落ちない話

単身赴任中なので、嫁との会話はもっぱら電話によります。まあ、毎日かけるわけではないのでたまにかけるとちょっと長話になったりするのですが、「ちょっと、聞いてくれる」と彼女が言いだした時は赤信号。日ごろ抱えている不満が大噴出いたします。だいたい、職場のことか娘の素行かな?
ただ、よく聞いていると明らかに高校生の娘の同級生目線で「○○ってひどいんだよ」って語って来る。いや、あなたは曲がりなりにも四十を過ぎたんだしそのレベルで娘と争ってどうするよ? と言いたくなるのですが……言ったことはありません。だって、あきらかに彼女はアドバイスなんか求めてませんから。単に話を聞いてもらいたいだけ。聞いてもらえばストレス発散ができるというだけらしいのですよね。
僕はたぶん聞き下手です。相槌のバリエーションも少なく、といって黙って聞いていると電話が繋がっているのか切れてしまったのかわからなくなるんじゃないかと不安。結局は延々と彼女が愚痴の大行進をさせた挙句、適当に切り返して話題を変えるのが常です。

子供の頃から小説に慣れ親しんだこともあってか、はたまた関西人の性か、オチのない話題が苦手です。彼女の愚痴を聞くのがしんどくなるのは話題がネガティブで重たいということより、『いつまで経っても結論に向かわない』ことにある気がします。俗に女性はオチのない話をすると申しますが少なくとも彼女を見ているとそれは真実のように思えます。やはり僕には「ストレス発散のためだけにしゃべり続けるという」発想が理解できなません。今、問題を抱えているのなら人にそれを聞いてもらうというコミュニケーションはその解決の糸口を求めるために取るべきものでしょ? と言いたくなります。そういったことを言おうものなら、「理屈っぽい」と冷たい一言が帰って参ります いや、理屈っぽいとかそういうことじゃなくてね。抱えている問題や悩みが解消されれば嬉しくないの? それとも愚痴のネタが減るから問題はなくならない方が良い? って聞き返したくなります。

あれれ。愚痴の羅列のようなブログになってしまった。……、……、って、やっぱオチを付けてしまうじゃん。
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ルーティンワーク

土曜日。5時に起床。
パン生地を捏ねて一次発酵を始める。
名もなき小さな食卓にブログを書く
MIXIの日記に「日めくりレシピ」というタイトルでレシピを1本書く
そろそろ7時。
シャワーを浴びて、朝食を摂る
Gの食卓という自営レシピ検索サイトにレシピを追加
8時。
来週一週間分の献立を考える
サラメシに今週分のお弁当を投稿する……
日曜は洗濯と掃除。そして食材の買い出し。道路の白線の上を歩くように僕の週末は自分が決めたルールを乱さぬようルーティンワークをこなすことに終始します。何もせずに半日くらいベッドでぼーっとしているということはまずありません(体調が悪い時は別だけど)。
傍から見るとどうなんでしょうね。少なくともうちの嫁なんかが見たら冷たい目で見られそう。彼女はカチッと片付けられている棚などを見ると手を突っ込んでぐちゃぐちゃぐちゃってしたくなるタイプなのだ(なんか、神経質そうでイラッとくるらしい)。
でも、今でこそ機械の如くスケジュールが組まれていますけどもちろん生まれた時からこんなだったわけじゃないです。それどころか、結婚しても長いことグダグダな生活を送ってたなぁ。
それがある時、これだけは毎週やろうと決めたことがあって(何だったかは忘れた)、そのうち「これも毎週やろう」、「あれも毎週やろう」とだんだん増えていったのです。やることが増えてくると、要領の良し悪しが気になってきて段取りを工夫するようになります。たとえば、パン生地は発酵を仕掛けてしまえば後は放置できるから一番最初にやる。前の晩のアニメは朝ご飯を食べながらでも見られるからそれまで観賞はがまん(座って何もせずじっと観ているのは時間がもったいない)といった具合。
去年より今年、先週より今週、昨日より今日。確実に僕のルーティンワークは効率的に機能的に進化している。なんだかそれがちょっと嬉しい。

