復刻

二十年ぶりに復刻させたレシピがあります。母から教わったお菓子で「エンゼルクッキー」というもの。
僕が知る限り史上最強、これより旨いクッキーを食べたことがないという逸品です。ただ、難易度が高く焼けるようになるまでにはかなり苦労しました。まず生地がふんだんにバターを含んでいて緩い。ちょっとでももたもたしていたらべとべとに融けて収拾がつかなくなります。室温が高いのも命取りになるので真冬でも早朝に起きて窓を開け放って拵えましたっけ。あと、焼き温が低い。110度~120度で1時間以上かけて焼きます。実家のオーブンは旧式のガスオーブンだったので温度調節機能などあろうはずもなく、庫内の温度計を睨みながら指先の感覚を頼りにダイヤル調節して庫温を落ち着かせる代物だったので苦労しました。天板を収める時ちょっとでももたもたすると一気に温度が下がるので神業的素早さを要求されました。焦がしたり、生焼けになったり十回以上練習してようやくきちんと焼けるようになった時は嬉しかったな。友人達にも好評で結婚するまでは頻繁に焼いていたのですが、結婚後は……ぴたりと焼かなくなりました。いや、正確に言うと焼けなくなったのです。
結婚直後の痛恨事の一つはオーブンを購入する際に自分が立ち会わなかったこと。家内はそこそこ料理はできるのですがそれはあくまでも普通の家庭料理の範疇。オーブンを使うにしても170度から230度程度のレンジがあれば普通の料理はこなせると思ったらしい(まあ、110度で焼く料理なんてのはレアケースなのは間違いないのですが)。で、我が家のオーブン君はそういった常識的なスペックのものが選ばれてしまったのです。このクッキーを160度で焼いてたら焦げ焦げの仕上がりになってしまうので止む無くレシピ封印。気が付くと二十年の歳月が過ぎておりました。

2年前、オーブンを買い直した際にはその反省点を活かして温度レンジが100度~350度の広いものを選びました。これでエンゼルクッキーを復刻することはできるようになったのですがなんとなく作りそびれたまま更に2年が経ちました。
先般、知人が出演するコンサートに招待された折、差し入れをどうしようかなと考えて思い出したのがこのクッキー。よし、二十年の封印を解き放ち復刻するかと古いレシピメモを引っ張り出して挑戦しました。

忘れている。

よく、自転車は一度乗れるようになったら一生乗れるとか、水泳は一度泳げるようになったらずっと泳げると申しますが、お菓子作りはそういった類のものではないことを痛感しました。生地がベタベタになってまとまらない。室温が高い、手が遅い。ううっ、そういえばそんなコツがあった気が……、後付けでよみがえる記憶。結局、材料の1/5くらいをロストしつつどうにかオーブンに投入。焼き上がって冷ます時は空気に晒して。十分冷めたら試食。

カリッ

そう、これです。クッキー生地の上に塗ったメレンゲ生地のカリッとした食感、上に散らしたココナッツの甘い香り。確かこのまま空気に晒して一晩しっかり冷ませば完成だったはず……翌朝、クッキーは悲しいくらいにべっしょりとなっておりました。そうだった。このクッキーは湿気に非常に弱いので冷めたらすぐにビニール袋か缶に移さなければならなかったんだった。
僕の性格の中でも特徴的な一つは負けず嫌いであるということ、別の言い方をすれば諦めが悪い、懲りないとも言えます。このまま、負けっぱなしでは気が収まらない。ということで、今朝リベンジマッチを執り行いました。
違う、この前と全然違う。手のスピード、まとめていく手際、二十年前を思い出したというよりは、今現在持っている技術で手順をリファイン(最適化)しているのを感じます。料理を復刻するというのは思い出すということじゃないのかもしれません。当時のレシピと向かい合って今の自分ならどう作るか見つめ直すこと。今度こそ、完全復刻の予感。
さて、オーブンが仕上がりを報せてくれています。
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世界に言葉のなかりせば

