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歯止めの生命力

日本の少子化は1980年台末ころに始まっており当時適切な手が打たれていればというタラレバなニュース記事を見かけました。けど、バブルに浮かれていた日本人は歯牙にもかけなかったとか。
過ぎてしまった過去を後悔してもせんないことでそれを反省材料として今後どうするかを考えるのが科学の使命だと思うのですが、果たして何の措置も行われなければ日本の人口はジリ貧に減り続けるのでしょうか?
実は人口が激減する現象は過去に何度もあったようです。世界的な現象としては14世紀にヨーロッパの人口の3割近くを死滅させたペストの流行。流行の中心地だったイタリア北部では全滅に近い状態だったとか。けど500年後の今、イタリア北部に人が住んでいないかというと住んでますよね。ペストの大流行は検疫など感染症に関する医学を発展させますが最終的に人類はペストの沈静化に成功しその後、また増えていきイタリア北部にも人が流入していったのだと思います。その後、帝国主義に席巻された世界は二度の世界大戦でまた大量の人口を失います。けれど、日本でもそうですが戦争が終わった後、自然発生的にベビーブームが起こり人口は戦前のそれを超えていくのです。
楽観的に考えると放って置いても人口が危機的なまでに減少すれば人は生物の本能として子供を作り始めるのかも知れません。ただ、ペストの時代がそうであったようにそこに至るまで人口が激減していく過程ではさまざまな苦痛を伴い、今までどおりの生活が送れなくなる暗黒の時代が相応に長く続くことが予測されます。例えばペストの流行までロンドンにはフランス語やラテン語を解する知識層が相当数いたそうですが、彼らの死によってそれらの言語を理解するものがいなくなり英語が生き残ったとか(でなければ、今のイギリスの公用語はどうなってたんだろう)、穀物栽培による手間暇かける農業は人口が足りなくてできなくなり羊の放牧などある程度放ったらかしにしておいてもなんとかなる農業にシフトしたとか。おそらくは今後日本でもある種の職業はなり手の不在で消滅してしまい、緊急度の高い医療や消防、防衛などに半強制的に就業させられる時代がやってくるんじゃないでしょうか? その分、今は多様化して華やかな食文化はロボットが工場で作るようなものに取って代わり多くのレシピが歴史から姿を消すのかも知れません。小説、芸能、ゲームなどクリエイティブなジャンルの制作者も社会的により重要度の高いIT産業にシフトさせられて娯楽が衰退するかも知れません。向こう何十年も娯楽といえば二十世紀から脈々と遺されてきた既存のコンテンツをガムかスルメのように味がなくなるまでしゃぶるようなものになるかもしれません。
ただ、やがて長寿を極めた団塊の世代層が死去していくことで人口バランスはピラミッド構造を取り戻し、生物的危機感を背景に本能的な生殖が沸き起こり、再び増加傾向に向かって行くんじゃないかなと考えたりもするのです。
あるいはイタリア北部の事例のように外部からつまり外国から人が流入してきて人口は復活するのかもしれません。その場合は、単一民族としての日本は二度と取り戻されることはなくニューヨークのような人種のるつぼになって街行く人々の様相も様変わりしてしまうでしょうね。
いずれにせよ巨視的に見ればそれは歴史の一ページに過ぎず100年後、1000年後振り返ればそういうこともあったなぁとしか言いようのない出来事へと変遷していくのだと思います。「あの時、頼朝が鎌倉幕府を作らなかったら」とか「光秀が本能寺に向かわなければ」といった類のことを夢想することはあれ本気で嘆く人はいないでしょう。それはいくら地続きとは言えあまりにも時間が経過してしまっていて歴史的遠近法のかなたでそれらの出来事が一つの風景のようになってしまっているからにほかなりません。
とまれおそらく今は、少子化に伴う暗黒の時代に既に足を突っ込んでいます。これからは今までの常識も既得権も基本的人権さえ無視されるなりふり構わない時代が何年も続くと思います。けど、戦時中がそうだったように、震災を喰らった避難生活がそうだったように、そんな中ででも人は日々営々と生き続けるだろうと思うのです。
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アマチュアリズムの錯誤

