ガチ勢いを嗤うな

ガチ勢とは元々、「ガチンコ勝負(真剣勝負)」を縮めた「ガチ」と「軍勢」を合わせた造語で、コンピュータゲームを極めるために大量の時間と情熱を注いで、ありとあらゆるテクニックを使って勝ちに行く人たちを指す言葉です。今ではそこから派生してコンピュータゲーム以外のジャンルにも使われるようになりました。ネット掲示板などのコメントを見ていると賛否両論あるみたいで、畏怖と敬意を持って賞賛する人もいれば、「そこまでやるか? それで本当に楽しいの?」と些かの侮蔑を持って臨む人もいるみたい。ま、人それぞれなのでしょう。ただね、ちょっと困ったことにプロの領域にまでこの観念を持ち込む人が増えているようなのです。
給料をもらってやってる仕事ですから真面目にやらなきゃいけないのは当たり前なのですが、極めだすとキリがない一面もあります。で、「ま、これくらいで良いんじゃないの」という妥協を持って多くの人は折り合いを付けるのですが、中には「まだまだ。まだだ、もっとできるはず」と極めて行くタイプの人もおります。ガチ勢とも呼べるそういった人たちを揶揄したり疎ましく思う外野がいて「何熱くなってんの」とか「そういう社畜がブラック企業を生むんだよ」とあからさまに侮蔑する風潮があるのです。
身内の恥でなんなのですが、先般、職場の幹部会議でとあるお客様で起きたトラブルでプロジェクトを仕切るマネージャーの発言が問題になっていました。

「確かに失敗しましたが、みんな一所懸命やったんですから良いじゃないですか。頑張ってこの結果だったんだから仕方ないじゃないですか」

という風なことを言ったらしいんですよね。どこからツッコんで良いのかわからないくらいツッコミどころ満載なのですが、とりあえず一言で評するならば幼稚です。高い金を払ったクライアント(お客様)がこれを聞かされたらどう思うでしょう。誤解を恐れずに例え話を出すとすれば、甲子園を目指している野球部が地方予選で一回戦負けした時の言い訳みたいです(ガチで高校野球やってる方、ごめんんなさい)。趣味でやってる野球(負けてもなんのペナルティも課されない野球)と仕事を一緒にするなよと言いたくなります。
当たり前ですが、お金をもらってやっている限りプロジェクトは100戦100勝でなければなりません。信頼して任せてくれているお客様は当然それを期待するからお金を払っているのですし、その期待に応えてこそのプロだと思うのです。もちろん、プロジェクトですから困難な局面や度し難い課題を抱えることがあるのは当たり前です。時にはどん底まで叩き落されて泥をすすることだってあります。けどね、「もう諦めよう。みんな頑張ったからそれで良いじゃないか」というのは流石にあり得ないでしょう。そこからどうやってリカバリするかがプロの真価でありアマチュアとの違いなのですから。
ガチ勢という言葉を動画サイトや掲示板などの趣味の世界で使うのは勝手です。けど、プロの世界でその言葉を持ち出して真剣勝負している人を嗤うのは止めて頂きたい。ましてや、真剣勝負を放棄して「頑張ったから(結果は伴わなかったけど)良いじゃない」などという人とは一緒に仕事をしたくないなぁと思った次第です。

錯覚を利用した演出

以前、「ミステリーの書き方」という本を読んだことがあります。
多数の人気作家によるミステリーを書くヒントや作法を綴った指南書なのですが、その中で東野圭吾さんが書かれていた日常生活に向ける視点が面白かったです。日々の生活を送る中で「お、これはネタになるんじゃないか」と思えるものを探す目線を持ちましょうということなのですが、具体例としてこんなエピソードを挙げておられました。
評判になっていた映画「タイタニック」をレンタルして鑑賞した。あるシーンでヒロインが一つ前のシーンと微妙に体型が違うことが気になった。どうしてだろうと考えていて、「ああ、撮影した時期が違うんだ」と気づいた。お、これってネタになるんじゃね? とメモを取ったというものです。
映画の撮影期間が何ヶ月にも及ぶことも必ずしも一つ前のシーンの続きで撮っているわけでなくシーン毎にバラバラに撮影されていることも周知の事実です。けれど、実際に鑑賞する時は物語の時系列に情報が提供されるので観客はひと続きの場面として錯覚しちゃうっていうのはありそうな話ですよね。うん、ミステリーに使えるかも。
この錯覚を逆手に取った演出の例を僕は一つ知っています。大林宣彦監督の「ふたり」。
ヒロインの石田ひかりは中学三年生から高校生までを演じるのですが、中高一貫校らしく最後まで同じ制服なんですよね。最初に登場した時は制服が少しだぶついている感じがしていてまだ板についていない印象。それがラストシーンではぴったり合っていて、ああお姉さんになったんだなと伺えます。
けど、冷静に考えると2年以上かけて石田ひかりが大きくなるのに合わせて撮影なんてことはあり得ませんから、あれはきっと制服を2着用意したのでしょう。最初のシーンはサイズが大きめの制服を。ラストシーンではぴったりサイズの制服を。物語を追って彼女の成長を見守ってきた観客は服が変わったとは思わず彼女が成長したのだと錯覚を覚えるという仕掛けです。
映画ならではのトリックですが、こういうのはまだまだありそう。今ちょっと考えているのはサイレント映画ならではのトリックってないかしらん。というものです。すぐに思いつくのは音声がないことを活かしたトリックですけど目のこえた読者にはすぐばれそう。音声がないことはミスリードに使いながら実はモノクロであることがトリックになっていたとかできないかしらん。

鼻歌の歌謡曲

1970年代からずっと各年代でオリコンヒットチャート1位のメガヒット曲を出し続けているシンガー・ソング・ライターがいます。その人の名は中島みゆき。
1977年:「わかれうた」で1位を獲得
1981年:「悪女」で1位を獲得
1994年:「空と海とのあいだに」で1位を獲得(1995年 旅人のうたで1位獲得)
2003年:「地上の星」で1位を獲得

2010年代は自身のリリースでは未だ獲っていませんが、ももいろクローバーZに提供した「泣いてもいいんだよ」が2014年に1位獲得しています。俗に「歌は世につれ世は歌につれ」などと言われますが、1970年代と2017年の今では世相も人の考え方、価値観も大きく違います。それは80年代、90年代、2000年一桁でも同じこと。よくぞまあ、これだけ世相にピタリと寄り添って人の心を打つ楽曲を作り続けておられるよなぁと感心することしきり。僕が彼女のファンになったのは80年代前半の大学生になった頃でしたが、あの頃は「根暗な曲を作る代表選手」みたいなイメージがあって、まさかそれから30年後もこんなに活躍しているとは失礼ながら想像もしていませんでした。
彼女の楽曲の特徴は一言で言うと「歌詞が分かり易い」ということかな。ごく普通の人々が日々生きていく中でもやもやしていることを寸分の隙もなく誰もがわかる言葉で表現することで人の心を鷲掴みにしている気がします。特徴をもう一言加えるとすれば「メロディが平易であること」。夕飯をこしらえながら鼻歌で歌えるような曲が多いんですよね。
これは、彼女の楽曲に限らず昭和の歌謡曲の多くがそうだった気がします。ブログやyoutubeなど動画サイトのコメントを見ていると「昭和は名曲の宝箱、今の楽曲はその足元にも及ばない」なんてのをよく見かけますが、それは違うと僕は思っています。昭和の頃だって1年間に何千、何万といった曲がリリースされていました。レコードがわずか数百枚しか売れず、誰にも知られることなく消えていった楽曲は空の星の数より多いと思います。コメントの主が褒めそやしているのはそういった過酷な競争を勝ち抜いて今も歌い継がれている曲ばかり。言ってしまえば往年のオリンピックのゴールドメダリストを町内会の運動会に引っ張り出して、すごいすごいと言っているようなものだと思うのです。今作られている楽曲の中にだって10年後、30年後、歌い継がれていく曲は必ずあると思うんですよ。ごくごく一握りではありますが。
ただ、曲の特徴やコンセプトは明らかに違います。昭和の歌謡曲は素人が鼻歌で歌えるような親しみ易いものが多かった気がするのです。それに比べて今の楽曲は、やっぱりカラオケマシーンが必要かな。どちらが良い悪いではなくて一長一短だとは思うのですが、お手軽さから言えば昭和の歌謡曲に軍配が上がるでしょう。お母さんが晩御飯をこしらえながらなんとなく歌っている。それを毎日聴いている子どもたちが耳から覚える。インターネットがなかった時代のそれはレコードの売上につながる重要な営業戦略だったんだじゃないでしょうか。ま、そんなヤらしい見方をしなくても、カラオケなしででも歌えてしまう楽曲はお手軽で素晴らしいと僕は思います。
中島みゆきが紡ぎ出す楽曲は40年の時代を経てなお、そんな昭和の歌謡曲の伝統を脈々と受け継いでいます。2010年代もあと3年。そろそろ、次のオリコン1位となるメガヒットが出てくるんじゃないかな。自分的にはNHKの朝ドラ「マッサン」の主題歌、麦の唄あたりで獲ってほしかったな。あれは良い曲です。

あなた任せ

多くの職場環境で人手不足とそれに伴う過重労働は深刻化しているようです。SNSのニュースでも再三取り上げられていて様々な意見が寄せられているのですが、ぞっとしないのはあなた任せの意見が多いこと。おしなべてまとめるとこんな感じの意見。

会社のトップが無能だからだろ。土日は休ませろよ。

この意見を投げた人って、ホントに土日休みたいと思ってるんですかね。僕にはとてもそうは思えないのですが。残業過多は雇用者にとっても被雇用者にとっても頭の痛い共通の課題だと思うのです。雇用者はその分余計な経費がかかるし(残業代未払いでも電気代諸々はばかにならないんだよ)、被雇用者はプライベートの時間を削られるし、何よりモチベーションが下がる。つまり、一緒になって知恵を出し合って解決すればみんながハッピーになれるはずの課題なのです。なのに、「僕は悪くない。僕じゃない誰かが悪い」なんて、どの口が言うんでしょうね。
プロジェクトにおける課題解決のコツは2つあります。
原因を他者ではなく自分の中に求めること
他者に原因を求めちゃうと事の解決はまず間違いなく行き詰まるのです。だって、他人の何かを変えるなんてそうそうできることじゃないから。けど、自分の中の何かを変えれば解決するという答えが見いだせればハードルはぐっと下がります。自分は自分を変えられますから。

課題に対して他のステークホルダー(=プロジェクトの関係者)と対立するのではなく一緒になって解決に取り組むという姿勢を貫くこと
端的にいうと会議の席で対面にテーブルを並べるのはお薦めできません。相手の顔を正面から見据えるスタイルは敵対関係を生みます。なんとなく対立しているような気がする。利害関係が相反している気がする。相手に責任をなすりつけたくなると何も良いことはありません。
逆に全員が視線を会議室正面のホワイトボードに向けて、この場のみんなでホワイトボードに書かれた課題を解決するんだという空気が作れればそれだけで課題は8割方解決したも同然なのです(ホントだよ)。

残業や休日出勤が多いのは人手が足りないから、ひいては現場の大変さを理解できていないトップが無能だからとコメントするのは愚痴に過ぎません。「お小遣いもっとあげてよ~」と親に駄々をこねる子供となんら変わりはありません。そういう子供が、お小遣いを上げてもらうためにはどうしたら良いか。お小遣いを上げることで親にどれだけのメリットがあるか。一度でも真剣に考えて親を説得したことがあるでしょうか。ましてや、残業の削減は雇用する側にとっても悲願なのです。本気で残業を減らしたいと社員が望んでいるのなら、あなた任せな愚痴は一旦棚の上に上げておいて、そのための具体的な方策を会社のトップに提案するほうがよほど建設的じゃないかなと思う次第です。

入院中の夢

入院中の生活は朝6時起床、夜9時消灯でした。けど、習い性で5時には目が覚めるので1時間ほどDSで静かに遊んでましたね(だって9時に寝ちゃうと5時でも8時間寝たことになるし)。
で、前に入院した時もそうでしたが見ちゃいました。「帰って来なくっちゃの夢」。夢の中でどこか見知らぬ街に行っちゃってるのです。で、消灯時間も近いし戻ってこねばと焦るのですが角を曲がれば曲がるほど不条理に、理不尽に街の様相は変貌し帰り着ける気がしなくなる。さんざ彷徨を重ねてはっと気がつけば病院のベッドの上。どこにも行っていない、帰ってくる必要のない自分に気づくという。
目が冷めている時は別に意識はしていないのですが、意識下で入院生活を忌避しているのかなぁ。
とまれ、寝酒無しで就寝となるからかこの夢に限らずいっぱい夢を見ましたね。最も不条理な夢は「アメリカのミサイル攻撃により日本では辛子明太子が生産できなくなり、明太子スパが食べられなくなる」というものでした 我ながら脈絡がないのですが、夢の中では深刻な問題になっていたんですよね。冷静に考えたら明太子スパ以外にも食べられなくなるものがもっとあってそっちを問題視すべきなのではと思うのですが(って、論点がやはりずれている?)。
退院してからはアルコール三昧の生活に戻ってしまって、ろくに夢を見なくなってますが、いやしくも病気療養中の身。少しは控えないといけないな。
プロフィール

choal29

Author:choal29
酒と料理をこよなく愛するシステムエンジニアです。
食卓応援サイト「Gの食卓」を運営しています。
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