FC2ブログ

消息は探さない

年々賀状を書いていて思うこと。送り先が年上がめっきり減って年下が増えていること。
新入社員の頃は同期か先輩方ばかりだった年賀状も、こっちがいいおっさんになった今は差し出すのは後輩ばかり。随分目減りした先輩方は既に職場をリタイアされた方がほとんど。30年前はそんな想像力を働かせたことはなかったけど当たり前といえば当たり前ですわね。
中には賀状すら交わさなくなった人もいて「どうしてるかな」と時々考えることがあります。ネット時代の凄いところというかほとんど脅威と呼べるのはそういった人の消息が案外追えること。意図的に消息を隠していなければ案外にSNSで検索するとヒットしたりするものです。本人にヒットしなくても知人に「彼(彼女)どうしてる?」ってメッセージを打てば数分で答えが返ってくる。便利になったのか不自由になったのかよくわからないな。けど、基本的に僕は「どうしてるかな」と思っても消息は追わないことにしています。五十半ばというお年頃になると返ってくるのが嬉しい便りとは限らない。思わぬ訃報に出くわすこともままある話。その点、「どうしてるかな」と思って止めておけば僕の中ではその人はどこか遠くで元気にしてるだろうと思えますから。
大学時代に通い慣らした居酒屋のご主人(お爺ちゃんとお婆ちゃん)。社会人になって十年ばかり通いつめた居酒屋のお母さん。きっと消息を聞いたら嬉しい便りが聞けることはないだろうなと思って連絡を取ったり店に顔を出したりするのは控えております。つまらない感傷とわかっていても消息を尋ねなければもしかしてどこかで元気にしておられるかもと思っていられるから。けど、ふと周りを見渡せば横浜に来てからできた知人がそれなりにいて彼らとわやわや言いながら酒が飲める日々。僕自身は幸福な人生を歩めているなと感謝すること仕切りです。
スポンサーサイト



2018年冬アニメ展望

2016年の秋ごろから、「アニメの2017年問題」が叫ばれ、このままいくとアニメーターの数が全く足りず多くのアニメが万策尽きてしまうと言われてからはや一年。気が付けば2017年も暮れて新しい年が明けています。「なんだ、騒ぐほどのことはなかったじゃん」──2017年を振り返ってお気楽につぶやくファンもいるかもしれません。けど、それは制作者がプロの矜持を胸に身を削って叩き出した結果であって何もなかったはずはないよなぁと僕は思うのです。
明けて2018年の冬アニメは告知されているだけで51本。去年の冬アニメより更に10本多い勘定になり、をいをい大丈夫かよと他人事ながら心配しております。とはいえ、楽屋裏の事情はわかりませんが、少なくとも放送されるアニメはかなりの豊作。相変わらず頑張ってるなぁと感心するとともに心から応援しております。
今期の一押しはなんだろうとつらつら考えたのですが、やっぱりこれかな。
『宇宙よりも遠い場所』
遭難した観測隊員を母に持つ女子高生が南極を目指すというお話で原作なしのオリジナルアニメです。以前トリビアの泉でやってましたが「(地表から)宇宙までの距離は東京~熱海間(100km)とほぼ同じ」だそうですので、確かに南極は宇宙よりも遠い場所なんですよね。女子高生が南極ってリアルではどう考えたって無理でしょというあたりを上手にフィクションに料理にしていて感心。加えて重たくなりがちなテーマを女子高生の青春モノに絡めてハイテンション、ハイテンポで視聴者を牽引していく力は見事と言うしかありません。
次に鳴り物入りで注目されていたのが京都アニメーションの『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』。戦闘マシンとして戦場を渡り歩き感情を持たなくなった少女が終戦を迎え、民間の郵便局で働きながら愛の意味を知ろうとする物語。作画はさすがというしかなく劇場版クラスの出来です。ストーリーは感情移入を極力抑えて静かに静かに進行させているのでやや起伏に乏しいのですが山場はこれからのお楽しみかな。これも一押しです。
甘酸っぱいラブストーリーがお好きな方には「恋は雨上がりのように」がお勧め。陸上の夢を事故で諦めざるを得なくなった少女がファミレスの店長(ぱっとしない中年)に恋をする話です。下手に舵を切るとどろどろした展開にハマっていきそうなシチュエーションですが見事に爽やかなテイストに仕上げています。自分的には舞台が横浜でご近所がたくさん出てくるのも楽しい。
変化球の学園モノだと『からかい上手の高木さん』。こちらは中学生が主人公。隣の席の高木さんにいつも手玉に取られて顔を真赤にしてしまう男の子がなんとか彼女に一泡吹かせようと奮闘する話なのですが、観ていてニヤニヤが止まりません。
認知度は低いけどラノベの頃から注目していた『博多豚骨ラーメンズ』も良い感じの滑り出し。街の人口の3%が殺し屋という架空の街「博多」を舞台に、様々なタイプの殺し屋の死闘を描いた物語。ちょっと伊坂幸太郎のマリアビートルあたりを彷彿とさせます。
作画の完成度はイマイチで(というか低予算なんだろうな)毎回残念な感じなのですが、前作がお好きな方には「バジリスク ~桜花忍法帖~」もお勧めかも。前作で死闘の末に全滅した伊賀と甲賀の忍者たちの後日談です。
そして、社会現象になりつつあるクソアニメ『ポプテピピック』も外せません。いやね、何が面白いのかさっぱりわからないのについ、何度も観てしまう中毒性。「どんな話?」と聞かれても説明のしようがないカオス度。次世代のギャグアニメかくあるべしという作品なのかもしれません。

おそらくはアニメ制作現場が危機的状況であることは変わりなく、根本的な解決にはまるで至ってないと思います。けど、そんな過酷な状況の中で良作を生み出しているスタッフの方にエールを送るとともに今期もアニメを楽しませて頂きます。

文化の輸出はいかが?

古くはクリスマス、近くはハローウィン。日本人って、外国のイベントを輸入して独自のお祭りに変遷させるのが好きですよね。そのわりには日本のイベントを外国に輸出することには無関心だし、積極的でもないよなぁとふと思いました。
こち亀でこのネタを扱っていて、両さんがひな祭りや端午の節句を欧米にプロモーションする話があります。狙いは雛人形や五月人形を売って大儲けすること ハリウッドの富裕層に取り入ったり映画にそんなシーンを挿入したり、五月人形にアメリカ人の好きな忍者のフィギュアを混ぜてみたり(をい)と大活躍。3月3日や5月5日は欧米で一大イベントの日となります。ちょっと無理があるような気はするけど実現したら面白いなと思わせる絵柄になってました。
現実にはそういった日本のイベントを輸出しようとする人がなかなかいませんが、その理由は我々自身が「日本のイベントは古臭い、垢抜けていない、こんなのウケるわけがない」と思ってるからじゃないでしょうか? けど、欧米で日本の文化が注目を浴びている今ならアジアの神秘として案外いい線行く気がするんだけどな。
日本が大好きな外国人の掲示板というのがあってそれを覗くとひな祭りや端午の節句以上に彼らが羨ましがっている日本のイベントがあります。それは「学園祭」。ん? あれがどうした? と聞かれそうですが、実は学校をあげて生徒が主体的に仕切るああ言ったイベントはどこの国にもなく、日本独自のものらしいんですよね。特に今はクールジャパン効果で日本の学園アニメは世界の人が観ていますから学園祭の認知度も飛躍的に高いらしい。このイベントをもっと積極的に輸出したら凄いことが起きないかな?
確かに外国で学園祭をやるようになっても、雛人形や五月人形のように日本産のモノが売れるわけではありません。けど、日本に来る外国人を更に増やして外貨を稼ぐことはできるかも。学園祭はどこもだいたい10月頃、秋にやるイベントですので、「本場、日本の学園祭を見に行こう」みたいなツアーを組んだりして。あるいは、海外の学園祭文化が本格化すればコンサル業が商売として成り立つかも。企画のアドバイスをしたり、運営を手伝ったり。ノウハウを伝授するわけですね。それを日本の高校生がやれば国際交流にもなります。

誰に言われたわけでもないのに、ハロウィーンは日本に定着してしまいました(ま、実際は仕掛け人がいそうですが)。今度は文化の輸出で儲けるという発想もありなのではとふと思った次第です。