喪失とは呼ばない

朝目が覚めると自分が小学生の頃に戻っていた──なんてことがあればSFかファンタジー小説になってしまいますが、たまにそんな気分で目が覚めることがあります。あるいは、未だに単位が足らなくて卒業をかけて勉学に四苦八苦している夢を見ることがあります。いったい僕はいつ、どうやって、小学校を大学校を卒業したのでしょう。家内と出会って、恋愛して、結婚して子供が生まれて……それって、本当に僕がしたことなのでしょうか? なんだかいきなり今の年になって今の場所に立っているような奇妙な不安に取りつかれることがあるのは僕だけなのでしょうか? 気が付けば足元に足場はなく、振り返っても戻っていける道もない。あるのは目の前に続く階段だけ。うずくまるわけにいかずしかたなく今日もまた一段その階段を上る。振り返れば昨日上った階段はもうそこにはなく。もちろん、後戻りすることはできない。そんな風に思うのは五十を過ぎてたいがいに長いこと階段を上り続けたからかもしれませんね。

わたしの日々は 鳴ってゐた
  ──大きくなりたいよう
  ──大きくなりたいよう

子供の頃はやたら背伸びして、早く大人になりたい。大人になったら自分で好き勝手に生きていけると憧れたこともありました。

いま それは鳴ってゐる

さて、僕はあの頃あこがれた大人になれたのでしょうか? 仕事に特に不満があるわけでなく。家族との関係もそれなりに良好。休みの日にはぶらぶら出歩こうが家に引きこもっていようが誰にも咎めだてされることもない。さまざまな苦労を抱えた人から見ればこれ以上何を望むと言われそうな暮らしです。けれど、

  ──小ちゃくなりたいよう!

空いろのビー玉ひとつ なくなってかなしかった
あのころの涙 もう泣けなくなってしまった
もう 泣けなくなってしまった
そのことがかなしくて  いまは泣いてる

吉原幸子の第一詩集「幼年連祷(ようねんれんとう)」の最後の詩「喪失」の結び。はるか昔。僕にはたくさんの宝物がありました。ミニカー、首長竜のおもちゃ、絵本、粉末ジュース。今となっては他愛もなく、特段ほしいと思わないものばかり。でも、それを喪失したことに対する悲しみはおろか感慨すら湧いてきません。

朝、五時に起床してパン生地をこね、まだ涼やかな朝の空気に包まれながらそんなことを思いました。感慨は湧かないけれど、あの宝物たちは今も僕の中で息づいていて、ときおり夢の中や朝の寝ぼけた思考の中でひょっこり顔をのぞかせる。それは喪失とは呼ばないのでしょう。

ミステリーの書き方

「ミステリーの書き方」という本を読みました。結構、分厚くて2週間くらいかかったかな。
内容は現役のミステリー作家が連作でいろいろな切り口からミステリーのそして小説の書き方を指南しますというもの。結構ためになりました。
例えば、「スランプについて」。僕はスランプなんて実際には存在しないと思っている。落合さんも言ってたけれど、スランプなんて言葉を使って良いのは長島か王だけだって。まあ、わかります。スランプと感じる時の根っこにあるのは単に机の前にじっと座っているのが嫌になっただけってなもんでしょうし
「トリックについて」トリックのアイデアを思いついたからっていきなりミステリーが書けるわけではない。それを核にして物語を作っていかなければならない。ごもっとも。アイデアを披露するだけならクイズで十分。小説に仕立てるには物語が必要です。
何か一作小説を書くだけならその人は作家ではなく作者だ。作家である限り書き続けなければいけない。デビューすることより書き続けることの方がずっと難しいと知っておいて下さい。はい。

人によって激しくうなずける意見、首を傾げてそうかなぁ? と言いたくなる意見いろいろでしたけど、勉強になりました。
最後の方に出て来た書き続けるコツというのが印象的でした。
僕は大酒呑みで月に何度かは二日酔いになるほど酒を呑むし、結構忙しくてあちこち出歩きもする。けれど、週末午前中の二時間だけは執筆の時間と決めていてこのルールは何十年も守っている。この二時間で丁度十枚ほど原稿が書けます。続けていればいずれ短編でも長編にでも仕上がっていきます。みなさんも、自分にとって一番書き易い時間枠(長さと何曜日のいつといった時間帯)を早く見つけて下さい。その枠が大きくても小さくても良い。止めずに続けていればいずれ小説は仕上がります。 ですって。
あと、東野圭吾のなんにでも興味を持つべきと言う章のエピソードも印象的だったな。映画の「タイタニック」が好きで何度も観ておられるらしいのですが、ある時ふと気づいた。ヒロインのケイト・ウィンスレットが場面によって体型が微妙に違う。あるシーンではスリムなのに、別のシーンではぽっちゃりして見える。──ああ、撮影期間が長かったから撮った時期が違うんだなと思い至った。ん? これってトリックに使えないか? なんてね。やっぱ普段からそういったアンテナを張り巡らせてものを見てるんだなぁと感心しました。

これを参考にまた物語を書きましょう。で、今度は図書館から「新人賞の獲り方おしえます」という本を借りて来たぞ。何がしたいんだ?>自分

失うものはあるか?

