくなり、子供たちが物珍しいピクニックという言葉を面白がって「ぴくに行くん」という。そのはしゃぎように戦争が終わった安堵、解放感が端的に表現されているエピソードだと思います。同作は昭和二十七年、戦争が終わって七年目に出版された作品ですが、その頃には書き手も読み手もそれが何か理解できるほどピクニックと言う言葉は浸透していたんですね。
ところが、改めてピクニックとは何をどうすることを指す言葉でしょう? と聞かれると案外答えられない人もいるかもしれません。似た単語にハイキングというのがありますがこれとの違いは? と聞かれるとますます難しいかも。答えは↓の通りです。

ハイキング:田舎や山を散策(歩く)こと
ピクニック:食べ物を持ってでかけて、屋外で食事をすること

そう、ハイキングの目的が『歩く』ことであるのに対して、ピクニックの目的は『食事』なんですね。
折しもゴールデンウィークに突入。恐らく観光地は人で溢れかえっているんじゃないかなと思って出かけるのを躊躇っていたのですが、もったいないほどの良い天気。観光地はダメだけど都心にある公園などなら案外空いているのではと思い至りお弁当を準備しようとしています。閑散としたオフィス街を抜けて緑の濃くなった公園へ。鳥の鳴き声など聞きながらお弁当を広げるのは如何にも楽しそうじゃないですか
スポンサーサイト

末代まで祟らない

日本の怪談の伝統芸の一つに「末代まで祟る」というのがあります。
恨みを抱いて死んだ人物がその恨みの対象となる本人だけじゃなくてその子供、孫、子々孫々まで酷い目に遭わせる(てか、怖い目に遭わせる)お話ですね。たぶんに因果応報を説く仏教色の強い説話だと思うのですが僕はイマイチ納得いかないんですよね。

親父が(おふくろが)何をしたかは知らないけれど、俺何もしてないじゃん。

と主張されたら幽霊はどう答えるのでしょう? ましてや、爺ちゃんが(婆ちゃんが)となればなおのこと。五代前のご先祖様くらいになると「誰それ?」の世界です。なのに100年以上経ってから夢枕に現れて、「この恨み晴らさでおくべきかぁ」とか言われても迷惑この上ないと思うのは不徳とそしられるようなことなのでしょうか
だいたいね、「末代まで祟って、祟って、子々孫々を根絶やしにしてやる」って思ってるのなら、なぜ初代で根絶やしにしないのでしょう? 恨みの対象の初代が結婚して子供作る前に呪い殺してしまえば、「初代=末代」となってたいへん合理的、幽霊的にも手間暇かからずとっとと成仏できて八方丸く収まるのではないでしょうか?
お話によったら恨みの種になった初代は業が深くて精神が強靭、幽霊もおいそれと近づけなかったので二代目以降に祟ったなんて理屈になっているものもありますが、それこそ八つ当たりも甚だしい。学校で怖い不良に絡まれてひどい目にあったので、憂さ晴らしに弱そうなやつをイジメるという構造と同じじゃないですか。幽霊の呪い譚には何かしら同情を誘うエピソードが付き物ですが、そんなふるまいをされたら観客だってそっぽ向いちゃいますよ。
ということで、祟るなら初代、「初代=末代」にして子供を遺す前に呪い殺してしまいなさいと思いました。

え、何の話かって? このブログのカテゴリを「映画雑感」にしてるじゃないですか。ひさしぶりに横溝正史の「八墓村」を観賞して理不尽な話だよなぁと思った次第なのです。

強かであれ

ちょっと難しい訓読みですが、「強か」と書いて「したたか」と読みます。辞書を引くと「粘り強くて、他からの圧力になかなか屈しないさま。しぶといさま。」といった説明が書いてあります。
また、大きな地震がこの国を襲いました。阪神淡路大震災以前、地震はオオカミ少年のようなものでした。いずれ大地震がやってくると言われても、富士山が大噴火するぞと言われてもどこか他人事、まあ向こう何百年もの間には一度や二度はそういうこともあるかなと言った程度の都市伝説めいた予言でした。
神戸で未曽有の地震が起きてからこちら予言は予想あるいは予報に変わりました。何度建物が倒壊し、火が焼き尽くし、津波に襲われ、どれだけの命が喪われたことでしょう。その度に僕が思い浮かべる言葉が