リピートを鑑賞

乾くるみ原作のドラマ『リピート』の第一話を観ました。以下、ネタバレを含みますのでご用心を。
年末に番宣をやっていて、面白そうだったのでチェックしておりました。乾くるみは過去に何作か読んだけども可もなく不可もない作家という印象だったのですが、イニシエーション・ラブにハマってしまいそれ以来のファンです。ドラマ視聴にあたりお正月には原作を予習しておきました(僕は小説を先に読んでおく派なのだ)。
ホームページなどの事前情報からもかなり小説と設定を変えてきていますね。変更点は大きく2つ。一つはキャラクター設定、もう一つはストーリー展開の配分。
キャラクター設定については主要人物が10人から9人に変更されています。原作はクリスティーの「そして誰もいなくなった」に拘って10人となっていましたが展開上9人でも問題はありません。ただ、削られた一人がある役割を担ったキーパーソンだったのでちょっと意外。確かに彼がいるとストーリーが複雑化するし全6話に収めるため単純化を目指したのかなと理解。次に原作は男9、女1という男女比に対して男6、女3。これはドラマ的な(絵的な)配慮でしょう。ただ、増えた女性に手塚理美と安達祐実というベテラン個性派の女優を持ってきたあたりスタッフの気合を感じます(演出的には手塚は悲劇性の強調、安達はクライマックスの謎解きの切れ味要員かな)。そして登場人物のキャラ設定も少しいじられていますね。老年の会社社長が借金苦のサラリーマンに、中年サラリーマンが専業主婦に、ベンチャー企業の社長がカフェのオーナーにという感じ。総じてキャラクター設定の変更は原作で感じた「いらない人」感、「誰だっけ」感を廃し、よりはっきりとしたキャラ立て(=役割付け)を目指していると見られそれに成功しているように感じます。その上で、主人公を男性から女性(原作の紅一点)に変えたところも面白い。この方が男性ファンも食い付くし、女性視聴者の共感も得られ易いという読みかな。
ストーリー展開の配分は原作でも賛否両論が分かれたところです。この物語はざっくりいうと特定の過去日に戻ってやり直そうとする人々の群像劇という一面があるのですが(ミステリーなのでもう一面あります)、原作は過去に戻るまでが半分、過去に戻ってからが半分という配分なのです。僕はさほど思わなかったのですが、「戻るまでが長すぎる」という意見をネットで散見しました。で、ドラマでは第一話の終盤でいきなり過去に戻ってしまう。つまり、全6話中、1:5の配分としスピード重視を狙ってきましたね。ま、3話も「過去に戻るぞ、戻るぞ、戻るぞ」と言いつつ戻らなかったら今日日の視聴者は付いて来ないでしょう。
1話を観る限りテンポもよく、情報もスムースに入ってきて良い感じ。加えて適度の緊張感が途切れずラストの引きも良く、サスペン性も及第。良い滑り出しだと思います。

つくづく、ドラマ制作のチーム力って凄いなとあらためて思いました。原作はデビューから6年目の作品。作者自身まだストーリー構築にはこなれていない感もあり、余剰が目立つんですよね(いらないキャラクター、いらないプロットなど)。けど、作家は個人プレーですからそれを手直ししてくれる人がいません(編集はアドバイスしてくれるでしょうし、校閲は文章の直しは手伝ってくれるでしょうけど)。今回その原作を俎上に載せて、「本当に見せるべきものは何か?」を複数のプロたちが徹底的に議論し合い骨子を残してほとんど別物と言っていいほど新たな物語を再構築した感があります。
残り5話も視聴させて頂きながら、プロの目で見てあの物語のどこをどう直すべきだったのかを勉強させてもらおうと思います。