「あの人、理詰めで描くでしょ。俺はもっと外連味が欲しいタイプなんだよな」
アニメSHIROBAKOの中でとあるアニメータ(動画を描く人)が同業者と相性が悪いと嘆く場面のセリフです。その同業者の実力は認めるけど動きや表情が理詰めに過ぎるというのです。理詰めとはこの場面、彼女はこう考えてるからこう動く、こう感じてるからこんな顔つきになると突き詰めながら描いているといったほどの意味です。セリフの主は俺は多少理にかなわなくても観客の目を惹く演出(=外連味)を重視したいというわけです。どっちが良いかという話ではなく、僕はアニメでもお芝居でもその匙加減、バランスが大事な気がしています。では、実生活においてはどうでしょう?
昨今、結婚率の低下が問題視されていていろいろな理由が挙げられていますが、大きな理由の一つは理詰めで結婚する人が増えたからじゃないのかなと僕は思っています。
誰かを好きになった⇒告白をして付き合うようになった⇒ずっとその人と一緒にいたいと思うようになった⇒だから結婚する。
これって結婚に至る1プロセスに過ぎないはずなのに、いつの間にか結婚はかくあるべしという観念が刷り込まれて「好きでもない人と結婚するなんておかしい」という風潮が横行してしまっている気がするんですよね。で、「まだ好きになっていない人」を「好きでもない人」にすり替えてしまっているのだと思います。
こうなった理由は、戦後大量に輸入されたハリウッド映画の影響なのか、はたまた「君の名は」にみんながハマったのが発端なのか、海に向ってバカヤローと叫ぶ青春ドラマが良くなかったのか今となっては判然としません(たぶん、どれも一因なのでしょう)。けれど、結婚するためには恋愛しないといけないという恋愛至上主義が定着してしまっている事実に変わりはありません。
第二次世界大戦より前ならば、「お年頃」とか「(他人が決める)良縁」という言葉が生きていて、「そろそろ結婚しなさい」だとか「間違いのない人だから」という言葉にあまり疑問も抱かずに頷いた人は多かったように思います。
どちらのスタイルが良い悪いという議論は空しいのでしませんが(もちろん、どちらにも一長一短があります)、少なくとも戦前の形態の方が生物学的には理に適っている気がします。恋愛しないと結婚できないなんて奇妙な理屈をこねている生き物はこの地球上で人間だけです(たぶん)。他の生物は皆、そういった理詰めではなくもっと本能よりな部分で雌雄がつがっているのです。
言葉の発明によって人は人に思いを伝えお互いを分かり合えるようになりました。でも、言葉は完ぺきではありません。むしろ、不完全で不自由なものです。なのに、時に人は本能的に行動することを良しとせず、まず言葉によって相手に働きかけようとし過ぎてはいないでしょうか?

世界に言葉のなかりせば

雌雄が番うというのは言葉ではなくフェロモンで誘い合う方が自然の摂理に適っているんじゃないかなと思ってしまう今日この頃です。

ないものをねだる

往年の大ヒットドラマ「君の名は」は3部構成で映画化もされました。興行的には尻上がりに数字を伸ばし第3部(1954年(昭和29年)公開)では驚異の3億3015万円を樹立し同年のランキング1位を取ります。ちなみに2位は日本人にとってのキラーコンテンツ「忠臣蔵」、3位は洋画「ローマの休日」ですから人気の凄まじさが窺えます。ちなみに当時と現在の初任給の差は約36倍。単純計算すると約120億の興行収入となるわけです。
ん? ちょっと待てよ。と思われた方もいらっしゃるのでは? ごく最近同じような話を聞いてないかしらん。そう大ヒットアニメ『君の名は。』は連日満席状態。興行収入は130億を越えました。もしかして、マーケティング理論的にこのタイトル名は特殊な集客効果をもたらすワードなのか? とか思いたくなります。余談ですが、同年秋に初代「ゴジラ」が公開。今年も「シン・ゴジラ」が公開されてるし
市場の動向を読んで「次に何が売れるのか」を分析するマーケティングのセオリーの一つは「ないものねだり」なんじゃないかと僕は思っています。つまり「持ってるものは欲しくない。持ってないから欲しくなる」という理屈ですね。特に「他人は持ってるのに自分は持ってないもの」は欲しくなる傾向にあります。
二つの「君の名は(。)」に共通するテーマは恋愛。ある意味、全ての芸術作品共通のテーマではあるのですがそれに特化していることが特徴です。第一部から第三部が公開された昭和28~29年の世相に何か恋愛を希求してやまないヒントはあるでしょうか?
昭和29年といえばそろそろ焼け跡から脱却し生活に余裕の兆しが見られ始めた時期です。翌30年から朝鮮特需が始まって景気は一気に上向くのですがその先駆けのように明るいニュースも散見されます(社会面ではもちろんいろいろ事件もあるのですが)。モンロー来日。ヘップバーンブーム(彼女のファッションが大流行)。テレビ受信契約1万突破。プロレスブーム。第1回全日本自動車ショー開催(後の東京モーターショー)などなど。
空腹感が癒されると次に人が希求するのはやっぱり「恋愛」なのかもしれません。下品な言い方ですが「なんでもいいから恋がしたい」てな機運が爆発的に盛り上がってあの映画のブームがあったのではという分析は強ち間違っていない気がします。

省みて2016年平成28年。『君の名は。』の大ブームを見ていると、「こんな物語を待っていたんだ」という声が聞こえてくる気がしてなりません。 あり得ないんだけどあってほしい恋の成就。糸で結ばれた縁。それを多くの人が待っていたということなのかなと僕は思うのです。
バブル崩壊から20年以上にわたる経済の低迷とリンクしているのか、昨今結婚率だけでなく恋人がいない男女の率が増加しているということがニュースになっています。その割には恋人が欲しい率は決して低くないらしい。恐らく、「恋人なんてめんどくさいだけだし、パスパス」なんて言ってる人の中でも「そりゃコクられたら考えないでもないけど」などとツンデレなことを思ってる人もいるでしょうから実際の恋人欲しい率はもっと高い気がします。けど、出会いもなければ助けてくれる友人、知人もいない。月日は残酷に過ぎていって年を重ねるばかりという人がとても多い時代なのだと思います。
願い事をひとつだけ叶えてもらえるなら。今の時代、多くの人がそのおとぎ話めいた常套句に希む『ないもの』は恋や縁なのかもしれません。

うねうね体験

いきなり尾籠な話で恐縮ですが8月に血便が出ました。それも3日続けて。
便器を真っ赤に染める鮮血を目にした瞬間、顔面は真っ青。もしや、悪い病気では? そういえば、心当たりがあります。毎日毎日毎日、酒を呑み続けている日々。あれがいけなかったのか? って、二十歳のころからずっと続いている習慣ではあるのですが。こういうとき、僕は決して自己判断しません。医者ではない自分が適切な判断が下せるわけがないということを知っているつもりです。で、かかりつけのドクターの診療を受けた結果──人生初の大腸内視鏡検査を受けるハメになったのです。
ご存知ない方のために申しますと大腸内視鏡検査とは、肛門から細長い管をうねうねと押し込んでいきます。管の先にはカメラとライトが付いていて切開手術をしなくても腸の中の様子がライブ中継できるという画期的な診療法なのです。画期的かもしれないけれど受ける側からするとかなり気色の悪い体験になることは必至。だって、腸の中を蛇のような異物がうねうねと這いまわるんですよ。ギャーっと叫びたくなります。
でも、病気は怖い。無駄な抵抗はしない主義ですので。「ぜひ、やりましょう」と二つ返事。当日までの注意を説明いただいて帰りました。曰く

1週間前から一日の排便回数を記録する。
前日は粥、素うどん(ネギを入れるのも不可)等の流動食然としたもののみ摂食可。固形物、特に繊維質の多いものは厳禁。夜に下剤を飲むこと(げっ)。
当日は絶食。病院に着いたら2リットルの下剤を飲むこと(げげげっ)。便が水のようになったら検査可能のサイン。いよいようねうね体験へ。

わりとマメな方なのできっちり排便を記録し、前日は指定された食材で3食の献立を立案実行しました。で、当日。持ち重りのする下剤のボトル(2kg以上あるのだ)を渡しながらナースがにっこり笑って解説。「2時間かけてゆっくり飲んで下さいね。一気飲みしちゃダメですよ。気持ちが悪くなっちゃいますから」……、てか、2リットルの下剤の一気飲みって想像するだけで気持ちが悪くなってきたんですけど。「で、トイレに行きたくなったら近くのトイレに行ってください」(はい、言われなくてもそうすると思います)「もし、1リットルほど飲んでもトイレに行きたくならなかったら声をかけて下さい」(いや、下剤1リットルも飲んでそんなことになるとはとても思えないのですが)さすがにボトルからのラッパ飲みではなく200mlのコップを一緒に戴きました。
わりとマメな方なので、2時間耐久「下剤嚥下計画」をまずは立案。2リットルはこのコップ10杯分。2時間は120分なので1杯12分、半分の目盛りまでを6分のペースで飲めばよい計算。さっそく、腕時計とにらめっこしながらペースを乱さないよう下剤をちびちびちびと鯨飲(をい)
……、…………。2時間かけて無事、検査可の状態となりました。なかなかしんどかった。検査用の服に着替えて順番が来て、「はい、今から始めますよ~」と気安く声をかけてくる検査技師さん。いや、こっちはドキドキものなのですが。管を突っ込まれた瞬間、子供の頃にされた浣腸がフラッシュバック。あの時は嫌がって泣きましたが、まさかここで泣いて見せるわけにもいかず、じっと体を固くしておりました。「はい、もっと体の力を抜いてぇ」と検査技師さん。いっつも、思うのですがお医者さんってどうしてああ無茶ばかりいうのでしょう。ま、無駄な抵抗はしない主義なので体を弛緩。……、わかる。なんか知らないけど腸の中をヘビがはい回ってる。これは安珍と真逆のプレーではないか(安珍というお坊さんは清姫に懸想されてヘビに変化した彼女に道場寺で寺の鐘ごと締め付けられるという稀有なプレーをした人です)。
わりと環境に順応し易い質なので暫くすると腸の中をヘビが這い回っているのも気にならなくなり……、…………
「××さん
い、いかん。寝てしまっていた。センセのぎょっとした声は、もしや気分が悪くて失神したのかとでも思われたかも

とまれ、約30分の体内へび這いずり回り体験もようやく終わり結果は、「特にポリープなどありませんでしたよ」というありがたい診断。「但し、出血の恐れがありますので3日間は禁酒して下さいね」「え゛?」というおまけつき。
ま、ポリープが見つかって切除となれば2週間の禁酒だそうですから可愛らしいものでしょう。ということで、現在禁酒中。明日は解禁日。友人のコンサートがライブ居酒屋で行われるのではっちゃけてしまいそうだな。
とはいえ、いろいろ病気が見つかるお年頃。二度と体内をヘビがはい回るようなことがないようにほどほどに自重しましょう。

SHIROBAKO

2014年にオン・エアされたアニメ「SHIROBAKO」を鑑賞。ざっくりいうと、アニメ制作の舞台裏を紹介する群像劇です。
高校時代、アニメ同好会で自主制作アニメーションを作った5人の少女が社会人になってそれぞれ違う立場からアニメ制作に関わっていきます。一人はアニメの制作に。一人はアニメーター(絵を描く人)に。一人はCG(コンピューターグラフィック)の会社に。一人は脚本家を目指して。一人は声優の卵といった感じ。
なんとなく想像はしていましたけど、アニメができあがるまでって山あり谷ありなんですねぇ。次から次へと問題、課題が浮上し主人公たちはそれを打破するために悩み、苦しみ、成長していく。それでも闇に墜ちていかないのは手を差し伸べてくれたり叱ってくれる先輩や同僚がいるから。理想、とはいえないかもしれないけれど良いチーム、良いプロジェクトだというのが良く伝わってきました。
紹介される裏事情も適度にユーモラスに、また適度に生々しく演出されていて身につまされるものがありました。
業界は違いますが僕の本業であるSEの世界でも似たようなことはあります。かつて経験した一番重たいプロジェクトでは2ヶ月と10日で3000本のプログラムの単体テストを完了するという途方もない納期のものがありました。朝9時から夜0時まで20人がかりで単体テストを回してもせいぜい百数十本。ざっと計算すると平均3回のテストでバグを全部取り切らないといけない勘定になります。その二十人の監督を僕が務めたのですが、勤務時間はAM9時-AM2時がデフォルト。土日はもちろんなし。一か月の勤務時間が400時間を超えたという凄まじいものでした。それでも案外平気だったのはフロアでは常時150人くらいが仕事をしていて孤立無援感が薄かったからじゃないかなと思います。なんだか、高校の学園祭前夜のような熱気にあふれていました。
アニメSHIROBAKOからは同じ種類の熱気が感じられます。ネットのコメントには「この作品を観てしまうと、どんなつまらないアニメでも批判できなくなる」なんてのもチラホラあって、コメントした人にはそのつまらないアニメの完成を目指して大勢の人が一所懸命に働いてる姿が見えてるんだろうなと思いました。
本来、どんな仕事でもその苦労話を人に聞かせるのは褒められたことではありません。それでも今日日ネットでは訳知り顔で人の仕事を批判する方が大勢おりますから、たまには自虐を交えてこういった舞台裏を明かすのも悪くないなと思わせてくれる作品でした。

義務と責任

インターネット黎明期だった阪神大震災の直後。ネット上で小学校の先生と喧嘩になったことがありました。その先生は震災に関する生徒たちの作文をインターネット上にアップしてしまったのです。先生が「学校の掲示板に貼るのと何が違う?」と主張されるので、不特定多数の人の目に触れるという意味では同じだが不特定多数の母数が桁違いだ。言ってしまえば地球の裏側からだって見れるんだと口をすっぱくして説得したのですがピンと来なかった様子。地球の裏側からそんな作文を読みたがるもの好きなどいるもんかという論調に終始されていました。
生徒たちはインターネットにアップするなんて予告されていませんから作文の中には個人名や地名、人の安否に関わる情報まで書かれていても不思議ではなかったと思います(実際には読めていないので想像するだけなのですが)。今、同じことをやったら懲戒を喰らってもおかしくない行為なのですが、最後まで先生は理解できなかったようで一エンジニアとしての責務が果たせず臍をかんだ僕も自分の力不足を痛感しました。
とある漫画家が大ヒットアニメ『君の名は。』について「プロの視点で言えば云々」と批判して炎上している模様です。それに対するネットのコメントを読むと「いろいろな意見があって当たり前。自分の気に入らない意見を寄ってたかって攻撃する方がひどい」というものも散見されます。けれど、それは筋違いだと僕は思うのです。
確かに一つの作品に対してどういう意見を持とうがそれは個人の自由です。ただ、その意見をインターネットのような公の場で発言するのはある種の義務と責任を負わなければならないと思うのです。もしここに『君の名は。』を観て感激した人がいたとして、その人に面と向かって「あんなつまらない作品のどこが良い。君の感性はなんて低俗なんだ」と言ったら喧嘩になりますよね。自分にとって宝物のような作品をけなされたらそうなって当たり前です。インターネットに意見をアップするということはそれを不特定多数の人に向かってやっているのと一緒なのです。目の前にその人がいないから実感はわかないかもしれませんが何十万、何百万の人がその意見を目にして中には傷つく人だっていると思うのです。
一つの作品にプラスの評価を抱くのもマイナスの評価を抱くのもその人の自由です。けれど、マイナスの評価を抱いた人はできれば胸の内にしまって映画館を去る方が無難だと僕は思います。どうしても、その意見を表明したいのであればその作品を宝物にしている人を傷つけないように配慮する義務を負うのは大人として当然だと思うのです。「やーい、やーい」なんて言っていられるのはせいぜい小学生までですよ。その意見が的外れであれ正論であれネガティブな意見は人を傷つける恐れがあります。口を開く前に今一度、本当に言って良いかどうか、言うとするならどう表現すべきかを考えるのはきちんとした大人の責任ではないでしょうか。

無造作おじさん

たまにコンビニを徘徊します。おにぎりもサンドイッチもお惣菜も、思わず「食べてみたい」って思わせる品ばかり。どうやったらお客さんの目を惹くか、どうやったらお客さんの食指が動くか、真剣に商品開発と取り組んでいる方々の姿が目に浮かびます。
とはいえ、お値段はそこそこ高め(それでも黎明期の頃に比べればずいぶんリーズナブルになった気はしますが)。お財布の中身と相談しながら手を伸ばしかけては引っ込め、引っ込めかけてはまた手を伸ばしてみたり長々と棚の前で逡巡してたりします。この辺りは学生時代と変わっていないですねぇ(収入は全然違ってるのに貧乏性は抜けません)。
夕べ、酒肴が欲しくなってご近所のコンビニにGO。例によって棚の前で「どちらにしようかな、神様の……」とやっていたところ。隣にぬっと立つ人影。年の頃なら四十半ばでしょうか。中肉中背のおじさんが立っておりました(って、自分もおっさんだけど)。おじさんはぬっと手を伸ばすと無造作にサンドイッチを掴んでひょいひょいとかごの中に入れていく。周りの視線を一切気にしないような無表情。いやそれだけじゃなくお財布の中身も気にしていない様子。1個300円前後もするサンドイッチを2つ、3つかごに放り込むとおじさんは棚を移動。おにぎりを無造作にぽいぽい。お惣菜を無造作にそいそい。どんどん籠に放り込んでいきます。籠を半ば満たして(コンビニでついぞ僕が買ったことがないような食糧の山)満足したのかおじさんの足はレジへ
と、思いきや今度はレジ前でおでんを選び始めた。ええっ、コンビニのおでんって美味しいけど一個100円前後もしますやん。自分だったら一つ選ぶのに5分くらい悩みそうで後ろに列ができるのが気になって買ったことがないのに……。おじさんはここでも無造作に「××と○○と……」とどんどん注文していく。ふいに、「あっ」とおじさんが声を上げたぞ。レジにかごを残したままおじさんはスタスタと棚に取って返して買い忘れた何かをひっつかんでUターン。
結局、あれいくらくらいの買い物になったのかな? 人様のお買い物の様子を観察するのはお行儀の悪い卑しい行為だと分かっているのですが、あまりの凄まじさにまじまじと見入ってしまいましたよ。

世の中、お大尽っているもんですねぇ。これで、おじさんが帰宅しておにぎりをむしゃむしゃ食べながら、「給料が安いから生活が楽にならんのじゃぁ」とか呟いてたら……、後ろからハリセン・チョップをかましたくなりますよ


プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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