「強かさ」

なのです。僕自身、阪神大震災の時は神戸に住んでいてまともに喰らった口です。後に知ったことですが、中学時代の同級生も数人亡くなっておりました。でもね、僕の記憶にある被災地の人達は悲嘆に暮れていたという印象がないのです。それは、涙をこぼした人も、呆然としていた人もいたことでしょう。でも、必ずそこからまた立ち上がって淡々といつもの日常に戻っていくのです。こぼれずに残っていた風呂水で米を炊き、大阪まで出てしこたま肉を買ってきて焼き肉パーティーもしました。婆ちゃんが漬けていた梅酒の瓶が奇蹟的に無傷だったので酒盛りもしました。いつ来るかもわからない連絡バスの列に並び(真冬だったので寒かった)数日後には大阪の会社に出社しました。公衆電話い長い行列を作って親戚や知人に連絡を取り、自衛隊の給水車から水をもらって来る、そんな雑事にかまけているうちに震災のショックはみるみるうちに遠のいていきました。そして、改めて自分はまだ生きていると自覚したものです。
震災が起きるたび、海外の人々がネットに呟きます。「日本人のたくましさには驚嘆する」「なぜ暴動が起こらないんだ?」「きちんと行列を作り誰も割り込もうとしないのは素晴らしい」──賛辞を送られた日本人の震災後の振舞の根底にあるのは紛れもなく『強かさ』です。
日本人が持つこの強かさの本質は「日常への復帰能力の強さ」なんじゃないかなと僕は思います。震災のような強烈な非日常に出くわすとその反動でことさらに日常へと戻って行こうとする反骨精神。たわめた竹は強く曲げれば曲げるほど手を放した時に戻る勢いが強くなる。どんなに曲げても決して折れることなくしなやかで強かな太い竹をこの国の人達誰もが心に秘めているのではないでしょうか?
遠くから応援するくらいしかできないけど、熊本の皆様も強かであれ。

ボツの山、ボツの海

小説を書いていると展開が気に入らなくて書き直しをすることはよくあることです。一枚、二枚なら可愛らしい方で、五十枚くらい書いた原稿をボツにしたこともあります。自分が気に入らなくてボツにする分には納得ずくですからそれほど心も痛まないのですが、公募に応募する原稿で尺の関係でどうしても削らないといけないケースは悶えます。気に入ってる言い回しを文字数が多いからという理由だけで別の語彙に変えるとニュアンスが微妙に変わってしまいます。ここは読者が面白がってくれるだろうという場面を削ると作品が持つ興が削がれてひどくつまらない話になった気がすることもあります。それは未だ僕が未熟で技量が足りないからだと自分に言い聞かせつつボツになった原稿を思うと忸怩たるものがあります。

ところで、僕は原稿用紙に鉛筆で原稿を書くので没になった原稿はワープロと違って消えてなくなりません(って、捨てろよ)。どんどん、どんどん、溜まっていきます。たまにそういったボツの山、ボツの海から原稿を拾いだして読むのですが「意外と面白いじゃん」と悦に入ったりする暗い趣味があります で、ふと思うのです。どんな名作でもボツになった原稿はあるはずです。小説に限らず例えば映画でも公開されなかったシーンは山ほどあるはずです。監督の一存で、あるいはスタッフが侃々諤々の議論の末に切り落とされたその原稿、そのシーンは本当に無価値なのでしょうか?
案外、観客が一緒になって評価したら「そのシーンは絶対に残してよ」と多くの支持を得るカットもあったかも。ボツの山の整理をしながらそんなことを夢想してしまいました。

なぜのT先生

大学時代、物理化学の教授にT先生という方がおられました。彼には著名な通り名があって、我々学生達は彼のことを「なぜのT先生」と読んでおりました。
由来は簡単。90分の講義の間に「なぜ」という単語を40回以上口にするのです。当然それは「なぜ××なのか?」という疑問文の形になりますので、学生達にとってはちょっとした恐怖でした。「○○君、君はどう思う?」といつ指名されるかわかりませんから。で、受験の頃の知識をフル活用して「カリウムはアルミニウムよりイオン化傾向が高いので……」などと言おうものならこっぴどく叱られるのです。
「君が前提としているイオン化傾向というのは誰がどういった条件で証明したものなのかね?」
そう、イオン化傾向はあくまでもイオンになり易い傾向を便宜上分類したものでどこまでいってもそれは傾向でしかないのです。現実には条件によって同じ金属でもイオン化する割合は大きく変わってくるので目安にはなっても(科学的な)物差しにはならない。すなわち、論理的な証明には向かないわけです。
T先生の講義方は事象に対して「なぜ××なのか?」という疑問を投げかけ、「それは△△だからである」という合理的な解が得られたら、「では、なぜ△△なのか?」と今度は解自体が次の疑問の対象になるというものでした。加えてT先生は「○○君、君はどう思う?」と尋ねておいて「ちなみに、僕もまだわからないんだがね」と言い放つような豪快な一面もありました。