夢日記

引き続き、素面で就寝しているため夢多き夜。
物語を作る仕事や趣味を持つ人はそのネタを集めるのに種々工夫するのですが、よく聞く技法の一つに夢日記というのがあります。枕元にノートと筆記具を用意しておき、目が覚めたらすぐに今見た夢を記録しておくという方法。夢というのはその場では鮮明に覚えていてもあっという間に忘れてしまうものなので起き抜けが肝心なのです。
何度かやったことはあるのですが、僕の場合はろくなネタが集まったことがありません。飲み屋のカウンターのバカ話と同じでその場では直木賞物の面白い話に感じたりするのですが、はっきりと目が覚めてみると(しらふに戻ってみると)何が面白いかさっぱりわからない話だったりする。その点、昨夜の夢はどうだったのでしょう。
寝入りばなに見た夢は家人に聞かせられないような艶っぽい夢。僕はまだ二十代でひなびた旅館で4つ年上の幼馴染の女の子と再会するというシチュエーション。確かに僕が3つ、4つの頃に近所に小学校に上がったばかりの女の子がいてよく遊んでもらってました。彼女はわりとすぐに引っ越していってしまったのでその後、50年の人生で接点は全くないのですがよく夢の中に出てきたよな。柔らかな唇も僕の腕の中で身動ぎする細い躰の感触も浅い夢から醒めてもしばらく遺っているほどリアルな夢でした。
それからいくつかの夢をさまよった後、月夜を歩く夢を見ました。その夜はいわゆるスーパームーン、夜道は青い光を浴びて昼のように明るかった。阪急電車の線路脇を歩く僕の耳に唐突な汽笛の音、振り返ると機関車が轟音を響かせて走ってくる。しきりに汽笛を鳴らしながら「ああ、楽しい。ああ、楽しい」と歌うように声をたてるシュールな機関車(をい)。その巨体は僕のわきを過ぎると空へと舞い上がっていったのです。というところで、場面は転換して僕の友人にこの実体験(?)を物語にしたいと熱く語る僕。そんな素っ頓狂な話がウケるものかと嗤う友人。
「いや、そのままだったら確かに荒唐無稽だし、陳腐でもあろうさ。けど、物語を脚色するのは書き手の技量。たとえば、こんな話ならどうよ」
と、プロットを語ったのです。
ここからは夢日記の抜粋です。
タイトル「月夜の奇跡」
展開プロット
スーパームーンの夜、3人の人物が夜道を歩いている。(恋に悩む主人公、いじめられて怪我をしている小学生、ギャンブルで借金苦の男)
三人は月のスポットライトの中、線路を機関車が走っていくのを見る。
その後、三人は機関車の置き土産に不思議なグッズを手に入れる。(主人公には魔法の薬(それを飲んで話せば相手は必ずそれを肯定する(愛の告白に効果的)。但し一回しか効かない、といわれるが効果の程は怪しい)、小学生にはヒーローの変身バッジぽいもの、ギャンブル男にはよくできたおもちゃの札束)
彼らはすぐにそれを捨てようとするが蒸気機関車の情景を思い出してなんとなく捨てられずにいる。
→そこから本当の奇跡が3人に起こる。
テーマ:奇跡は人を助けるためには起こらない。行動を起こすきっかけとして起きる。本当に奇跡を起こすのは常にその人の行動である。
夢日記抜粋おわり
久しぶりに夢日記を付けてしまいました。僕が記録したのは幻想的な機関車の夢ではなく、その後友人に語った、脚色プランの部分。読み返すとありがちで陳腐なお話なのですが、よく夢の中であの荒唐無稽な機関車の夢をこのプロットにまとめたよなとちょっと感心したのでブログに書いておきます。

ビューティフル・ドリーマー

劇場公開は1984年ですからもう30年以上前の作品になります。けれど、未だに様々な劇場アニメのランキングで必ずと言っていいほどベスト3に食い込むモンスター作品があります。
押井守監督作品「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」。
これをうる星やつらシリーズで撮る意味を取り沙汰されたり(高橋留美子は激怒したとの逸話もあったり、押井守は今作を最後にTVシリーズも降板したり)、してますが一級の映画作品であることは間違いない名作です。
気がつくと毎日毎日、学園祭前日を繰り返していることに気付いたことを皮切りに諸星あたる達は夢の迷宮をさまようことになります(ほとんど無思考でその夢の中ライフを楽しんじゃうあたり彼ららしいのですが)。覚めても醒めても、それが夢でない保証はなく。エンディングに映り込んだ校舎の階数が現実と違っていたという念の入りよう(結局、それも夢じゃん)。同じ夢を扱ったパプリカ(筒井康隆原作だよ)とはアプローチは違うものの、自分が立っている地面が音もなく崩れ落ちていくような不安に観る者を誘う作品でした。