小説の投稿サイトなどを見ていると「俺はまだ本気出してないだけ」みたいなコメントを付けて小説を投稿されている方がいらっしゃいます。だったら、本気出したやつを投稿して来いよと言いたくはなるのですが、気持ちはわからないでもないんですよね。
音楽でも美術でも小説でも、いくら推敲を重ねてもキリがないという一面はあるのです。これがプロ作家であれば編集担当や校閲といった第三者の目に晒されますから、「ここまで書ければ良しとするか」という見極めも客観的に付けることができるのですが、アマチュアの哀しさで、自分で自分に見切りを付けるしかないのです。だから、「もっと良くなるんじゃないか?」という不安に晒されながら(その不安は十中八九当たっていてまだまだ推敲が甘いケースが圧倒的に多いのですが)、投稿してしまうということが往々にしてあります。そんな時、「俺が本気出したらこの数倍は凄いんだぞ」と虚勢を張りたくなる気持ちは確かにわからんでもない。けど、所詮は言い訳で人の目に晒された瞬間、その作品は作者の手を離れて読者のものになってしまいます。

これとは真逆に「こんな作品を世に出したら笑われるんじゃないか」と不安になっていつまでも作品を投稿できないでいる人もいそうな気がします。「これで良いのか? こんなのを俺の初投稿作品にしたら俺の名に疵が付きはしないか?」なんてね。
ええと、ツッコむのも馬鹿馬鹿しいのですが未だにプロでもない人に守るべき「名」などありません。そんなのは大御所と呼ばれる人が考えれば良いことで駆け出しですらないアマチュアがそんなことを気にしてどうする? せいぜい、大勢の人目に自作を晒して、散々叩かれるが良いと思っちゃいます(そこで叩かれてめげるようでは残念ながらその人は作家にはなれませんから)。
既に十年以上前の作品で「往年の」という冠が付きそうなラブストーリーに「電車男」というのがありました。電車で酔っ払いに絡まれていた女性を助けたことから始まるオタク君の恋物語です。女性に憧れを抱くものの何をどうして良いかわからない彼はネットの掲示板に助けを求めます。それに応えて多くのネット住民がアドバイスをくれるのですが、なかなか彼女に電話一本かけられないオタク君に業を煮やした一人がこう言い放つ場面があります。

「お前には失うものなど何もないだろう」

アマチュアの強みはまさにこれなのです。恥をかこうが馬鹿にされようが、それを恥ずかしいと感じることこそあれ、何一つ失うものはないんですよね。最初から何も持っていませんから。
創作の極意は大胆にかつ細心の注意を払って時に繊細に。思い切って一歩を踏み出したものだけが二歩目を踏み出す権利を得ます。二歩、三歩と踏み出した人がどこかに辿り着く保証は何もありませんが、最初の一歩が踏み出せずにいる人が今でもスタートラインで佇んだままでいることは間違いありません。

危機管理

料理を作ったり、小説を書いたりいろいろなことをやっているので、職業を誤解されがちなのですが、僕の本業はシステムエンジニア(SE)です(この前も、「え? 料理人じゃないの?」とか言われた)。
医者に外科や内科があるのと同じで、一口にSEといっても専門分野は人によって様々。僕の場合、インフラと呼ばれるシステムの基盤をデザインするのが主な仕事です。その中でもセキュリティやら惨事障害(地震とか火事とかシステムがオールダウンするような障害)対策が主要分野。仕事柄、客先で不吉なことを口にすることが多々あります。

「このサーバが停止したら業務にどのような影響があるでしょう?」

なんてね。その上で、そうなった場合のシステム復旧方法を議論するのですが、たまに驚くような返事が返ってくることがあります。

「え? 故障することがあるんですか?」(いや、機械だから故障することだってあります)
「そんなこと言わないでください。呼び水になったらどうするんですか」(いやいや、験を担いでどうする)

多くの震災や国際的なテロのニュースを目にしてきたからか、昔に比べると危機に対する意識もだいぶ変わりましたけど、それでも障害対策の話をすると、「起きたらどう対処するか」ではなく「本当にそんな障害が起きるのか?」という議論をしたがるお客様はまだまだいらっしゃいます。どうやら、起きる確率が低いのなら何もせずに布団を被ってやり過ごしたいらしい。
障害対策を打つにはもちろん、お金がかかります。でもそれは一種の保険なので、業務の改善にはなんの役にも立ちません。そして、実際に障害が起きない限りその投資は無駄金のように思えるらしいんですよね。
いまだ、この国では水と安全はタダという意識が根強いようです(近頃、水はお金を払って買う人も増えて来てるけど)。

身内のSEの中にまでそんなことを口にする人がいるので、以前「蓋然性の管理(プロバビリティ・マネージメント)」っていう15分ほどの勉強会をしたことがあります。教材はPowerPointで3枚のスライド(紙芝居)を用意して一言ずつワードを書いたものを用意しただけ。こんな感じです。

買物に行く途中で河童に出会うかもしれないと予感する主婦はいない(中島らも)

これは「嫌な予感」と呼ばれるものの正体に関する説明です。夕方、A子さんはスーパーに買い物に行こうかどうしようか迷っています。「今行ったら、B美さんに出会ってしまって長話に付き合わされるかもしれない」と嫌な予感がするからです。でも、A子さんは「今行ったら、途中で河童に出会うかもしれない」という予感がしたことはありません。なぜでしょう?
答えは簡単、B美さんにつかまったことは過去に何度もあったけれど、河童と出会ったことは一度もなかったからです。
つまり、「ある事象が起きるかもしれない」と予測できるのは過去に経験したことのみであり、危機管理は過去の経験に基づいて計画を立てるしか術はないことをまず知りましょうということですね。だから、自衛隊だって外国の戦闘機が飛んできたらどうするかという訓練はしていても、バルタン星人が攻めて来たらどうするかという訓練はしていないはずです(たぶん)。
2枚目のワードはこんな感じ。

成功する人間はチャンスを逃さない人間だよ(名探偵コナン)

ドライブで山道に入ってからトイレに行きたくなっちゃった蘭に同乗していたおばあさん(ミス・マープル風の名探偵)が言った言葉です。「さっきのサービスエリアであんたは行っておくべきだったんだ。それを、まだこの先にもドライブインか何かがあるかもしれないと無根拠に思い込んじまった」てな風に続きます。
これは危機に対する基本的な心構えですね。起きるかもしれないと思えることは本当に起きる可能性が0ではないことです。バルタン星人と戦う訓練はいらないけれど、他国の戦闘機やミサイルが飛んできた場合の訓練をせずに、本当に飛んで来てから「あの時、やっていれば~~~」と嘆く人のことを愚か者と申します。
三枚目はこんな感じ。

覚悟を決めろ(ファイナル・ファンタジーX)

これは危機に対する極意です。実際に危機に直面した場合、「どうしよう」といって狼狽えるのと、「どうしようか?」と考えるのでは引き出せる結果は大きく違ってきます。俗に腹をくくると申しますが、起きてしまった危機と対決するのに一番有効な武器は『覚悟』だと思うのです。

子供が犬に襲われそうになった時、日本の母親は犬に背を向けて子供を抱きしめて、かばおうとすると言われます。アメリカの母親は子供を背中に隠して犬に向かって拳をふるおうとすると言われます。この喩えの真偽は置いておいて、危機に対する正しい取り組み方はアメリカの母親の方だと思います。

目前にせまった困難や大問題にまともにぶつかること。そうすればその困難や問題は、思っていたよりずっと小さいことがわかる。
しかし、そこで逃げると、困難は2倍の大きさになってあとで襲ってくる。(ウィンストン・チャーチル)