とても怖い先生ではありましたけど、あれほど科学者らしい教授は他におりませんでした。事象に対して好奇心で向き合い、些細なことでも「なぜ」という疑問を持つ。そしてそれに対して論理的な思考で以て合理的な解を導き出す。自分が知らないこと、わからないことを正しく認識し、公然と認め、その謎に敢然と食らいついていく。科学者とは静かな格闘家なんだなと感じさせる人でした。
あれから三十年、システムエンジニアをやってきましたがT先生の教えは普段の仕事の中で活きています。複雑なシステムのトラブルと向き合う時、唯一の解決手段は「なぜ」という疑問を正しく抱いてその合理的な解(因果関係)を導き出すことですから。憶測や推測は一切さしはさまない、但し仮説は大胆に立て論理的にそれを立証しようとする。そういった手法を僕はT先生から教わりました。

予期せぬ雨

朝起きてみるとまさかの雨。えええ、だって予報では曇りだけど降らないって言ってたじゃん。と、天気予報に毒づいたりして
そういえば、去年の4月もうんざりするほど雨が降った気がします。気になったので日本気象協会のホームページを調べてみました。雨が降った日が12日で曇りが7日。つまりお日様をまるで拝めなかった日が19日もありました。逆に晴れだった日はたったの1日。それ以外は晴れたり曇ったりだったようです。うんざりした記憶があるのも当たり前ですね。
桜の季節に曇り空になるのを花曇りと申します。同じようにこの季節に雨が続くのは菜種梅雨。

異常気象だの地球温暖化だの言いたくなったのですが、昔の人がこういう言葉を残している以上昔っからそういう天気になることがしばしばあった証拠。これも風流と感じて季節を楽しむべきなのかな。しっかし、洗濯物が乾かんぞ。

諦めないと諦めてないは違う

決して、あきらめるな、絶対に、絶対に、絶対にだ。

第二次世界大戦の頃の英首相チャーチルはこんな名言を残しています。似たような信条を持つ人は多いらしく僕は読んだことがないけど人気コミックス『スラムダンク』の中にも「あきらめたらそこで試合終了ですよ」というセリフが出てくるそうです。僕自身も「諦観は愚か者の哲学だ」というのを信条にしています。
何にせよ、夢や目指すところがあるならば『決して諦めない』というのは得難い資質なのだと思います。諦めることなく一歩一歩進めばいつの間にか手が届くということはありますから。
ところが、世の中には「諦めない」ではなく「諦めてない」を口癖のように呟く人がいるようです。で、「諦めてない」というわりには日々無為に過ごして何もしない。もしそんな人がいるならば、これはとっとと諦める人よりずっと質が悪いです。
チャーチルの名言もスラムダンクの名言も言外の言葉があるのです。

「諦めることなく、一歩一歩目標に向かって進め」

当り前ですよね。いくら口では「諦めてない」と言ってもじっとしていればそれは諦めているのとなんら変わりがありません。いや、諦めたら別の方向に向かって進み出すでしょうからまだマシです。「諦めてない」と言ってじっとその場に立ち尽くしたままなのは諦める人より質が悪いと思うゆえんです。人生の中の貴重な時間の無駄遣いです。
ただ、「諦めてない。だけどどうしたら良いかわからない」という人はたくさんいると思います。そんな時はどうしたら良いのでしょう?
誰かが手を差し伸べてくれるのを待つ?(いや、そんな僥倖は早々転がっていません)
とにかくやみくもに歩き回る(迷子になるのがオチです)
そんな時僕なら温故知新を試みるんじゃないかな。同じような道を目指した人は過去にもいるはずです。道に迷った時、彼がどうしたかを調べるのはきっと良いヒントになるのじゃないでしょうか? 重ねて「どうやって調べたら良いの?」と言いだす人は正直、何を目指すにも向いていないと思います。それは人に聞くことではなく自分で考えることです。道に迷うたびにどうしたら良いの? と尋ねて良いのは自分自身だけです。図書館に行くも良し、ネットを検索するも良し、あるいはその人が暮らした街に行けば何かヒントがあるかもしれません。
時に立ち止まることがあっても、自分で考えて考えて考えてまた歩き出す。そんな人のためにチャーチルはかの明言を残したんだと思います。

決して、あきらめるな、絶対に、絶対に、絶対にだ。

「うん、俺まだあきらめてないよ」と言うばかりで何もしない人にこの言葉はなんの勇気も与えてはくれません。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
↓こちらもよろしく!!
http://diningg2011.web.fc2.com/index.html

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR