情報量と構成力

昨年の冬アニメ「昭和元禄落語心中」を視聴。まだ、1話目ですがたっぷり噺も聴かせてくれてドラマ性もある、面白くなりそうな臭いがぷんぷんします。何よりずいぶん長いこと観たと思ったのにそれほど時間が経っていないのに何度も驚かされました。なんでだろうと、つらつら思ったのですが1カット、1カットに込められる情報量がべらぼうに多いんですよね。だから数カットしか観ていなくても何十カットも観た気になる。
この感覚、経験したことがあるなとふと思い記憶をまさぐりました。京極夏彦の処女作「姑獲鳥の夏」。その後、京極のファンになり彼のシリーズ作品はほぼ全部読んでいますが本作が彼との出会いでした。
衝撃的だったなぁ。ノベルスのサイズなのにずっしり重い。普通のノベルスの2倍か2.5倍くらいの厚みのあるメガ本。一見して原稿用紙換算7、800枚はあると見ました。なのに読み始めると進む進む。あっという間に読了。衝撃的な結末の余韻に浸りながらしばし呆然としたものです。
誰かが彼の作品を評して「千枚の長編を数十枚の短編のように読ませる」と言ったそうですが、正鵠を射た書評だと思います。情報量がとてつもなく多いのに、それがすっきり整理されていて読む者の腑にすとんと落ちる。凄まじくそれでいて小気味良いまでの構成力を持った作家だと思います。

下手な作り手が情報量を詰め込むと雑多に詰め込まれたおもちゃ箱みたいになって読み手が咀嚼するのに苦労をかけます。以前、僕が書いた600枚ばかりの短編連作なんかがその悪い見本だったよなぁと反省しきり。だからこそ、「100調べて10で書く」なんて言われたりするのですが、別のアプローチもあるんだよと京極の作品は示してくれました。これでもか、これでもかと情報を詰め込む。ただ、それぞれの情報を提示されるタイミングが緻密に計算されていてすっきりまとまっているので読者が違和感を感じない。誰にでもできる芸当ではないですがそういう書き方もあるんだなと勉強させてもらいました。
昭和元禄落語心中は2話目から過去編、1話の現代編はいわばプロローグでこれからが本編のようです。ずっしりと手重りするのに開けばするすると情報の奔流がなだれ込む、そんな物語を期待します。
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こんなのってないよ

理不尽な局面に直面した時、人はしばしば「こんなのってないよ」なんて言ったりしますよね。
僕の本業はシステムエンジニアでシステムのトラブル対応は(なぜか)日常茶飯事なのですが、経験則からいうとこのセリフはトラブル解決から遠ざかってしまう危険なワードです。
こんなのってないといくら否定しても現実はこんなのって「ある」のです。だって起きちゃってるんですから。これは夢だ、悪い夢だ、目が覚めたらきっと元通りになってるんだ。なんて自分に言い聞かせても何のメリットもありません。起きてしまったからには現実を直視しなければ解決するわけがないのです。
トラブルを解決するのは合理的な思考だけです。結果を否定するのではなく受け入れてこそ、その結果に至るプロセスが見えてきます。
とあるシステムで全機能不全というなかなか面白い(をい)トラブルに直面した時のお客様のリアクションを見ていてそんなことを思っちゃいました(これこれ)。ま、得てしてこういう絶望感MAXなトラブル程解決する時は一瞬で全回福したりするんですよね。このトラブルも日が西に傾く頃には嘘みたいにあっさり決着しました

半歩先行く演出

2017年 春アニメの『月がきれい』がマイブーム。中学三年生の日常と恋愛を描いたお話なのですが、主人公二人の初々しい仕草や表情が見ていてむずがゆくなるくらい甘酸っぱい作品です。ネットの評判も上々のようでファンとしては嬉しい限り。
で、前の木曜日に3話が放映されたのですが見ていてふと気づいたことがあります。
「この演出って、君の名は。に似ている」

以下、昨年大ヒットした君の名は。のネタバレをいくばくか含みますのでご注意を。

あの作品が多くの観客の心をつかんだ理由はいくつもあると思うのですが、その一つは演出の斬新さじゃないでしょうか? 今我々が目にする映画やドラマの大半は三幕構成と呼ばれる演劇理論に裏打ちされていて開始から大よそ何分経過したらどういったストーリー展開がやってくるか読めるのです。例えば水戸黄門では35分を過ぎたあたりで悪代官と悪徳商人の密談をお銀さんが盗み聞きする。40分頃に立ち回りがあって42分に印籠が取り出される。45分くらいでストーリーのまとめ(別れの挨拶など)があって、ラスト48分で道を歩いて行く一行のカットと分刻みのタイムチャートになっているのを多くの人が知っています。
ま、水戸黄門の場合はそのお約束を楽しみたい視聴者が多くいるようなのであれで良いと思うのですが、単発の映画やドラマの場合、三幕構成通りの演出というのは目の肥えた観客をシラケさせます。
「主人公と反目しあっていたヒロインがそろそろデレるぞ」だとか「そろそろヒロインが攫われて主人公絶体絶命が来るぞ」だとか読めちゃうんですよね。他にも理由はあるのでしょうが、ハリウッドのアクション映画が昔ほどもてはやされなくなったのも、2時間物のサスペンス劇場やワイド劇場が衰退したのもひとえにテンプレのような演出に観客が飽きたからじゃないかと思うのです。
君の名は。の演出が凄かったのは「そろそろこういう展開が来るんじゃないかな?」という思いが観客の頭をよぎる(であろう)直前にその展開を持って来ていたこと。観客が身構える前に大きな衝撃(流星による大災害等)がやってくるので心臓がひやっとなるのです。びっくりして涙が出るのです。そして何よりこの手法はテンポが良くて観客を飽きさせない。三幕構成の演出に慣れている客であればあるほどこれは効きます。
で、月がきれいのネタバレ。3話ラストシーン
主人公モノローグ「I love you.を月がきれいと訳したのは太宰治だったっけ、それとも夏目漱石だったけ?」(視聴者「こいつ、ヒロインに「月がきれい」とか言ってコクる気か?)
主人公「あの……つき」(視聴者「きたきたきた。いや、ぜってえそれ通じないから止めとけ」)
ヒロイン「え、月?」といって空を見上げる「ほんとだ。月、きれい」
(視聴者「うわ、先に言われたし(笑)」
主人公「つき……合って」(視聴者「ちょちょちょちょっと待てぃ。まだ三話だぞ」)
ラブコメでは最終回で主人公がヒロインに告白するのが言わばお約束。それまでにも何度もトライしようとするも、邪魔が入ったり、主人公がヘタレだったりで叶わないのもお約束。なので、多くの視聴者が「どうせ、ギリギリまで盛り上げて告白キャンセルでしょ」と高を括っていたと思うのです。まだ三話だしと弛緩しまくっているところにど直球の告白。君の名は。の演出にも似た観客の予想の半歩先を行く演出に目が離せません。



流浪

これも一種の中二病なのでしょうか。 中学の頃、鉄道の運転手になってみたいなとぼんやり思っていた時期がありました。思った理由は単純。日本中、いろんなとこに行けるから。いやいやいや、ツッコミどころ満載ですね。趣味で旅行に行くんじゃないんだから。あの頃、パン屋になりたいという思いもありました。理由は職場がパンの良い匂いで満ちているなんて素敵だから。をいをいをい、なんじゃそら? と当人の僕でも思います。
あれから40年、中学に入学したばかりの頃の自分を振り返るとなんだか笑えます。電車の運転手を夢見て、ベーカーを夢見た少年は大学で化学を学んだあとシステムエンジニアになりました。相手にするお客様は日本全国いろんなところに散らばっていて、そこにシステムがあれば赴く機会は案外にあります。気が付けば1年の1/3くらいは自分家じゃないどこかのホテルに泊まっている旅暮らし。あの頃思い描いていた夢は思わぬところで叶いました。
週末は食パンを一斤焼くのが習わしになって、日曜日の我が家は焼けたパンの良い匂いに包まれます。別に狙ってそういう生活を目指したわけでもないのだけれど、気が付けばここにいた。

中学生のあの頃に目指した道とは違う道に僕は分け入りました。けれど、いろんな人と出会って、いろんな経験をして気が付くとここにいる。道が違った割には40年後に辿り着いた先は案外に夢に近かったというのが面白い。さてさて、これから先僕はどこに向かって行くんでしょうね。なんにせよ、50を過ぎても未来にワクワクできるというのは、とても幸せなことだと思います。

今日4月22日は53回目の誕生日。中学生になりたてだった13歳の僕から数えて丁度40年経った記念すべき日なのです。

不自由な常識

少し前に読んだミステリーのネタバレをやります。倉知淳の「猫丸先輩の推測」及び「なぎなた」を未読の方はこのブログをスルーすることをお勧めします。
倉知淳のミステリーの魅力の一つは発想の逆転と我々が常識と信じていることの盲点を突いた謎の構成にあると思います。
例えば、寒い冬の夜、主人公の下に毎晩毎晩電報が届きます。「チチキトク スグカエレ」だの「ジッカゼンショウ」だのろくな内容じゃないのですが、実家に確認してみると真っ赤な嘘。コタツから寒い玄関に呼び出された主人公は連夜の電報にうんざりしていると探偵役の猫丸先輩に愚痴をこぼします。すると、先輩は鼻で笑ってこう言うのです。
「お前さんは世界最後の日が来たら一日中、遊園地で遊んでいたいって口かい?」
どういうこと? と、主人公が尋ねると、お前さんが遊園地で遊ぶためには遊園地のスタッフは世界最後の日に働かなくてはいけないということを失念しているだろうと指摘。確かにお前さんは寒い玄関まで呼び出されたかもしれないが、電報を持ってきた郵便配達の人は毎晩寒い夜道を歩かされてるんだよと。恐らく犯人はその郵便配達夫に恨みを持つ人物、手ひどく振られるかどうかしたんじゃないのかなというのが猫丸先輩の推測なのです。
なるほど、事象だけ見ると奇妙奇天烈な事件も見方をちょっと変えれば不思議でもなんでもないという上手な謎の構成に目から鱗が落ちる思いがしました。

別の作品では若い映画監督がデビュー作を映画館に観に行ったところで謎が生まれます。すぐそばの席に若い娘さんが座っていて結構かわいいのでちょっと気になる。やがて映画はラストシーンを迎えてエンドロールに。真摯な反戦映画のラストに映し出されるのは世界中で勃発する戦争の悲劇のショット。美しい音楽をバックに、これでもか、これでもかと悲惨な写真がスクリーンに現れます。ふと、件(くだん)の娘さんの方を見遣った監督に戦慄が走ります。
笑っている。それはもう、この世の春と言わんばかりの輝かしい笑顔を彼女は浮かべていたのです。
その綺麗な顔と相反する性格の持ち主なのか? 外面菩薩 内面夜叉? サイコパス? 様々な黒い想いが監督の脳裏をよぎります。
種を明かすと彼女は今流れている音楽の作曲者。自分の曲が初めて映画に起用されたのが嬉しくて、いてもたってもいられなくて映画館に足を運んだのでした。「にしたって、その映像を観て笑うか? とんだ自己中なお嬢さんじゃないか」話を聞いた友人は憤慨します。「いや、そうじゃなかったんだ」と監督が最後の種明かし。客電が点って明るくなると彼女は傍らに置いた白い杖を取って立ち上がったんだと。
映画館は映画を観に来るところ──という常識に我々は縛られています。けど、このシチュエーションならたとえ目が見えなくても映画館に足を運んでもおかしくありません。迫力あるサウンドで流れる自分の音楽を今この映画館にいる人達が聴いてくれている。なんという至福。今日は人生最良の日だ。そう思って彼女が笑みを浮かべたことを責められる人は誰もいないでしょう。

この世界に『絶対』という二文字が付く常識など実はありはしません。ほんの少し条件が整えば常識は簡単に覆ります。それでも、常識に縛られずにはいられない我々は、ずいぶんと不自由な生き方をしているのかもしれませんね。

寄り道

ちょいと一杯のつもりで飲んで。いつの間にやら梯子酒♪
なんてことをやらかした翌日は、ま、仕事になりませんよね。それでも務まるなんてサラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ
そうでなくても休みの日に、二度寝して目が覚めたらお天道様は空の上だったなんて経験は誰しもあるもの。中には日が暮れてた(をい)なんて強者もいるらしい。あるいは、「こんな安月給で貯金なんかできるわけない」とかぼやきながらスマホをいじり、スタバでコーヒーを飲み、コンビニでお菓子を買ってる人を見るとそのお金は貯金に回せるんじゃないの? と言いたくなります。ま、わかっちゃいるけどやめられないのが無為な行動というもので。
誰だって日々の暮らしは有意義に過ごしたいと思ってるんですよ、たぶん。けどね、朝4時起床、3分で朝食の支度、ニュースを観ながら10分間食事、歯磨き、髭剃り、血圧測定、着替えに5分。6時に家を出て駅まで徒歩8分、いつもの電車が来たら前から3両目の2番目のドアから乗り左から2つ目のつり革につかまる。会社に着いたら20分間メールをチェック、今日の予定を再確認して優先順位を付ける。資料の作成、会議、客先訪問エトセトラ。17時半になったらパソコンを落として鞄に荷物を詰める。駅まで徒歩5分、6号車の2番目の扉から乗って右から2番目のつり革につかまる。家の最寄駅から再び徒歩8分。家に着いたら冷凍しておいたご飯を電子レンジに仕掛けて着替え。軽くシャワーを浴びるのが5分。おかず、みそ汁も並べてニュースを観ながら15分間食事。歯磨きをして21時には床に就く。
なーんて、生活を1年365日、何十年も続けたとしたらどうでしょう。有意義かもしれないけど僕だったらちょっと息がつまるかな。無為な行動はそれ自体に意味はありません。でも意義がないとは限らない。「ああ、折角の休みを無駄に過ごしちゃったな」と後悔しながら、こういう日もあって良いんじゃないかなと思えたら、その一日は長い人生の中できっと意義あるものだと思うのです。
折角の休みの日の朝っぱらから書くことでもないかもしれないけれど、人生には寄り道も必要不可欠なんじゃないかな。

あめふり

歌謡曲の小道具に雨はしばしば登場します。
しとしと降る雨、激しく降る雨、雨上がり……、人の感情の比喩に使いやすいお天気だからでしょうね。歌謡曲に限らず映画やドラマの世界でも登場人物の感情の揺れに合わせて雨を降らせるのは常套手段。ショックを受けたり意気消沈している主人公に容赦なく雨を降らせて、そのまま風邪をひかせたりしてね そういえば、ジーン・ウェブスターの「足長おじさん」のラストも想い人が雨に打たれて肺炎で死線を彷徨うところからの大団円だったなぁ。
唱歌や童謡の世界では雨は「嬉しいもの」、「悲しいもの」のいずれで捉えられることもあるみたいで、たとえば「あめふり」では
♪アメ アメ フレフレ カアサンガ ジャノメデ オムカエ ウレシイナ
と、お母さんを連れて来てくれる嬉しい天気と綴られていますが、
「雨」では
♪雨がふります 雨がふる 遊びにゆきたし 傘はなし
と悲しそうに歌われます。
とまれ、晴れの日と違っていろいろと「いつものこと」ができない、ままならないお天気なのは今も昔も変わりません。
週の中はこのまま桜を見に出かけたいような良いお天気が続いていたのに昨日から生憎の雨。洗濯物は乾かないし、買い物に出かけるのもおっくうになるし、ちょっと恨めし気に空を見上げたりして。
午後からでも良いから止まないかなぁ。

完成品の楽屋裏

イマドキの言葉を使うと意識高い系というのでしょうか、半年に一度の部下との面談に臨むと「昇格したい」というオーラ剥きだしで臨んでくる子がいます。うちの会社の場合、担当者がまず目指す役職は主任ということになるのですが、彼らの言い分が面白いくらい画一的で「××さんが主任なのなら僕だってできます」という論旨なのですね。ここでいう××さんは誰もが認めるできない人だったりします
気持ちはとてもわかるんですよ。人事は公平であるべきです。でも、人事制度は公平じゃない。その時々の会社の業績や将来的な展望に合わせて引き締められたり、緩やかだったりします。どの時期に昇格に挑むことになるかは、これは運、不運としか言いようがないと思います。
で、そんな子達に僕はこう返すようにしています。「君が今まで見てきた中で一番凄いと思う主任をイメージしなさい。その人と同じ振る舞いができていてそれでも昇格できなければ、僕は真剣に上と掛け合える」

僕も含めて人は自分に甘いものです。「これくらいできたんだから、もう良いんじゃないかな。もう十分じゃないかな」とすぐ自分の限界に妥協を見出そうとします。
小説を書いている時にもこの傾向は顕著に表れ、長い時間をかけて仕上げた原稿を眺めていると推敲する前から「もう、これが完成品で良いんじゃないのかな」なんてムシの良いことを考えたりするものです。ま、少し時間を空けて読み返せば随所に粗が見えてくるので「あれを完成品というなんておこがましい」と自省するのですが。
で、小説の執筆作業は実はここからが本番なのです。読者的視点に立ってどれだけ完成度を上げていくかが勝負。確かに書き慣れてくると最初から80点の原稿が起こせるかもしれない、けどそこからあと20点引き上げるのは至難の業です。ましてや更に20点積んで120点の原稿にするのはひたすら「自分に甘い自分」との闘いになります。
「もう良いじゃん」とか「これ以上いじると(行き詰って来ると「直す」ではなく「いじる」とか言いだします)逆に悪くなるよ」という悪魔の囁きと闘い、より高みを目指すには特別な意思が必要です。例えば僕はこんな風に自分に言い聞かせるかな。

「この作品と宮崎駿の作品を比べたら完成度はどっちが高い?」

狂気ともいえる執念で一切の妥協を許さない彼の制作姿勢にお前は比肩できているのか? と問われればまだまだ首肯できるわけがないのです。時にネットに投稿して第三者の厳しい意見に晒してみたり、数十枚の短編を書くのに百枚以上のボツ原稿の山を築いたり、あがいてあがいて初めてその作品は完成品と呼んでも差し支えないと思えるようになるのです(それでも、「完成品と呼ぶにふさわしい」とはまだ言えなかったりします)。
主任昇格も小説を完成させることも楽屋裏であがきにあがいて研鑽してこそ得られるもの。宮崎駿の執念をお手本に今日も鉛筆を握ります(あ、未だに僕は鉛筆と消しゴムで原稿を書くのです)。

探偵の恐慌

小説の中でも特にミステリーが大好きで、もう何十年も読み続けておりますが、時々思うのです。探偵稼業って怖くね? アニメ化されて有名になった米澤穂信の氷菓の中でも探偵役の主人公、折木奉太郎はよくこんなことを口にします。
「たまたま運が良かっただけです」
謎を解くための閃きがやってくるのは運が絡むといったほどの意味なのですが、まさにその通り。今回はなんとか事件の真相に辿り着けて依頼人の期待に応えられたけど、この次巧くいくとは限らない。それでもミステリーの探偵をやっている限り事件からは逃れられなくて次々と依頼人はやって来る。もし、次に挑む事件の真相がいくら考えても解けなかったらどうなるでしょう。続出する死体。依頼人からの矢の催促。やがて、無能の烙印を押される名探偵。怖いですねぇ。
だから、事件の依頼が来るたびに「もう十分じゃないかな」とか「そろそろやめといた方が良いと思うよ」と内心ではびくびくしてるんじゃないのかなとか想像してしまいます

なんてことを考えていてリアルの自分の仕事を振り返るとまんまこの探偵の恐慌が当てはまるじゃんと気付きました。僕の仕事はシステムエンジニア。ITシステムの何でも屋です。日常業務の中でかなりのパーセンテージを占めるのがITシステムのトラブル対応。システムの不具合を解消するお仕事です。お客様の損失を考えると解決までのタイムリミットは決して長くない中で、持てる知識と推理を以て問題解決に挑むのですが、何十年やってきても心臓に悪いことこの上ないです。
「もし、解決できなかったらどうしよう」
そんな思いが頭をよぎる時もあります。そういう時は自分で自分の背中を蹴飛ばして活を入れます。「解決できるかどうかで悩むな。解決するんだ」プロである限りそれが当たり前のこととして求められるのです。入社したての頃に先輩からも教わりました。「失敗を恐れるな。だが、失敗は許されない」だから、不具合と向き合い、想定しうる原因を洗い出し、一つ一つその中からあり得ない原因を排除し(トラブルシューティングの基本は消去法です)、原因を絞っていく、その技術分野が自分の専門でなければ専門家を調達し組織力で対応する。たとえ原因が究明できなくても回避策を模索し、まずは不具合からの復旧を目指す……。なんてやっているとなんとかなるもんだ──というのが30年来SEをやってきた僕の感想です。
もしかしたら、物語の中の探偵も「ま、なんとかなるでしょ」と自分に言い聞かせながら、依頼人に「では、お話をお聞かせください」なんて切り出しているのかもしれませんね。

文化の鎖国

ネットのニュースで、子供にゲームやアニメを禁じる親が話題になっていました。禁じる理由はヲタクになってほしくないからだとか。その記事にラノベ作家がコメントを寄せていましたがなかなか揮ってました。
「その子供さんは高確率で将来立派なヲタクになるでしょう。だって、ゲームもアニメも面白いもの。それをやってはいけない、観てはいけないという禁忌を付与したら惹き付ける力は何倍にもなります。いずれどこかで抑圧されていた欲求は爆発するものですよ」
確かに鶴の恩返しや見るなの花座敷などの昔話を引くまでもなく、人って「やっちゃダメ」と言われるとますますやりたくなるものですよね。他にも、クラスでハブられるから可哀そうとか、むしろ時間を決めてやらせることが自己管理の学習につながるのではといった反対意見が多く見られました。
かく言う僕も反対派かな。理由は「たとえ親であれ、子供が生涯の宝物を得る機会を奪う権利はない」と思うから。何を大袈裟なというかもしれませんが、今のゲームやアニメの中には人生観を大きく変える力を持った作品が数多あると思うのです。
話が飛びますが、僕の大叔父(母方の祖母の弟)は常々「小津安二郎の作品がわからないやつは日本人じゃない」と誰憚ることなく口にしておりました。僕にとって小津作品は様式美が強すぎてちょっと押しつけがましい映画という印象があるので(正直苦手)、それを聞く度に違和を感じておりました。恐らく大叔父は小津や黒沢以降の邦画を観たことがなかったんじゃないかと思います。あるいはチラ見しても「くだらん」の一言で切り捨てて理解しようとしなかったんじゃないかと思います。もし、真剣に観ていたら小津作品以外にも良い邦画がたくさんあることに気付いたはずですから。って、それを断言しちゃったら僕もその大叔父と変わらないと言われるかもしれません。でも、断言します。戯曲の世界ではシェークスピアを最後に才能溢れる脚本家は登場しなかったと思いますか? 映画はグリフィスがイントレランスを作り上げた時点で最高峰まで上り詰めたと思いますか? そんなわけないじゃないですか。
ゲームやアニメを子供に禁じる親御さんは「たかが子供の遊び」という発想に呪縛されているのだと思います。確かに昔はアニメーション作品は子供のためのものという風潮がありました。でも、それを払しょくしようという動きは遥か昔からあったのです。それこそ手塚治虫の時代から大人の鑑賞に耐えうるヒューマンドラマを目指す試みはありました。それらは別に巨匠宮崎駿に限らず多くの作り手に脈々と受け継がれているのです。そして今も、才能ある大の大人が人生の多くの時間を捧げて真剣に制作に取り組んでいるのです。
ゲームやアニメーションの実情から目を閉じ、耳をふさぐその前にもう一度考えてみて下さい。なぜ、世界中の人々がクール・ジャパンと呼んで日本製のゲームやアニメを絶賛するのか。その賞賛が萌えをあおるだけの低俗で浅薄な作品に向けられているのならこんなに長くブームが続くはずがないのではないかと一度疑ってみて下さいな。
子どもにゲームやアニメを禁じるのはそれからでも遅くありません。自ら心を閉ざして異文化を鎖国することは短い人の生涯から彩りを奪う以外の何物でもないと僕は思います。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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