学園祭前夜

「引けぇ! 力の限り引けぇ! 根性見せてみろ」
このセリフを見てクスリと笑った方はかなりうる星やつらに毒されているかも 映画版『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』、冒頭の一節です。明日は学園祭初日。にも拘わらず2年4組の模擬店は一向に完成しそうにない。更ににも拘わらず、ふざけたり、遊んだり、さぼったり一向に真面目に取り組もうとしないいつもの面々といった絵柄です。まさかその後、一夜明ける度に同じ学園祭前夜を繰り返すことになろうとは知る由もなしという展開になっていきます。
けど、ふざけている割には楽しそうなんですよね、彼ら。誰もやらされ感を抱く者はなく嬉々として模擬店の制作にいそしんでいるのです。既に古典になってしまったこの映画に関わらず学園物のアニメではしばしば学園祭(文化祭)が取り上げられます。全ての作品に共通するのは夢中になって取り組む熱気。少々下校時間が遅くなろうが、それこそ徹夜になろうが『学園祭の準備』を楽しんでいます。

社畜という言葉が生み出されてどれくらいの時間が経ったでしょう。近頃、この言葉の周辺で気になっていることがあります。それは意識の二極化。開き直って肯定する人がいれば、極端に否定する人もいる。特に極端に否定する人の中には夢中になって仕事に取り組む人を指さして「お前、社畜かよ」と揶揄する人までいます。
僕は、元来、仕事と作業は異なるものだと思っています。仕事は能動的に計画を立て、自分で管理監督しながら遂行するもの。作業は監督者から指示を受けてその指示通りに遂行するもの。つまり、作業における管理責任は自分の中にはないのです。社畜と言う言葉には作業という言葉の方が似つかわしい。自分に責任のないワークなので「なんで、そこまでやらされなきゃいけないんだよ」という気持ちも湧いてきます。自分がやっているワークが仕事なら「なんで、そこまで……」なんて言葉は湧いてきませんよね。だって、今日何をやるって計画を立てたのは自分自身ですから。
部下のモチベーションが下がってるなと感じた時、僕はよく学園祭前夜の話を引いて雑談をします。高校生ですら、誰に指示を受けなくても「あ、あれをやらなきゃ」、「これもやらなきゃ」って頭を働かすじゃんって。学園祭話に具体性を持たせれば持たせるほど急に目の前のワークがなんだか楽しいことに思えてくるのは不思議なものです。それは、作業が仕事に変質する瞬間なのかもしれません。

禁酒効果

禁酒を始めて早や5日。やはり寝覚めが違います。
ラジオ体操がしたくなる。家の周りを10周して来たくなる。腕立てを50回したくなる。矢でも鉄砲でも持って来いって気分になる
反面、夜は言うほど口さみしいわけではなく映画やドラマを見ていても普通。なんで酒がないと映画が観れないとか思ってたんだろ。
数字面でも効果は表れていて熱出して絶食していたこともあり体重は3kgダウン。血圧も急降下。良いことづくめな気がします。

この手の「禁××」って、よし止めたと思ったらホントにいきなり止められる人と、何度も何度も「禁××」するぞ、と言いながら止められない人がいるみたいですね。
僕の知人には入社したとたん「よし禁煙する」と言って、それから二度と煙草を吸っていない人がいます。彼の動機がまたユニークで、自分に割り当てられた座席が喫煙ルームから遠かったというそれだけ。そこまで歩いて行くのがめんどくさいと思ったそうな。禁煙で苦しんでいる世のお父さん方が聞いたら羨ましがりそうです。

禁酒や禁煙を始めるともう一つ気になるのは経済効果です。結構なお金が浮くのではと期待してしまいます。
ということで、ちょっと家計簿を調べてみました。毎月の酒代及び飲み屋代。
1月度:25054円
2月度:22487円
3月度:24373円
4月度:29994円
5月度:27002円
五か月でなんと12,8910円。平均:25782円ですから一年で30,9384円。って、30万以上浮くんですか? いや逆に30万以上もメタボ促進につぎ込んでいたとは。
僕はどうも物欲がないというか、何か物が欲しいと思わない質らしいんですね。改めて家計簿を見直しましたがお小遣いの使い道は飲み代を除けば散髪代(1080円税込み)と月に1回か2回、ファストフードではバーガーを食べるくらいのもの。お小遣いがまるまる浮いてしまうじゃないですか
ただ、禁酒禁煙で蔵建てた人はいないみたいなことも聞きますから浪費癖が付かないよう気を付けねば。

ということで、先週の日曜から始めた禁酒も早や5日。昨日はそれを記念して一杯やりました(をい)
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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