投薬治療で熱発。さすがに酒はまずいだろうと思い素面で19時に就寝。朝5時にスマフォのアラームが鳴るまでにどれだけの夢を見たのかしらん。一番強烈に覚えているのは家人に「8時過ぎたけど起きなくて良いの」と揺り起こされたやつ。「いや、今日は休暇を取ってるから」と言いながら布団からのそのそ起き出すと次女がテレビの前に陣取って恐竜とバトルの最中。「おい君は学校はどうした」なんて言ってる間にはっと目が覚めました。気が付けばベッドの上で外は真っ暗。もちろん部屋には家人も娘もおらず僕ひとりだけ。なんとも言えない寂寥感を感じました。
作中、クライマックスであたるが目覚めるとラムがコールドリープの機械故障で取り返しのつかない状況になっていることに愕然とするシーンがあるのですが、それも夢だと知れた時の気持の真逆でしょうか。たかが、夢、されど夢。夢の中で起きることは現実ではないけれど夢の中で想うことは夢を見る人に取って現実以外の何物でもないよなぁと再認識した次第です。

ディレクターズ・カットの想い

以前、某私立大学のアセスメント誌のお手伝いをしたことがあります。その大学では数年に一度学生たちに意識調査、実勢調査を目的としたアセスメント(アンケートのことです)を行っていて、それが丁度30周年を迎えるので学生たちの意識や暮らしぶりがどう変化してきたかをまとめた書籍を作ろうという企画にお声がけ頂いたのです。僕の仕事は5つの時点(1976年から2010年までのアセスメントを行った年)を舞台にその時代の学生を主人公にした短編小説を5本書くというものでした。1本原稿用紙40枚。5本で200枚のボリューム。プロットやキャラクター設定は大学の先生方が考え、それを元に文章を起こすというスタイルでした。正月に親戚が集まった際に妹から「おもしろかった」と言ってもらって書いた本人も「そういえばそういうの書いたなぁ」と思い出し(をい)、昨夜読み返してみました。
自分で言うのもなんですが、結構面白い。けど、不満がないわけじゃない。まず一つは小説とは無縁の大学の先生方がプロットを起こしたりキャラクター設定をやるというのに無理がありすぎたのです。俗につまんない小説を揶揄して「やおい」なんて申したりします。「山なし、オチなし、意味なし」の略なのですが酷いプロットになると主人公が部屋から一歩も出ずに誰とも会話もせずにただひたすら夢想してるだけなんてのもありました。これでどうしろと? 40枚も何を書けと? と、途方に暮れたものです。で、結局、時代背景が2010年だったのでネットを使って関学のOB、OGと交流していくというプロットに落とし込みました(家からは一歩も出ていないし、人とも「会話」はしていないのでプロットはキープしていると開き直ったのです)。キャラ設定もフリーフォーマットでは書きづらいだろうと性別とか年齢とか容姿とか性格とか好物/嫌いなものなどポイントになる要件を記入できるフォーマットをこちらで用意したのですが、記入された回答を見て目が点になりました。容姿「中の上」……。あの、髪型(長いか短いかとか)、顔立ち(丸顔、面長とか)、目元に特徴があるとか、指が手タレができるくらい綺麗とかそういうことを書いてほしかったのですが。
かなり四苦八苦しながら、当の先生方とメールで議論をしながら煮詰めていき、なんとか形にできた時は嬉しかったな。で、もう一つの不満は入稿した後の校閲にありました。確かに大学が発行する書籍ですから偏った意見を書くとまずいでしょう(それが大学の意見ということになりますから)。けど、とある先生にはギャグやライトな場面を徹底的に刈り込まれてあれには納得いきませんでした。だって、しまいに返ってきた校閲理由が「わしは今の学生言葉が嫌いだから」なんですもん。いやいやいや、あなたにそれを喋れとは言ってない。喋るのはあくまでも物語に登場するイマドキの学生だし、その学生が妙に硬い言葉遣いをしたら読者が却って違和感を覚えるでしょうが。最終的に出来上がった原稿は無難だけど僕に言わせれば面白みにかける小説に落ち着いた気がします。

映画の世界ではディレクターズ・カットという言葉があります。諸般の事情でやむなく編集時にカットされたシーンなどを監督が見直して「この作品の理想形はこうなります」と再編集した版を別上映したり、DVDで販売したりしたものを指します。アメリカでは映画の編集権は慣例的にプロデューサーが握っているらしく、尺の長さや興行成績を優先するあまり時には監督の目が点になるような編集をされてしまうこともあるらしいのです。そんな時の監督のぐぬぬぬという想いを身をもって体験したんだなぁ──某大学の仕事を振り返って思い出しました。当時の原稿は初稿から全部持っていますし、いっそ僕もディレクターズ・カットを作ってみようかな

