恐怖の一眼国

小説のネタ帳にこんな手控えがあります。
朝、家を出て駅に向かう道すがら、前を数人の男性が歩いている。いつもと変わらない風景。けど、前を歩いているのがこうだったらどうだろう?
歩いているのが全てOL:結構、違和感がある。れれれ? 家を出る時間を間違えたかなとか。
歩いているのが全て外人:これもかなり引く。道を聞かれたらどうしよう。
歩いているのが全て幼児:遠足でもあるのか? 引率の先生はどこだ?
歩いているのが全てお相撲さん:これは圧迫感と恐怖を感じる。
歩いている女性が全て同じワンピース姿:で、色違いとか。
これは発想力を鍛える課題で、時々思い出したようにシチュエーションを書き足しています。違和感の根源は非日常、いつもと違う景色であるということ。普段はサラリーマン風のおじさんが駅に向かっているのが当たり前でそれに女性がちらほら。ところがおじさんが全く歩いていないというところがミソです。
で、この光景に恐怖を覚えてしまう根源は何かというと「全て○○」であること。○○は自分と違う属性を持つ何かで、外人だったり幼児だったりするわけです。

世界中、もしかして自分以外は全て○○になっちまったんじゃないか?

この想像に恐怖を覚えるわけですね。
落語のネタに一眼国というのがあります。目が1つの男が捕まって見世物小屋に出される話。その男から彼の故郷では誰もが目を1つしか持っていないという話を聞いた男が一山当てようとその彼の故郷に向かいます。そこで、1つ目人間を捕まえてこっちの見世物小屋にかけようって考えたんですね。ところが、その国に入った途端、彼のほうが捕まってしまいます。「おい、二つ目の男がいるぞ。珍しいじゃないか、見世物小屋にかけようぜ」と騒がれるわけです。
なかなかブラックなオチの噺ですが、このネタの肝は「常識は案外、多数決で覆される」ということです。自分が勝手に「目は2つあるのが当たり前」と思い込んでいるのは自分の身の回りに一つ目の人間がいないからなだけ。周りが一つ目だらけになった途端、その常識は非常識になってしまうのです。

一眼国はもちろん創作された物語ですが、似た体験は現実世界でもできます。例えば、道を歩いていて遠足に向かう園児の集団に紛れてしまった場合、駅のホームで小学生の遠足とカチ遭った場合、身の置き所がなくてなんだかむずむずします。
僕も娘(女子高生)の学園祭に出かけたことがありますが、見た目は華やかだけど身の置き所がないものです。この集団の中で自分が異分子だと無言で指し示されてる気になるんですよね。
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