スマートな表現

小説でもドラマでも説明的な表現というのは見るものをシラケさせます。
たとえば、主人公とヒロインが新婚ほやほやだということを説明するのに
「楽しかった。ハネムーンがハワイなんて最高だわ」
とヒロインにしゃべらせたとしたらどうでしょう? このセリフを言われている主人公はそのハワイにハネムーンで行って来たばかりの当事者です。今更、「ハネムーン」だとか「ハワイ」だとか言われるのは極めて不自然でそれが観客をシラケさせる原因になります。
巨匠ヒッチコック監督はこの状況説明をたった2行のト書きで実現しました。

窓際にバラを活けた花瓶がある。
花瓶には結婚おめでとうと書かれたカードが立てかけてある。

シーンにして恐らく3秒、カードのアップがあったとしても5秒で全ての説明が付きます。バラの鮮度から見て活けられて間がないこと、結婚おめでとうなんて書かれたカードを飾るのは新婚さんしかいないこと。その2点から二人が式を挙げて間がないことが自然に理解できます。スマートな表現というのは総じて端的で自然なものじゃないかなと僕は思います。それは演出だけでなく演技にも言えることで、例えば悲しい場面で泣いて見せるというのは時に観客をシラケさせたりドン引きさせたりするリスクを負います。なぜなら、現実の世界ではいい大人が悲しがって泣くことはまれだから。大抵の場合はその悲しみを飲み込んで泣くまいとして取り繕おうとするから。ある人は気丈に振舞ったり、努めて明るくはしゃいだり、ある種挙動不審に陥ったり。それでも涙は見せない。その方がぐっとくる場合は多いのです。
だって、その状況が主人公に悲しみを与えていることなんて観客はみんな知っているから。その痛々しいまでの振舞に、「もう、泣いちゃえば良いのに」と思いながら、それでも涙を見せまいとする主人公に観客は共感するものなのです。
ただ、こういう現実に近い自然な表現が求められるようになったのは日本では割と最近のように思います。少なくとも戦後すぐの頃の映画では子役は大人が求める頑是ない子供像をストレートに演じることがもてはやされてたんじゃないかな。たとえば、あけすけなセリフをはきはきと口にさせることで無邪気を演出したり、悲しい場面ではなりふり構わず大泣きさせたりしていたきらいがありました。それは恐らく、日本には型を重んじる歌舞伎という演劇文化があってその延長線上に映画の文化が築かれたことに由来するのではないでしょうか? それが時代が下るにしたがって西洋風の演出、演技手法が取り入れられるようになっていった気がします。僕は決して歌舞伎の型を否定するつもりはありませんが、どちらが洗練された演出かと問われれば今風の自然で端的な演出の方かなと思う派です。
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