stand aloneできない人々

日露戦争を舞台にしたドラマ「坂の上の雲」にちょっとハマっています。主題歌のstand aloneも美しい。相変わらず、久石譲さんは素敵な楽曲を生み出しますね。
ところで、僕らSEにとってstand aloneと聞いてすぐに思い浮かぶのはネットからも切り離された環境で独自に機能するサーバのこと。これをstand aloneサーバと言います。他のサーバがないと機能しないサーバの対語で、漢字で書くと自律したサーバと呼ばれます。
更にところで、浅田次郎氏が90年代に書かれたエッセーに一人の日本人青年が登場します。氏がアメリカに旅行されていた時のこと、飛行機が遅延してトランジットが巧くいかなくなったらしいのです。空港で見かけたその青年は所在なげにぽつんと立っていたそうで、氏が「どうした?」と聞くとホッとした顔になって「僕はどうしたら良いんでしょう?」と聞いてきた。俺が声をかけなかったらこの青年は誰かが助けてくれるまでずっとここに立っていたんだろうかと危ぶんだとエッセーには書かれています。青年に代わってカウンターで交渉していた時、たまたま隣に日本の基地に帰還する米兵がいたので青年の身柄を預けたそうで、それでも何も言葉を発しない青年に氏はひとくさり説教をくれてやったとか。「こういう時は礼のひとつも言うもんじゃねぇのかい」。それでもまだピンと来ていない青年に呆れ、そういう青年を育ててしまった時代に危惧を感じているとエッセーは結ばれています。
長いこと日本で暮らすと異常事態に対して鈍感な子供たちが増えるのでしょうか? きっと、誰かがなんとかしてくれると思い込んで、実際添乗員的な誰かが「はい、みなさんこっちですよ」と安全な方に誘導してくれるのが日本です。自衛隊も警察も救急隊員も優秀で職業意識が高いので自分が何をしなくてもなんとかなっちゃうのがこの国です。けどね、それは世界共通じゃない。自分でなんとかしない限りなんともならない国のほうが大半を占めるのです。
氏のエッセーから20年。ネットで「上司が無能」、「会社のトップが悪い」、「政治家がひどい」というつぶやきを見る度にため息が出ます。じゃあ、僕は悪くないと主張する君はどうしようとしているんだ? と聴きたくなります。事態はこの20年で深刻化しているのかも。
坂の上の雲の時代、日本は世界から見たら上京したての子供のようでした。産業革命の恩恵に預かって近代国家を築き始めたばかりの子供──列強はこの国から利権を吸い上げようと手ぐすね引いている、そんな時代でした。ぼんやり立っていたって誰も何もしてくれない。それどころか見知らぬ大人に財布を掠め取られても、置き引きに遭ってもぼんやりしているお前が悪いといわれるような時代でした。だから上京したてだった子供は上京したその日から子供であることをやめて、自らの足で立ったのです。そんな父祖の時代を思いやれば今の子供たちを見てため息の一つも出るのは自明でしょう。
震災の時の振る舞いを見る限り案外心配する必要がないんじゃないかと言う気もします。けれど、あの時、踏ん張れたのは大人が大人として振る舞ったからじゃないでしょうか。あの異常事態のさなかでも黙々とネットにつぶやきを書き込むだけでどこかの誰かがなんとかしてくれるのをぼんやりと待っていた子供が数多いたのではないでしょうか?
オリンピックの気運が追い風となってこの国を訪れる外国人はますます増えます。住みたがっている人達も大勢いると思います。いつまでも、単一民族の島国ではいられなくなり、本当のグローバル社会がやってきます。彼らは彼らの常識で行動しますから、それがもとでトラブルが起きることもあるでしょう。そんな時、誰かが手を差し伸べなくても自分でなんとかできる人たれ。日露戦争の時代とは違った意味で自律が求められる時代が来ているんだと思います。