過日、キンタローが欅坂46のものまねをしてツイッターが炎上したり事務所にまで抗議の電話が来ているというニュースを見かけました。実は寡聞にしてキンタローがどんな芸人なのか知らないのですが(顔はなんとなく知っている)、抗議をしている人たちって何を勘違いしてるんだろうという印象を受けました。芸人はクライアントから依頼を受けて芸を披露してギャラを貰うのが仕事です。そこに何か違法な要素があれば非難されて当然ですがそうでなければ単に仕事をしただけの彼女が糾弾されるいわれはどこにもありません。どうしてもその芸にムカついて非難したいのであればそんな芸をやってくれと依頼したテレビ局に抗議すべきでしょう。
けど、この件は2つのイマドキを示唆しているように思えてとても興味深かったです。一つは観客とアイドルの距離感。昭和の頃、アイドルはブラウン管の向こうの存在でした。コンサートに行ってもステージと客席の間には厳然とした一線があってプロである歌手とアマである観客では住む世界が違う格の差を見せつけられたものです。それが、AKB48の登場以来様相が変わってしまいました。アイドルはステージを降りて至近距離で笑顔を見せ握手なんかしてくれる存在になってしまいました。客商売としてはありだし、ビジネスモデルとしてはとてもクレバーな戦略だとは思うのですが反面アマチュアとプロがあたかもボーダーレスになったかのように観客達を勘違いさせてしまいました。けどね、キャバクラと芸能はぜんぜん違う職種なんですよ。いくらすぐ傍で微笑んでくれても彼女たちはキャバ嬢のような接客が本業ではなく芸を披露するプロ、芸能人なのです。
AKB48が登場した2005年、ネットの世界にエポックメイキング的なサイトが登場します。その名はyoutube。バースデーパーティーのビデオ画像を出席者たちに配るのがめんどくさいというわりとふざけた動機で立ち上がったかのサイトは誰でも手軽に世界に向けて動画配信できるというコンセプトがウケて爆発的にヒットします。そして、歌やダンスを披露する自称「歌い手」、「踊り手」を多数輩出しそれに何万ものいいねが付くムーブメントは誰でも気軽にプロになれると観客達を錯誤させました。
確かにこれだけ見るとかつての歌う人(プロ)とそれを愛でる観客(アマ)という構図はとうに瓦解したかのように見えます。別にプロ歌手のCDを買わなくても動画サイトにアクセスすればそれなりに巧い歌を聞くことができます。けどね、聴き比べてみて下さい。やっぱりプロはプロ、アマはアマで歴然と技術の差があります。何よりプロには大勢の観客から「金を払ってでもその芸を見たい」という支持を得ているという気概があります。youtuberだって金を儲けてるという人がいるかもしれませんが、あれは再生数に応じてサイトが報酬を払っているだけ、再生すると課金されますという制度になったら見向きもされないでしょう(動画サイトで人気を博してプロに転向した稀有な人材も中にはいますがそれは特例)。
かつて若き日のビートたけしが落語の凋落ぶりを批判した際にとある噺家が「スイッチつけたらタダで芸を見てもらえるやつが何言ってやがる。こちとらわざわざ高座まで足運んで木戸賃払ってでも観たいって客相手に芸を披露してるんだ」と反論したとか。たけしは賢い人ですからその一言で黙ったようです。
冒頭の話しに戻りますが誰がなんと言おうとキンタローはプロのものまね芸人です。数多いる志願者を退けて生き残った猛者です。その芸の優劣を批判するならまだしも、元ネタの娘を馬鹿にしたのどうこうと騒ぐのはお門違いというもんだと思うのです。

歴史の1ページ

ネットのニュースやコラムなどを見ているとバブル期はもはや歴史の1ページになったんだなと感じます。ましてや、万博や東京オリンピックはもっと歴史上のできごとっぽい。そのタイミングで自分が普通に生きていたというのがなんとも不思議な気がします。例えば2018年5月13日現在、僕は横浜で普通に暮らしています。朝起きたら朝食を作って食べ、会社に行って仕事をしたり、お弁当を食べたり、仕事を終えたら電車に乗って帰宅して夕飯食べて布団に入る。でも、バブルの頃だって似たり寄ったりの生活をしてたんですよ。毎日が日常であることになんの変わりもないのになぜかセピア色がかって語られてるよなぁ。
織田信長は日本で初めて椅子に座ってワインを飲んだ人物だったと何かで読みました。その時、彼はこう思ったんじゃないでしょうか?「俺ってイケてる? 俺ってナウいよなぁ」とか。東京オリンピックの時にも、万博が開催された時にも、日航機が墜落した日にも、僕が常と変わらぬ日常を送っていたように、信長にだって日常はあったんでしょうね。で、それはこことは違う異世界のできごとではなくここと地続きのただ時間がそうとう前というだけの世界で起きていたことなんですよね。僕らの曾祖父母かその両親あたりは江戸時代で日常を過ごしていたわけで、逆に僕らの玄孫達は僕らが知らない年号の時代を見たこともない機械などに囲まれて「これがない時代なんて考えられない」なんて言いながら日常を送るのでしょう。
どの日常も今僕らが過ごす日常と本質は大して変わりはない、想像力を膨らませてみるとそんな風に思います。

誤字・脱字撲滅委員会

職場のとあるプロジェクトで作成される文書に誤字脱字が大量に発見されてお客様からお叱りを受けたらしい。ま、なんとか収まって納品も済んだらしいのですが、今後ともついて回る話だし対策を考えんとあかんなぁということで、なぜか「お前が誤字脱字撲滅のレポート」を書けと白羽の矢が背中に刺さりました。
んで、今週の後半はコラムや文献と首っ引き誤字・脱字の分類から初めて作り込まれるメカニズム、効率的な潰し方まで勉強したのでメモしておきます。
まず、誤字・脱字など日本語表現の誤りは3種類に分類されるもの。1つ目は語彙に起因するもの。いわゆる誤字・脱字になります。2つ目は語法に起因するもの。例えば、「会議が煮詰まってなかなか結論が出なかった」というのは誤りで「「会議が行き詰まってなかなか結論が出なかった」が正しい。煮詰まるというのは議論をし尽くしてゴールが見えてきた状態。もうすぐ、結論が出るねという時に使います。3つ目は文書作法に起因するもの。…や―は二文字続けて……――と書くとか、!や?など特殊記号の後は一文字空けるというルールが守られていないもの。
ぶっちゃけ、2つ目と3つ目は知ってなければどれだけ目を皿のようにして見ても誤りに気づきません。けど、1つ目は手の打ちようがあります。誤字が作り込まれる原因は2種類あって一つは変換ミス、もう一つは語彙に対する知識不足(不足の事態×、不測の事態○みたいな)なのですが、前者は漢字だけ追えば結構見つかる。脱字が作り込まれる原因はほぼ100%パンチミスなのでこれも注意深く目で追えば見つかります。
で、効率的な文章校正法。まず、心構えとして「文章を読まないこと」。それをやるとむちゃくちゃ時間がかかります。目で追うのはあくまで単語であり、文字と心得よ。
で、用意するのは印刷した文書(かならず印刷すること)と赤ペン(黒以外なら何色でもOK)。
やることは4つです。
漢字に焦点を当てて(漢字だけを目で追って)その字が間違っていないことをチェックする(その際、目は単語(熟語)で捉えるのではなく一文字ずつバラして読むこと)。で、あっていればペンでハネを入れる。ページの最後まで来たら漏れがないか再確認。(誤字のチェック)
同じ要領で漢字の直後のかなに焦点を当ててチェック(送り仮名のチェック)
「、」や「。」の直前に焦点を当ててチェック(てにをはのチェック)
数字に焦点を当ててチェック(特に桁数や0の数)
パンチミスや脱字は見つかったらラッキーくらいにしておいて後はツールを使って潰す。というものです。パンチミスや脱字だけ投げやりなのではと思われるかも知れませんがこのへんが人力チェックの限界なのです。ちょっと、次の一文を読んでみて下さい。
こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
よく読めばおかしいって気づきますが、パッと見は正しく読めちゃいますよね。人間の脳は文章を読むとき文字ではなく単語の単位で把握していて、単語の最初と最後の文字が合っているとそれ以外の部分が間違っていても補正して正しく読んじゃうんだそうです。これを「タイポグリセミア現象」と言います。それだけ脳が高性能だということなのですが、こと校正に関してはこの能力がジャマをします。なので、そんな補正機能を持たず機械的に文字を追ってくれるツールが必要になるのです。
さてさて、せっかくお勉強したんだしいっちょ日常生活で実践してみようかな。
あ、最後に一つ。校正(日本語の誤りを正す)と推敲(より表現に文章を磨く)は全く別物です。なので、同時にやってはいけません。あくまでも校正をやる時は校正に集中しましょう。

薬物使用中

目覚めるとものすごい倦怠感。いや、昨夜お酒のんだけどこの体調はちと異常。
あ、そういえば薬局のお姉さんに言われたな。「このお薬を服用している時はお酒を控えてくださいね」──あの咳止めの薬との飲み合わせか。ツイッタのフォロワーが横須賀で陽気に地ビールを飲んでる写真をアップしていて衝動的に飲みたくなってスーパーに自転車を飛ばしたのだけれどその結果がこれか。
やっぱ、薬が切れる再来週まではお酒を控えよっと(お姉さん言いつけを守らなくてすみません)。

一汁一菜への回帰

「店長なのに年収250万円」「家族を養えなくて退職した」 低賃金に悩む会社員の声、なんてネットニュースを見かけました。この種のニュースは頻繁に見かけるのでどちらかというとニュースの類ではなく、コラムでもなく、単なる娯楽提供、SNSサイトで愚痴大会をやってもらうためのネタなんじゃないかなと最近は思っています。案の定SNSは政府が悪い、会社が悪いの大合唱、中にはタイトルだけで記事本文を読んでいないなとわかるずれたコメントも散見されました(要は人の言うことなんか聞きたくない、俺の言い分を聞いてくれってスタンスなんですかね)
ま、愚痴をこぼしたくなる心理自体は理解できなくもないけど、人のせいにしてる限り何も変わらないよとは言いたくなります。加えて、今の生活って言うほど苦しいのかなとも思ってしまいます。明治、大正時代の庶民がどんな家に住んで何を食べていたか想像したことある? 戦時中は? 戦後闇市が立った頃の生活は? 少なくとも僕は昭和39年生まれですから昭和40年台以降の生活は知っています。物心付いた頃は洗濯機もなくて母たちはたらいに洗濯板で洗濯をしていました。ほうきとチリトリで掃除をし、冷蔵庫も今よりずっと小さい簡便なものでした。食卓に上がる料理はおかずが一品かよくて二品。お肉がない夕飯もしばしばありました。けど、それが普通で友達の家の夕飯を覗いたわけではないけれどおそらくはどこの家庭も似たり寄ったりだったと思います。ならば、戦後復興期やそれ以前は推して然るべし、それより豊かだったとはとうてい思えずむしろもっと貧しかったと推測します。
それに比べると、今の食生活ははるかに豊かです。家で自炊しても肉か魚の料理は食卓に上らせますし2品以上付けることが多いです。外食すれば普通の定食の店でもメインの皿に肉料理か魚料理、それに野菜の付け合せが付くのが一般的。これに白米のご飯、味噌汁、小鉢に香の物くらいは付きます。中には3品、おかずが並ぶのを売りにしている店だってあります。それを黙って食べておいて生活が苦しいだの、低賃金でやってられるかだのどの口が言いますか? と、あの頃のお母さんなら叱ってたと思いますよ(昔は父ちゃんだけじゃなくて母ちゃんも怖かったというか厳しかった)。

一汁一菜とは主食(白米や玄米のご飯)に汁物とおかず一品が付いた食事スタイルを指します。昔は粗食の代名詞として使われたものですが、この配膳は実に合理的で食べ過ぎにならず勝手に腹八分で食事を済ませることができます。ややこしいカロリー計算などしなくても、それこそまんが日本昔ばなしに出てくるような飯の盛り方でもしない限り肥満とは無縁になります。件のネットのニュースに対して僕なら、日々の生活の愚痴は一旦脇に置いておいて昔ながらの一汁一菜生活に回帰しようよと提言するかな。定食屋さんも400円かそれを切る値段で「一汁一菜定食」なんて売りに出したら案外ウケないかしらんと思ったりもするのです。但し、あまりに粗末なので、米の炊き方、汁の炊き方、一品のおかずの拵えに相当な料理人の技量が求められますし、たとえば「江戸の食生活をしよう」といったキャッチを打つなど賢いマーケティング戦略が必要になるとは思いますけどね。

レッツ、ファーメンテーション

4月は僕の誕生月で楽天市場さんから特典の期間限定ポイントを戴きました。自腹では買うことがないような何か美味しいものでもお取り寄せしようかなとも考えていたのですが、長く使える調理器具などあればそれも良いなと迷いまくりました。で、いい加減タイムリミットが迫った月末。ようやく辿り着いた結論がこれです。
DSCN5740.jpg 
ヨーグルトメーカー君。いやいや、ヨーグルトなんて機材がなくても作れるでしょと言うなかれ。ヨーグルトに限らず発酵食品全般と低温調理ができちゃう機械なのだ。仕組みは至って簡単で要は炊飯器の保温モードと同じく庫内の温度を一定に保つ機能を持っています。ただ、炊飯器が約70度オンリーなのに対してこちらは25度~70度まで1度刻みで設定が可能。そして1時間~99時間の設定が可能なタイマー付きなのです。なので今まで炊飯器でなんとなく作っていたローストビーフや甘酒もきちんと温度管理、時間管理しながら作れるようになります。
で、どんなものが作れるようになるかと言うと乳製品ではまずヨーグルト、プレーン、カスピ海、ギリシャと自由自在。それからサワークリーム、カテージチーズ。味噌、甘酒、塩麹、醤油麹にぬか床の仕込み。フルーツビネガー、白菜漬け、ピクルス。更に低温調理ではコンフィと呼ばれる料理全般、鶏ももや砂肝がメジャーです。あと、ローストビーフ、鶏むねハム。温泉卵や牛すじ煮込みなど100度よりずっと低い温度でじんわり時間をかけて火入れすることができます。
普段我々が煮炊きと呼んでいる調理法では水の沸点である100度前後の温度で食材を扱います。蒸すという調理法は水蒸気を使うので更に高い。揚げる場合は160度~180度。焼く場合は更に天井知らずで高くなります(炭火焼きになると1000度くらいまでいけると思う)。なのでそれよりずっと低い60度~70度での調理は僕にとっても未知の世界。どんな特性があってどんなコツが必要になるのか、少しずつ勉強していきたいと思います。
ちなみに、発酵は英語でfermentationというのですね。ひとつ賢くなりました。

レコーディング

起きてみたら、窓打つ雨。風も相当強そうだな。GW半ば、今日は普通に祝日だから行楽を楽しみにしていた人も多いだろうにちょっとがっかりな天気ですね。
昨日は午前中、虎ノ門の呼吸内科のお医者様を受診。相変わらず咳が止まらないのです。そのくせ、アレルギーや喘息の兆候はないというから厄介。新しい呑み薬を処方してもらいました。で、そのまま帰宅するのももったいないので、両国まで足を伸ばして江戸博物館を見学。なかなか見ごたえがあった。その後、お昼は上野に回ってかねてから気になっていた晴々飯店(せいせいはんてん)を訪問。ここは本格的な四川料理を定食屋価格で食べさせてくれる店です。注文したのは成都オールスター3品セット(1080円)と呼ばれる店の看板メニューを詰め合わせたもの。麻婆豆腐、汁なし担担麺、水餃子にご飯とデザートの杏仁豆腐が付いています。おかずはどれも花椒(ホアジャオ)がよく利いていて美味。なんでも麻婆豆腐なんかはご主人が中国に出向いて考案者の陳婆さんのひ孫に作り方を教わってきたとかいう本格派なのです。辛さは日本人向けに調整しているのか激辛とまではいかなくてちょうどいい感じでした。ただ、量は多くて最後はちょっと持て余し気味でした。
てな具合にこれからは美味しいものを食べたり飲んだりしたらレコーディングしておこうかなと思っているのです。というのも、馴染みの居酒屋で日本酒をオーダーする際、「これ美味しいやん」とか言うと、「この前もそう言ったよ」とご主人に笑われることが多く、どうも近頃とみに記憶力が心もとないんですよね。ということで、あとでお店の場所と食べたものと味の感想を書き込めるEXCELブックを作っておきましょう。自慢じゃないけど、そういうのをマメに書き付けるのは得意なのだ。
プロフィール

choal29

Author:choal29
食べることが大好きで料理をすることも大好きなシステムエンジニアです。 料理は年々マニアックになってきていて、近頃はamazonからレシピ本など出しております。
詳しくはhttps://www.amazon.co.jp/ref=nav_logo で「五島 悠介」を検索してね。

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