旅愁

池波正太郎の「散歩のとき何か食べたくなって」を読んでいます。地元浅草や仕事で出かけた地方都市などで出会った料理屋を綴ったエッセーなのですが、ドキュメンタリー臭くなくてきちんと物語として読める筋があるのが彼らしい。そして料理やそれを作る料理人に対する鋭敏な観察眼に舌を巻きます。読んでいるとなんだかふらりと出かけてどこかの暖簾をくぐりたい気分にさせられている時点でこのエッセーは成功していると言えるでしょう。
僕は高校を卒業するまでは家と学校を往復するだけで勉強漬けの生活をしていたのでとりわけて旅への憧れが強かったように思います。大学に入って一人暮らしを始めるとその反動がきちゃったのでしょう。長い休みの度に一人旅に出かけました。初めての試験休みには山口市から津和野、萩、秋芳洞。行く先々で酒を買って、宅配便で送るという発想がなくて荷物がどんどん重くなりましたっけ。津和野は造り酒屋が散財する町。杉玉をみつけては軒をくぐり試飲させてもらうものだから昼間っからいい気分になっておりました。名前も忘れましたが萩で入った喫茶店で生まれて初めてのロシアンティーを飲みました。ウォッカで伸ばしたママレードを紅茶に入れて飲むスタイルにちょっと大人になった気分。
初めての春休みには金沢から輪島、富山、飛騨高山と足を伸ばしました。金沢では生まれて初めてのビジネスホテルに宿泊。フロントの脇に小さなスナックがあってそこのママさんとえらく意気投合してウィスキーをボトル1本開けちゃったなぁ。一昨年、久しぶりに金沢を訪れましたが当時の雑然とした駅前の風景はは霧散していてどこにでもあるような地方都市の佇まいになっていたのは寂しかった。輪島では民宿に近い旅館に泊まったのですが、とにもかくにも海の幸が旨かった。で、東京から来たというお姉さん(僕より2、3歳上だったと思う)と意気投合して1時間近くしゃべくりながら食事、「明日、朝市に行こうよ」と誘われたのですが旅程の関係でごめんなさいしました。考えてみると、あれが人生初のナンパ体験だったなぁ。結構、きれいな人だったのに今だったら絶対断らんぞ。高山は江戸時代から取り残されたような佇まいの町でしたけど今は変わり果ててるんじゃないかな。ちょっと行くのが怖い。
4年に上がる春休みには長崎に4泊5日で行きました。お昼はちゃんぽんと皿うどんのヘビーローテーション。夜は一度、名物のしっぽくを食べに行きました。最後に出てきたぜんざいが衝撃的だった。「ここへ来て口の中を甘くして帰れというのか」と内心文句を言いながら飲んでみたら、さっぱりしていて甘さはぐっと控えめ。洋食の下手なデザートよりずっと気の利いた〆の一品でした。で、この街でも夜はバーに入り浸り。確か、キング・ジョージという名の店だったと思うのですが今検索したらヒットしませんでした。もう三十年も前の話だしたたんでしまわれたかな。この店で初めて流しのギター弾きというのを見かけました。カラオケがまだ流行りだす前のこと、店を回って客の歌に合わせてギター伴奏をする商売があったんですよね。今思うと時代的にもほぼ消滅寸前の頃だったんじゃないかな。ここのママさんは気風のいい人ですぐに仲良くなりました。で、僕と同い年くらいのバイトの姐さんと意気投合。最終日には夜のお誘いを受けたりしましたっけ。当時付き合ってる女の子に操を立ててごめんなさいしたんだけど、結構可愛い子だったし今だったら絶対断らんぞ(そればっかりか)。

僕の旅は事前にみっちりと情報収集してみっしりと計画立てて出かける割には行った先では行き当たりばったり、予定のなかったのれんをくぐることもしばしば。でも、不思議なほど店の中には魅力的な人が「お待ちしていました」とばかりにいて、楽しい時間を過ごせたものです。池波正太郎を読んでいるとどこかに出かけたくなる。こんなブログを書いていたらますます出かけたくなる。今日の昼は何か旨いものでも食べに散歩に出かけましょうか。

アドリブの抽斗

映画やドラマと違ってに生の舞台劇の場合、撮り直しが利きませんからアクシデントが起きるとその場でなんとかするしかありません。そういった時、役者が機転を利かせてアドリブをかませて凌ぐと後で彼又は彼女の才能が絶賛されたりします。けど、それって80%くらいは勘違いなんですよね。才能でアドリブをかませられる人がいるとすればそれはもう本当に天才で、多くの場合アドリブは役者の経験から生み出されるものなのです。
役者は舞台経験を積めば積むほどいろいろな局面に遭遇します。アクシデントも経験します。幕が下りてからその日の舞台を振り返った時、「あ、あのアクシデントはこうやっておけば良かったな」なんて思うのはままあること。その思いがアドリブの種となって役者の抽斗(ひきだし)の中にしまいこまれるのです。そしてまた別の舞台でアクシデントに遭遇した時、役者は瞬時に脳内の抽斗を全開にします。そして、一番この場にそぐうアドリブの種を引っ張り出して開花させるのです。
ですから、アドリブの巧拙は概ね役者のキャリアと比例します。逆に何年やっていてもアドリブの一つもかませない役者がいるとすれば、それは反省をしない役者だと見て間違いありません。

ジャンルは違いますが、新しいプロジェクトを立ち上げる時にはリスクの洗い出しというのをやります。「このプロジェクトではどういった問題が発生する可能性があるか」というのを予測して一覧表を作り、予めそのリスクが発生した時の対処法を決めておく作業です。リスクの洗い出しのミーティングをやる際はベテランで過去にろくでもないプロジェクトを多く経験したSEをゲストに呼ぶのが一つのセオリーになっています。往々にして彼らは悲観的で、あんなこともあるかも、こんなこともあるかもと次々にろくでもない事例を披露してくれるのです。それだけじゃなく、「こういう時はこうしたら良い」というアイデアも経験則から教えてくれます。逆に経験の浅い駆け出しSEはこういう会議ではあまり役に立ちません。地を這い回るようなトラブルの経験がなければ想像だけで起きうる問題を予測するのはやっぱり不可能なのです。

もし、観劇に行ってアクシデントをアドリブで乗り切った役者がいれば彼の才能ではなくそれまで培ってきたキャリアにこそ喝采を送ってあげて下さいな。

年の瀬の戦

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
なんか2018年というといかにも中途半端な年数でつなぎの年っていう印象ですが、平成30年というといきなり節目の年って感じがしますよね。同じ1年には違いはないのにキリ番には弱いなぁ。
暮れの31日は神戸に帰省していたのですが、たいして面白そうな番組もなかったので早々に寝てしまいました。昔は除夜の鐘を聞くまで起きていたものですがあの意地っ張りはなんだったんだろう。
僕が生まれて初めて深夜の0時過ぎまで起きていたのは小学校1年のおおつごもりだったと記憶しています。従兄弟の家に遊びに行き、そこで紅白歌合戦を見ながら眠気と戦っておりました。夜も10時を過ぎると眠くて眠くて、まわりの大人たちには「もう寝たら」となんども言われながら「いや、大丈夫だから」とやせ我慢の笑いを浮かべつつその実は布団が恋しくてたまらなかったなぁ。
インターネット時代の便利さを駆使して1971年、あの年の紅白歌合戦のラインナップを覗いてみました。
口開けは紅組が南沙織「17才」、白組は尾崎紀世彦「また逢う日まで」(いきなり凄いのから始まってるな)。トリは美空ひばり「この道を行く」、森進一「おふくろさん」。あの頃も舞台は華やかでしたが、今ほどショーのカラーは強くなく、ひたすら歌唱による合戦を広げるイメージが強かったように思います。
近頃、若者の間で昭和の歌謡曲が見直されている風潮があると聞きます。「あの頃の曲の歌詞は胸に沁みるものがある」だの「今の曲は心に響くものがない」だのと聞かされると、おまえらジジイかよ、と言いたくなるのですが、まあ気持はわからないでもないかな。あの頃の歌謡曲の作詞に大いに貢献した阿久悠は「歌詞は4分間の映画のシナリオ」と言ったそうですが、ドラマ性の強い歌詞を持った曲が流行っていたと思います。それを歌う歌手たちも歌を歌うことを本職としていてたまにドラマに出演したりしたら、「ご愛嬌」と言いたくなるくらい下手くそな演技でしたね。昨今の紅白の出演者はドラマもバラエティー番組もこなせるマルチタレント性を発揮する方が多いですが、その分歌唱に対して一所懸命というか自分には歌しかないという必死さを今ひとつ感じられないと思うのは僕の気のせいなのでしょうか。

戦争が終わって、焼け跡から人々を引っ張り上げたのは歌の力でした。少なくとも僕が初めて除夜の鐘を聞いたあの夜、その力はまだ生きていた気がします。
プロフィール

choal29

Author:choal29
食べることが大好きで料理をすることも大好きなシステムエンジニアです。 料理は年々マニアックになってきていて、近頃はamazonからレシピ本など出しております。
詳しくはhttps://www.amazon.co.jp/ref=nav_logo で「五島 悠介」を検索してね。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR